第四十三話 リゾートオープン
御子柴を見事に満足させることに成功した一行。
その翌日に遂にハートアイランドリゾートのオープン初日を慌ただしく迎える。奏多と瑠璃と綾部は裏方のスタッフルームで島の様子を見守っていた。
スタッフルーム。モニターが壁一面に並び、島内の各所をリアルタイムで映し出している。
ビーチ、プール、レストラン、客室、そして接客スタッフの表情まで。すべてが手元で確認できる仕組みだった。
「ど、ドキドキしますわ……! もうすぐオープンですのよね? わたくし、心臓が口から飛び出しそうですわ!」
瑠璃はモニターの前に陣取り、両手を胸の前で握りしめている。いつもの特注制服ではなく、今日はリゾートのオーナーとして、白いワンピースにサングラスという出で立ちだった。が、落ち着きのなさは隠しきれていない。
「瑠璃様、深呼吸を。……それと、オーナーがそんなにソワソワしていたら、スタッフに伝染しますのでおやめください」
綾部はタブレットに目を落としながら、淡々と最終チェックを進めていた。予約状況、人員配置、食材の在庫、天候データ。すべての数値がグリーン。問題なし。
「現時点で、すべてのパラメータが正常値を示しています。天気は快晴、海況は最高、宿泊客のチェックインは予定通り。初日のゲスト数は……まあ、ご覧になってください」
綾部がタブレットをくるりと奏多の方に向けた。画面には予約管理システムが映っており、そこに表示された数字は凄まじいものだった。
単価別に打ち出した全パッケージが完売し、キャンセル待ちが4桁近くに達している。
「キャンセル待ちが789件。……瑠璃様がSNSで投稿した写真や動画が拡散された効果が、まだ続いているようですね」
「えへへ、あの時の写真と動画、わたくしと奏多様の二人を写した物ですわよね! 『ハート型の島でバカンスなう♡』と 『超巨大クエVSわたくしの王子様』ですわね!」
「……あれのせいで予約サーバーが3回落ちたのを、私はまだ根に持っていますが」
その時、モニタールームのドアがノックされた。現場マネージャーからの内線通話が鳴り響く。
「こちらビーチサイド、マネージャーの山本です! オープン15分前ですが、すでに港に到着したお客様が列を作っておりまして……ざっと見ただけで200人以上はいるかと!」
「に、200人!?」
「……初日からこの集客。正直、想定を超えていますね」
モニターに港の映像が映し出される。
そこには、世界中から集まったVIP客や富裕層たちが、目を輝かせてハート型の島を眺めている光景が広がっていた。
そして、開園を告げるファンファーレが島内に響き渡るまで、あと数分。
しかし奏多はというと、プロジェクトの成功に酔うどころか、すっかり脳内はすでに次のフェーズへと走り出していた。
「このキャンセル待ちの数……。今回のハイエンドなパッケージ購入客とは別に、もっとカジュアルに一般入島できるエリアを設ければ、さらに間口が広がるはずだ。例えば、北側の海岸沿いをデイクルーズ専用のパブリックエリアにして……」
すっかりビジネスの思考に染まった奏多が独り言のように呟くと、綾部はフッと冷めたような、しかし感心したような息を漏らした。
「……もう次の商売の話ですか。オープン前の緊張感ゼロですね、奏多様」
呆れた口調ではあったが、綾部の手はすでにタブレットの上で高速に動き、何かを走り書きしていた。
奏多のアイデアを即座にビジネスモデルとして落とし込んでいるあたり、彼女もまた根っからの実務家である。
「ですが、一理あります。現在のパッケージは完全予約制で単価が高い。キャンセル待ちの客層は富裕層に限りません。一般層でも『あの島に行きたい』という欲求は確実に存在する」
