1話
不老不死。
老いることも、死ぬこともない。人間なら誰もが憧れる理想の形。
だが、断言しておこう。
実際になってみれば、これほど最悪なものはない。
周りと一緒に老いることができず、見送るばかりの人生になる。誕生日なんて、四桁年も生きると気が滅入るだけ。
体は健康でも、心が死んでいくのだ。
過度な長生きは、人間にとって毒でしかない。
事実、俺はそうなっている。
永く不老不死として人生を送っていると、少しずつある欲が芽生えてくる。
死にたい
という欲が。
死にたければ勝手に死ねばいいと思うかもしれない。だが残念ながら、体は簡単に終わりを許してくれない。
高所から飛び降りても、首をくくっても、毒を飲んでも、自分でできることを尽くしても、生きてしまう。
だから考えた。
どうしたら死ねるのだろうと。
そして見つけた。
今を全力で生きる者たち。彼らの持つあの情熱は、いつか不老不死さえ殺すかもしれない。
ならば、俺はその日を信じて動けばいい。
死を望み、彼らに殺してもらおうとするのは、身勝手だと分かっている。それでも、望まずにはいられない。
時間ならいくらでもある。
なにしろ俺は、世界で唯一の不老不死なのだから。
◇◆◇◆◇◆
「むぅ……」
カーテンからこぼれる優しい光が、まどろむ意識を刺激する。
ゆっくりと瞼を開けると、黒く太い梁、石造りでグレーの壁が視界に映る。
ぼんやりしながら体は動かさない。
「残念……」
どうして睡眠というのはいずれ目覚めてしまうのだろう。二度と起きなくても問題ないというのに。
まあ眠って死ねるわけもないのだが。
快眠のせいか、眠気は一切ない。
もうベッドから出るべきなのだが、この時期の早朝の気温は肌寒く、体を包む柔らかな白の毛布が程よい温度を保っている。
もう少しだけこのままでいよう。
「いい匂い」
食欲を刺激する香ばしさが部屋に広がっていく。
この匂い、パンだ。
朝食が完成したに違いない。
ということは、そろそろ彼女が来る。
俺の直感は正しく、リズミカルなステップの足音が聞こえてきた。
「おっはよーセフラ。朝だよ」
木造の扉がノックもなく大きな音を立てて開き、廊下から女性が入ってきた。
十代後半ぐらいに見え、銀色にサラサラと輝く髪が首元まで伸び、碧く透き通った瞳。きめ細かい肌つやで黒のドレスを身にまとっている。
誰が見ても美女と答えるであろう見た目だ。
俺は半開きの目で彼女を見つめ、ため息をつく。
「リゼ。ノックはしてくれと伝えてるだろ」
彼女はリゼ・クロムヴォイド。吸血鬼であり、半年前に出会って、そのまま俺の暮らす館へ居ついた住人である。
「あ! そうだった。次は気をつけるよ」
笑顔でリゼは謝罪をする。
見惚れるほどの美貌で謝られると、男なら誰だって許してしまいそうだが、そうはいかない。
彼女が館に来てから、ずっと同じことを注意しているからだ。
そもそも、俺は美女だから甘くなるほど若くもない。四桁年は生きてる化け物じいさんだ。
「そんなことよりさ、朝ごはん作ったから早く起きて。とっても美味しく作れたんだから」
リゼから手を伸ばされる。
こちらを待っているようだが、変わらず俺はベッドの中で彼女を見続ける。
今そんなことって言った?
館に住む上での注意をそんなこと扱いとは……。
追い出してもいいか?
