第七話 箱入り令嬢のフルスイング、すべて受け止める
「……瑠璃は自分のこと『迷惑』とか『空回り』してるように言ってたけど、俺にはそうは見えないよ」
奏多は瑠璃の目を真っ直ぐに見つめ、一呼吸置いてから言葉を紡いだ。
「不器用で、時には全力でフルスイングしても空振りすることもある。でも、それって全部『一生懸命』なだけだろ」
(今まで、何一つとして挑戦なんてしてこなかった俺には……その姿が、どうしようもなく眩しく見えたんだ)
奏多は静かに胸の内で自嘲気味に思う。
「俺には、瑠璃は誰よりも懸命に、自分の世界を切り拓こうとしているようにしか見えない」
奏多の言葉に、瑠璃が小さく息を呑む。
(……今、わたくしのこと、瑠璃って……)
奏多自身も、口から零れた名前に少しだけ驚いたように目を見開くが、すぐに優しく微笑んだ。
「……正直、瑠璃といると嵐みたいで疲れるし、心臓にも悪い。けど……君のその、真っ直ぐすぎるくらいの純粋さを見てると、どうでもよくなってきた。周りがどう言おうと、誰に何を言われようと、誰よりも正直に心を開いてくれる瑠璃を、迷惑だなんて思わないから安心して」
時間が止まったかのような静寂。
しがみついていた瑠璃の腕が、だらりと力を失った。
顔を上げた瑠璃は、完全にフリーズしていた。口を半開きにし、サファイアブルーの瞳を限界まで見開いたまま、耳の先まで真っ赤に染め上げている。
「……え」
一拍。
「え、え、ええええええええええ!?」
瑠璃が絶叫した。校舎の窓ガラスがびりびりと震えるほどの声量だ。
「い、今……わたくしのこと……純粋って……正直って……っ!」
両手で自分の頬を押さえ、瑠璃はその場でぐるぐると回り始めた。
「迷惑じゃないって! 安心してって! 奏多様が! わたくしに! そんなことを!」
メイドたちはぽかんと口を開け、綾部は「また始まった」と言わんばかりに空を仰ぎ、呆れの中に微かな温かさを混ぜた微笑みを浮かべている。
ぴたっと回転が止まり、瑠璃は潤んだ瞳で奏多を真正面から見つめた。
「……ちゅ〜、してもよろしいですか?」
公衆の面前。三台のリムジン、数十人の使用人、そしてスマホを構えた群衆の目の前で。
「いやだめだろ」
奏多の即答と同時に、周囲からも一斉にツッコミが飛んだ。
「ダメですわ!!」
「お嬢様、落ち着いてください!!」
「いやそこは止めるんかい!!」
群衆の野次も、メイドの悲鳴も、全部が混ざり合って校門前はカオスな笑いに包まれる。
奏多は隠れるように瑠璃の肩を強引に掴んでリムジンの方へと誘導した。
「ほら、行くぞ! これ以上公衆の面前を汚すな!」
「きゃあ! 奏多様がわたくしを連れ去りますわ~! 幸せですの~!」
暴れる瑠璃を無理やり車内へ押し込むと、綾部がリムジンを指して奏多の方を一言。
「一先ずここを離れますので奏多様もご一緒にお乗り下さい」
そうして奏多もリムジンに乗り込んだのを確認すると、綾部は静かにドアを閉める。
外では学生たちが「あのカップル、マジで最高かよ……」と呆れ混じりにスマホを収めていた。
車内という密室に逃げ込み、ようやく安堵の息を吐く奏多。だが、隣では真っ赤な顔をした瑠璃が、こちらをじっと見つめていた。
リムジンの後部座席は静まり返っていた。防弾ガラスの向こうで東京の街並みが流れていくけれど、車内の空気は外の喧騒から切り離されたような濃密さがあった。
瑠璃はいつもの大騒ぎとは別人だった。背筋を伸ばし、膝の上で重ねた手は白くなるほど握られている。
飾りや財力、大胆さといった鎧をすべて脱ぎ捨てた、十七歳の少女としての言葉が紡がれる。
「……令嬢という立場に生まれたせいで、わたくしはいつも『天宮の瑠璃』として扱われてきました」
瑠璃は一度だけ視線を落とし、小さく息を吸い込む。
「誰かに何かをしてあげたくて、一生懸命に手を伸ばしても、それが重すぎて……煙たがられて、迷惑がられて。そうやって傷つくたびに、わたくしは自分が、何をやっても空回りする出来損ないのような気がしておりましたの。でも、奏多様は……わたくしの不器用さも、空回りしている姿も、全部『一生懸命だからだ』って仰ってくださった」
潤んだサファイアブルーの瞳が、奏多を真っ直ぐに映す。
「今まで、わたくしのことを見てくれる方はたくさんおりましたわ。でも……わたくしの奥底にあるこの『寂しさ』を満たしてくれて『不器用さ』まで認めてくれる方は……奏多様、貴方だけですわ」
瑠璃はそこで言葉を切ると、少しだけ自嘲気味に笑った。
「……今まで生きてきて、今日が一番幸せです。……本当に貴方の隣が、わたしの唯一の居場所なんです」
この言葉にはいつもの口癖の形もなく、冗談の響きもない。
ふっと、瑠璃は小さく笑うといつもの雰囲気に戻る。
「……ごめんなさい、急にこんな重い話。奏多様、引いちゃいましたわよね」
彼女は怯えていた。本音を明かしたことで、奏多が遠ざかってしまうのを恐れているのだ。
窓から差し込む午後の光が瑠璃の横顔を照らし、長い睫毛の影が頬に落ちている。
「わたくし、ずるいんですの。いつもはお金や派手なことでごまかして……こういう本音は、ちゃんと聞いてくれるって分かった時にしか出せなくて」
答えを待つ瑠璃に、奏多はゆっくりと言葉を返した。
「……引くとか、そういうんじゃない。ただ、君がそんな風に思い詰めてたなんて、正直気づかなかったよ」
奏多はそっと話始めた。
「瑠璃が一生懸命なのは、ここ数日でも見てればわかった。不器用かもしれないけど、真っ直ぐにぶつかってくるその姿勢を、俺は悪いとは思わない」
奏多は一度言葉を切り、少しだけ照れくさそうに視線を逸らしてから、再び瑠璃をまっすぐに見つめた。
「……それに、正直に言うとさ。君のそういう真っ直ぐで、素直で、純粋に何かを追いかける一生懸命な姿に、俺は心を打たれたよ。……周りや立場なんか関係なくて、そんな瑠璃という人間が、俺にはとても眩しく見える。迷惑だなんて、思わないから」
奏多の言葉が、瑠璃の心に深く染み込んでいく。
「君が俺に打ち明けてくれたのは、それは信頼してくれてるってことだろ? ……なら、その真っ直ぐな想いに応えるくらいは、俺にもできるはずだ」
瑠璃の瞳が大きく揺れ、堰を切ったように涙が溢れ出した。彼女が長い間、自分の「欠点」だと思い込んでいたものが、奏多にとっては「魅力」として受け止めたのだ。
それは彼女が長い間閉じ込めていた孤独の終わりであり、奏多という光を見つけた瞬間だった。




