第二十六話 ハートアイランド編
そして母親の後押しもあり、正式に付き合うことになった奏多と瑠璃。
麗華はというと
「邪魔者はここら辺で退散するわね」
なんて軽口を叩いていた。
実のところは、二人の状況や関係も知っていて
初めからこういう結末に導くために奏多の人となりを見定めにやってきたのだろう。
麗華が「じゃ、若い二人の邪魔はしないわね〜」
少しの談笑を経てから優雅に手をひらひらと振りながら、ヴィラを出ていった。専属のメイドや黒服を数名従え、到着したときと同じように、あっという間にその姿が消えていく。
残されたのは奏多、瑠璃、そして綾部の三人。大きな窓の外からは穏やかな波の音が聞こえ、傾いた夕陽がインフィニティプールの水面を美しいオレンジ色に染め上げていた。
「……つ、付き合ってる」
ソファに深く腰掛けた瑠璃が、自分の両手で真っ赤になった頬を押さえ、信じられないという顔でぽつりと呟いた。さっきからもう同じ言葉を五回は繰り返している。
「わたくし、奏多様の彼女……彼女ですのよね? これ、夢じゃありませんわよね……?」
「……まぎれもない現実ですよ。私もしっかりと確認いたしました」
綾部が淡々と告げると、その言葉を待っていたかのように、瑠璃が弾けるように勢いよく奏多の胸へと飛び込んできた。
「やったぁぁぁーーっ!! 奏多様ぁ! 大好きですわぁ! もう、こうなったらお祝いにちゅ〜していいですわよね!? 彼女ですもの! もう絶対に逃がしませんわ!」
目を輝かせながら、むにゅっと唇を突き出して真っ直ぐに迫ってくる瑠璃。そのあまりの勢いに奏多がたじろいだ瞬間、彼女の背後からスッと黒い影が伸びた。
綾部が何の迷いもなく、片手で瑠璃の襟首をひょいと掴み、無言のまま奏多から鮮やかに引き剥がす。
「ちょっ、綾部! なんですのよ急に! 邪魔しないでくださいまし!」
「……節度を保ってください。まだ交際初日です」
「初日だからこそいいんですの! 初日のキメが肝心なんですのよ!」
ジタバタと両手を暴れさせる瑠璃を、綾部は涼しい顔で華麗にいなす。
「……奏多様」
ふと、綾部が静かに振り返り、冷徹な美しさを湛えた紫の瞳を奏多に向けた。
「おめでとうございます。晴れて恋人同士となられたわけですが……最後に、執事として一つだけ忠告を」
背筋が凍るような冷気が、空気をスッと引き締める。
「――例の翔様には、まだ一切ご報告しておりません。……心の準備と、強靭な覚悟のほどをよろしくお願いいたします」
背筋を冷たいものが駆け抜ける感覚を必死に押し殺し、奏多はそう自分に言い聞かせるように力無く答えた。
「……そ、そうだな。この旅行の間だけは、全力で幸せを噛みしめて……島を出たら、ご挨拶する覚悟を決めるよ……」
乾いた笑みを浮かべる奏多の横で、綾部はスッと目を細め、どこか冷ややかな笑みを浮かべた。
「賢明な判断です。……もっとも、ただの問題の先送りとも言いますが」
「何の話ですの?」
瑠璃はきょとんと首を傾げ、サファイアの瞳をパチパチと瞬かせた。完全に蚊帳の外である。
「瑠璃様は、これ以上知らなくていいお話です」
「またそうやって二人で仲間外れにしますの!? もう、ぷんぷん!」
瑠璃が両頬を思い切り膨らませてぷりぷり怒っているが、綾部は完全にスルーした。もはや日常茶飯事の光景である。
その時、上品なノックの音が響いて部屋のドアが開き、専属メイドの一人が顔をのぞかせた。
「失礼いたします。夕食の準備が整いました。テラスの方へお席をご用意しております」
メイドに導かれてテラスへと足を踏み出すと、そこは現実離れした別世界が広がっていた。
水平線に太陽がちょうど半分ほど沈みかけ、南国の空はオレンジからピンク、そして深い紫へと息をのむような美しいグラデーションを描いている。
テーブルの上にはキャンドルが静かに揺らめき、どこからか優美な生演奏のヴァイオリンの旋律が流れていた。
「わぁ……! すてきですわ……!」
瑠璃が感動したように駆け出そうとして、ふとハッと足を止めた。
そして、恥ずかしそうに頬を染めながら振り返ると、おずおずと奏多の腕に自分の腕をそっと絡ませてくる。
「……こ、恋人っぽいこと、してみましたの。へ、変……じゃないですわよね?」
腕越しに柔らかい感触と、わずかに震える体温が伝わってくる。華奢な体が少し密着しすぎている気もするが、上目遣いでこちらを見る彼女の瞳には、愛おしさと照れくささが入り混じっていた。
「……あの、新婚さんみたいなイチャイチャは、夕食を召し上がってからになさっては如何ですか?」
少し離れた席から、綾部が淡々とした口調で冷やかすように声を飛ばす。
「黙っててちょうだい綾部!」
瑠璃は顔を真っ赤にして叫び、片手でぷるぷると綾部を指差した。
テラスを吹き抜ける南国の夜風が、二人の揺れる髪を優しく撫でる。
束の間の、あまりにも甘い平穏。――だが、この楽園の島を出たあとに待ち構えているであろう修羅場を想像すると、目の前に広がる美しすぎる夕焼けすら、どこか儚く切なく見えてしまうのだった。