「え? なに? 添い寝して欲しいの? でもダメだよ。そういうのは結婚してから始まるんだから。でもー、セフラがどうしてもっていうなら考えてあげなくもないかな」
目を閉じ体をくねらせる様に動かし、両手を頬で覆うリゼ。
どこか紅潮しているようにも見える。
全然わかってない。
俺は諦めるようにベッドから出て、リゼの横を通り過ぎる。
彼女はなぜか一人で盛り上がっていたため、寝室に置いていった。
◇◆◇◆◇◆
体を少し震わせながら、石造りの廊下を歩き、広間の扉を開くと、心地よい暖かさの風が肌に触れる。
室内では暖炉がパチパチと音を鳴らし、中央にある食卓の上には二人分のナイフとフォーク、皿が置かれていた。
皿の上には焼かれたきつね色のパン、縁にうっすらと焦げ目がある目玉焼き、湯気をまとうソーセージが乗せられている。
俺は椅子に座り、何もない空中を眺める。
半年前、リゼが来る前は俺一人で館に住んでいた。
暖炉に火を入れたり、朝食を作ったりすることもなく、ただぼんやりと。
それなのに、今はリゼのせいで朝から騒がしくなっており、少しの落ち着かなさを感じてしまう。
「置いていくなんてひどいよ」
涙をうっすら浮かべながらリゼが向かいの席に着く。
「知るか」
「そんな。シクシク」
「……もう食べていいか?」
「うんいいよ! 食べて食べてー」
悲しさを含む顔から一転、眩しい笑顔に彼女は切り替わった。
演技かのような変わりようだが、たぶん素である。
最初は感情の振れ幅に振り回されていたが、今は随分と慣れた。
気にせず彼女を横目に、朝食を口に運ぶ。
「どうかな?」
完璧な焼き加減のパン、黄身の半熟具合が素晴らしい目玉焼き、パリッと音のなる肉汁溢れるソーセージ。
シンプルな料理ながら、どれもが満足できる一品たちだった。
「すごく……美味しい」
「よかった。頑張って作った甲斐があるよ」
リゼはくすくすと笑いながら、朝食を食べ始める。
なぜか得意げに、天才なのでは、と自分を褒めていた。
料理の味を噛みしめながら、以前の彼女の料理を思い出す。
初めて振舞われた料理は非常にまず……美味しくなかった。炭のような黒いなにかだったはずだが、あまりに衝撃的な味で記憶が飛んでいる。
それが、今では簡単な料理ならこれほど美味しく作れるとは。
天才とは言わないが、努力家と言っていい。
空腹のためか、あっという間に朝食を食べ終える。
ただ静かに、穏やかな時間が流れていく。
「ねぇセフラ。私と結婚しない?」
一息ついていると、リゼから唐突に告白される。
変わらぬ笑顔で、まっすぐな瞳が向けられていた。
またかと思いながら、俺はいつものように答える。
「断る」
「えーなんでー?」
彼女は頬杖をついて、不満そうに唇を尖らせる。
「知ってるだろ。俺は死にたいんだ。不老不死だから生きてるだけで、人生を終わらせたいの。だから結婚なんてしない」
「私が死にたくなくなるぐらい楽しくしてあげるから。ね、いいでしょ?」
「よくない。そもそもなんで俺なんだ。他にいい人なんていくらでも」
「セフラが好きだからに決まってるでしょ」
あっさりと言って、リゼは微笑む。
彼女の好意に、俺は言葉が詰まってしまった。
どうしてむず痒いことを簡単に口にできるのだろうか。
まっすぐな好意ほど断りづらいものはない。
「……とにかく無理だ」
「どうしてもダメ?」
「ダメ」
暖炉の薪が小さくはぜた。
リゼの笑顔が、少しだけ光を失い薄くなった気がする。
「セフラはどうしても死にたいの?」
「あぁ」
「そっか……」
リゼは視線を落とし、空になった皿を見つめた。
長いまつ毛が、碧い瞳に影を落とす。
沈黙が、一拍だけ続く。
やがて顔を上げた彼女は、いつもの笑顔に戻っていた。
ただ、碧い瞳の奥で、縦に細い瞳孔だけが笑わずに。
「なら、殺してあげようか?」