「つまり、もっとお手軽に遊びに来られるエリアを作るということですの?」
瑠璃が首をかしげながら、モニターに映る港の長蛇の列を指差した。
「でもでも、この島ってわたくしの私有地ですし……あんまり誰でも入れちゃうと、奏多様との二人っきりの時間が減っちゃいませんこと?」
「……そこを心配するのがオーナーの仕事ですか?」
「だってぇ! オープン初日は奏多様と一緒に過ごすって決めてましたのに!」
瑠璃がぷくっと頬を膨らませたその時、港のカメラに異変が映った。黒いスーツの集団がぞろぞろとタラップを降りてくる。先頭に立つのは、見覚えのある顔だった。
「……っ。奏多様、モニターを見てください。あれは……」
画面に映し出されたのは、天宮グループのロゴが入ったIDカードを首から下げた一団。その中心にいたのは、冷徹な眼光を湛えた男。天宮翔。天宮グループ会長その人だった。
モニター越しに不気味なほどの威圧感を放つ天宮翔の姿を見つめながら、奏多はスッと表情を引き締めた。
「綾部さん、警備を止める必要はありません。……あの人を通してください」
「……会長を、こちらに?」
綾部の眉がぴくりと動いた。モニター越しに映る天宮翔の姿は、どう見てもリゾートを優雅に楽しむ一般客の視察という雰囲気ではない。完全武装のSPを4人引き連れ、その足取りには一切の迷いがなかった。
「了解しました。港の警備班に連絡を入れます。……ただ、一つだけ忠告しておきます」
綾部はインカムのスイッチに手をかけながら、横目で奏多を見た。
「あの人の顔、笑っていません。むしろ、かなり不機嫌にも見えますが…」
「お、お父様が来てますの!?」
瑠璃の顔から一瞬で血の気が引いた。さっきまでの甘えた態度が嘘のように、背筋がぴんと伸びる。
「な、なぜお父様がここに……! わたくし何も聞いてませんわよ!?」
「娘に事前通告なしで現れるあたり、さすがは天宮の当主ですね。……山本マネージャー、VIPルートで会長をスタッフルームまでご案内してください。くれぐれも失礼のないように」
綾部が冷静に内線で指示を飛ばすと、インカムの向こうから山本マネージャーの「りょ、了解しました!」という緊張しきった声が返ってきた。
数分後。スタッフルームの重い扉が静かに開き、革靴の硬い足音が室内に響いた。
屈強なSPを廊下に残し、単身で入ってきた天宮翔は、室内に広がるモニターの景色を一瞥すると、底冷えするような鋭い目で奏多を射抜いた。
「……随分と派手にやってるようだな、星野奏多」
鋭い眼光を向けられたまま、奏多は一歩も引かず、まっすぐ天宮翔を見据えた。
「言葉や精神論ではなく、結果で示せとおっしゃったのは会長、あなたです。だからここまで、私は必死に走ってきました」
そのまま、奏多は溢れる思いと言葉を次々とぶつけていく。
御子柴との熾烈な交渉、この島をただのプライベートビーチで終わらせないためのエリア分割の提案、徹底的に計算し尽くした会員制ビジネスの設計、客単価120万円のハイエンドパッケージが即完売した事実、そして今まさに発生している700件超のキャンセル待ちという熱狂の現状。
感情論に逃げず、客観的な数字と揺るぎない実績を次々と並べ立てるその姿に、迷いは一切なかった。
「…………」
翔は腕を組んだまま、微動だにせず奏多の言葉を全身で受け止めている。
時折、室内の緊迫感に耐えかねたようにSPの一人がドアの向こうから様子を窺おうとしたが、翔はわずかに手を挙げてそれを制した。
口を挟むな、黙って聞け、という無言の圧力だった。
重く張り詰めた空気の中、瑠璃は背後で小さく息を潜め、小動物のように縮こまっている。
綾部だけは冷徹なまでの冷静さを保ち、奏多と翔の間に走る張り詰めた緊張の糸を、じっと観察していた。
