第二十八話 ハートアイランド編
翌日。綾部が手配したスケジュール通り、俺たちは島の北側にある無人ビーチへとやってきていた。
朝から快晴。太陽が容赦なく照りつける中、天宮家のプライベートビーチに到着した。
白く輝く砂浜にエメラルドグリーンの海が広がり、ヤシの木がさわさわと揺れている。「無人」の名に恥じず、人の気配は一切ない。
「日焼け止めと救急セット、パラソルは用意してあります。私は車で待機してますので、何かあれば連絡を」
「きゃーっ! 海ですわー!」
瑠璃は既に水着に着替えていた。白いビキニにハイビスカス柄のパレオ。豊満なスタイルが惜しげもなく晒されている。準備運動もそこそこに、裸足で砂浜を駆け出して海に飛び込んだ。
「ひゃあっ! 冷たい! でも気持ちいいですわぁ!」
ばしゃばしゃと浅瀬ではしゃぐ瑠璃。波が来るたびにきゃあきゃあと声を上げ、すぐにけろっとしてまた波に向かっていく。子供のように無邪気だ。
「おい、はしゃぎすぎだろ! 足元危ないからあんまり沖に行くなよー!」
呆れながらも笑いながら、奏多も海へと入っていく。水はどこまでも透き通っていて異常に透明度が高い。水中で瑠璃と目が合うと、彼女はにっと悪戯っぽく笑って、奏多の足を引っ張ってきた。
「わっ、こら……!」
「それーっ!」
瑠璃が両手で海水をすくい上げ、奏多にぶちまけた。不意を突かれて盛大に水を被る奏多。
「やったな……! お返しだ!」
奏多がやり返そうと近づいた瞬間、瑠璃はふざけて笑いながらも、なぜかスッと隙を見せた。そこに追いついた勢いのまま、瑠璃がぎゅっと体に飛びついてくる。
「捕まえましたわ♡ もう逃がしませんわよぉ!」
密着した瑠璃の柔らかい体温が、濡れた肌越しに直に伝わってくる。あまりの近さに奏多は思わず顔を背け、耳まで赤くしながら腕を回した。
「わ、わかったから離れろよ……って、お前、重いって!」
「むー! 失礼ですわね、これでもスタイル維持には気を遣ってますのよ!」
ぷんすかと怒る瑠璃だったが、その顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。
そして、陽が落ちてからのヴィラの星空ツアー。昼間の賑やかさから一転して、辺りは息を呑むほどの静寂と満天の星に包まれていた——。
日が沈むと、世界が別物になったような深い闇が訪れる。
ヴィラから少し歩いた丘の上。星空ツアーのガイド役を務めるのは綾部だった。手元の星座早見盤を気だるげに持ちながら、淡々と解説を始める。
「……あの赤い星がアンタレス。さそり座の心臓にあたる星ですね。で、その隣の赤っぽく光ってるのが火星。……って、瑠璃様、聞いてます?」
返事がない。綾部が横を見ると、そこには既に二人の姿はなかった。
「……まったく。勝手にどっか行きましたね」
少し離れた場所、草の斜面に並んで座っている奏多と瑠璃。眼前に広がる光景は圧巻だった。
東京では絶対に見られない、天の川が肉眼でくっきりと見える満天の星空。星が降ってきそうとはまさにこのことで、風が吹くたびに星の粒がざわめくように瞬いている。
「……すごいな。本当に、空いっぱいに星が詰まってる……」
いつもの賑やかさが嘘のように、奏多も小さく呟いた。隣に座る瑠璃は、すっと彼の肩にそっと頭を預けている。
「こんなの……テレビでも見たことありませんわ。ねえ、奏多様」
「ん?」
「わたくしたち、今この星空を二人占めしてますのよ?」
見上げた瑠璃の横顔に星明かりが落ちる。サファイアの瞳に無数の光が映り込んで、まるで宝石箱をひっくり返したように美しかった。
その横顔に見惚れながら、奏多は照れくさそうに頭をかいた。
「……だな。星もすげぇけどさ……」
「……ん、なんですの?」
「いや。……ただ、こうして隣にいるのが瑠璃でよかったなって」
ぼそっと呟いたその言葉に、瑠璃はハッとしたように目を見開く。
「っ……! もう、急にそんなこと言わないでくださいまし……!」
顔を真っ赤にしてパタパタと手で風を送る瑠璃。照れ隠しにそっぽを向こうとした彼女の肩を、奏多は少しだけ強く引き寄せた。
「こういうの得意じゃないからさ……。こんなんで、ちゃんと俺の気持ち伝わってる? 不安にさせてないか?」
不器用に紡がれたその言葉に、今度は瑠璃が胸を突かれたように息を呑む。
夜風に混じって聞こえた奏多の真剣な呟きに、瑠璃は胸がいっぱいになり、一層深くその肩へと体を預けた。
「……ちゃんと、伝わってますわよ。」
……でも、と頬を真っ赤に染めながら、恥ずかしそうにはにかみながら瑠璃は続ける。
「 そうやって一生懸命伝えてくれるのは、すごく……嬉しいですわ。だから、気が向いたときでいいので、もっとたくさん言ってくださいまし……?」
恥ずかしそうに頬を染めながらも、彼女は一層深くその肩へと体を預けたのだった。
満天の星空の下、しばらく二人で波の音を聞きながら並んで座っていたが、昼間からはしゃぎ通しだったせいか、ふっと瑠璃が小さく欠伸をもらす。
「……ふぁ……。なんだか、急に眠気が……」
「そりゃそうだろ。昨日も遅かったし、昼間は海で散々暴れてたんだからな」
クスッと笑いながら奏多が言うと、瑠璃は不服そうに「むぅ」と小さく抗議の声をあげる。
「仕方がありませんわ。だって、今日が楽しすぎましたもの……」
トロンと潤んだ瞳でそう呟く瑠璃のまぶたは、もう限界と言わんばかりに重たそうにパチパチと瞬いている。
「ほら、歩けるか? ヴィラに戻るぞ」
そっと差し出された奏多の手を取ると、瑠璃はその温もりに安心したように小さくうなずいた。
少し離れた木の陰から、靴が草を踏みしめる静かな音が聞こえた。
そこには、灯りを抑えたランタンを手にした綾部が、静かにたたずんでいた。
「……夜風が冷えてきましたよ」
二人の会話を邪魔しないよう、静かで落ち着いたトーンで告げる綾部。過度に冷やかすわけでもなく、けれど二人の距離感を見て取ったように、どこか柔らかな眼差しを向けている。
「……あ、綾部……。いてくれたのですね」
「ええ、おふたりを置いて先に帰るわけにはいきませんから。……楽しんでいただけたなら何よりです」
綾部は「さ、足元に気をつけて」とランタンで足元を優しく照らしてくれた。
綾部の静かな案内に導かれ、三人は夜の小道を静かに歩いてヴィラへと引き返していった。
部屋に戻るやいなや、二人はふかふかのベッドへと倒れ込む。
ベッドに潜り込んだ瞬間、心地よい疲労感が全身を包み込み、まぶたが自然と閉じていく。
「……おやすみなさいませ、奏多様」
「あぁ、おやすみ、瑠璃」
繋いだままの指先から伝わる体温を確かめながら、二人は穏やかな眠りの中へと落ちていくのだった。