やがて、奏多が語り終えると、静寂を破るように翔が低い声を発した。
「……結果で示せ、と言ったのは私だ。だからこうして、わざわざ足を運んだ」
翔はゆっくりと踵を返し、壁一面に並ぶモニターへと歩み寄ると、そこに映し出された港に押し寄せる大勢の客の列をじっと見下ろした。
「確かに、数字だけ見れば大したものだ。一介の大学生が、ここまでやるとはな」
あの厳しい天宮グループを束ねる頂点が、初めて奏多の実力を認め、「大したものだ」と言い切った瞬間だった。
だが――。
スッと振り返った翔の眼光は、緩むどころか、さらに一段階鋭く、冷徹な光を帯びていた。
「だが、一つ聞かせろ。……この島の最終的な出口はどこだ? 儲けた金で何をする。まさか、娘との遊び場を作って満足です、とは言わんだろうな?」
「……遊び場にするつもりなど、最初からありません」
奏多は一歩、堂々と踏み出した。その声には、大学生らしい未熟さを隠さない、しかし偽りのない強い決意が宿っていた。
「確かに、最初は目の前の壁を越えることで必死でした。ですが、この島をどうしていくかについては……綾部さんとも深く相談し、すでに具体的なビジョンを描いています」
名指しされた綾部は、やれやれと言った風に肩をすくめながらも、どこか誇らしげな目を奏多に向ける。
「このハートアイランドで得た利益とブランドを、ただの個人資産にするつもりはありません。ここを起点にしてさらに島を発展させ……将来的には、天宮グループさんと――いえ、会長、あなたとライセンス契約を結びたいんです」
「ほう……?」
翔の眉が、わずかにピクリと動いた。
「一過性のリゾートブームで終わらせず、日本全国、いや世界へ展開する一大リゾート事業の『基幹モデル』として、天宮グループの巨大な流通やネットワークと手を組む。それが、俺が描くこの島の出口です」
奏多は少しだけ呼吸を整えると、しっかりと前を見据え、一言一句ハッキリと言い切った。
「……そして、いつか必ず。この事業の成果をもって、俺があなたの娘さんである瑠璃様の隣に立つに相応しい人間だということを、ビジネスの実績として文句なしに認めさせてみせます」
奏多の宣言が、防音のスタッフルームに響き渡った。
単なるリゾート事業の成功にとどまらず、天宮のネットワークと接続し、さらなる拡大を狙うというビジョン。
そして何より、それを瑠璃の隣に立つための正当な『実績』として叩きつけるという、堂々たる宣戦布告。
その場にいた全員が息を呑んだ。瑠璃は両手で口を覆い、大きなサファイアブルーの瞳が大きく見開かれた。
綾部すらも、わずかに目を見開いて奏多を見つめていた。
「……。」
天宮翔は、組んでいた腕をゆっくりと解いた。沈黙が続く。空調の微かな稼働音だけが室内に響く中、翔は奏多の目をじっと見据え、やがて――
「――半年で結果を出せと言ったが」
翔が重々しい口を開く。
「まさか、たった数ヶ月で御子柴のタヌキを巻き込み、ここまで形にするとは思わなかった。……お前の言う『出口』、まだ机上の空論だが、筋は通っている」
翔の口元が、ほんのわずかだが、確かに弧を描いた。それは冷徹な経営者の顔ではなく、期待を超える若き才能を前にした、闘争心と評価の入り混じった笑みだった。
「私のネットワークを使うというのなら、それなりのロイヤリティを請求するぞ。覚悟しておけ」
「お、お父様……!」
瑠璃が弾かれたように翔に駆け寄り、その袖を掴んだ。
「勘違いするな、瑠璃。まだ完全に認めたわけではない。……だが」
翔はちらりと奏多を一瞥し、短く鼻を鳴らした。
「……今日はオープン初日だ。せっかく来たんだ、少しは見学させてもらおうか。案内しろ、奏多。お前の作った『楽園』とやらをな」




