第二十四話 ハートアイランド編
「――って、いつまでこの炎天下で立ち話をしてるんですか。日焼けでお肌に響きますし、まずはヴィラに入りましょう」
綾部が呆れたように冷ややかな視線を向け、手元のタブレットを操作する。その無駄のない仕草に呼応するように、滑走路の端から一瞬にして最高級のストレッチリムジンが滑らかに滑り込んできた。
移動した車内でも、麗華の容赦ない尋問は途切れることがなかった。そして、ようやくたどり着いた島の中央にそびえる白亜の宮殿――いや、もはや一つのリゾートホテル規模を誇る超豪華ヴィラで、一同は広大なリビングへと通された。
吹き抜けの天井に優雅に回るシーリングファン、足元で冷たく光る高級大理石、そして窓の外には青い空と海へシームレスに繋がるインフィニティプールが広がる。
一般人の語彙では到底形容できない、圧倒的な贅沢が詰まった空間だった。
メイドが淹れてくれた極上のアイスティーを片手に、奏多は麗華と向かい合ってソファに腰掛けている。
その隣では、瑠璃が「もう、お母様っていじわるですわ……!」とそわそわと落ち着かない様子で身体を揺らし、綾部はまるで彫像のように壁際で静かに控えていた。
「――で、ぶっちゃけた話どうなの? 手は出したの?」
ソファに深く腰掛けた麗華が、アイスティーのグラスを傾けながら、容赦のない直球を投げてくる。
その圧倒的な女帝のオーラに気圧されつつも、奏多はぐっと拳を握りしめ、逃げずに麗華の目を真っ直ぐに見据えた。ここで嘘をついたりごまかしたりすれば、それこそ男がすたるというものだ。
「は, はい……! その、お嬢様には……指一本、触れておりません!」
奏多のきっぱりとした宣言に、隣のソファで瑠璃が「ちょっ、お母様なんてことを……!」と真っ赤になって顔を両手で覆う。
「ふうん? お互い好き合ってるんでしょ? なんでまたそんなお預け状態なわけ?」
「それは……その……」
奏多が少し言葉を詰まらせたのは、他でもない、瑠璃に対する本気の恋心ゆえだった。
毎朝の突撃を必死に押し返しながらも、自分の想いをぶつけてくれる瑠璃の愛しさは、痛いほど分かっている。
お互いに「好きだ」と伝え合い、心はしっかりと通じ合っているという自負もあった。だからこそ、彼女を大切にしたいという想いが勝るのだ。
「自分の身分や立場を考えると、おいそれと踏み出していいものかという葛藤がございまして……。それに、今はまだ『友達以上恋人未満』の段階ですが、こうしてちゃんとお互いの気持ちを確かめ合えているだけで、俺にとっては十分すぎるほど幸せなんです」
少し照れくさそうに、しかし誠実にそう語る奏多の横顔を見て、瑠璃はさらに顔を赤く染め、胸元で小さくスカートの裾をギュッと握りしめた。
そんな二人の様子を見かねたように、壁際に控えていた綾部が静かに一歩前へ出た。
「失礼いたします、麗華様。補足させていただきますと、奏多様には奏多様なりのご事情がございまして。ご自身の身分差を気にされておられますし、現在はまだ『友達以上恋人未満』という慎ましい関係を維持なさっています。お互いに好意を言葉にして伝え合ってはいるものの、そうした背景から、これ以上の進展にはあえて踏み込んでいないというのが実情でございます」
綾部が淡々と事実を告げると、麗華は「なるほどねぇ」と楽しそうに小さく相槌を打った。
「たしかに、うちの家柄と比べたら色々と思うところもあるだろうし、お堅いところがあるのね。お互いに好意を伝え合ってるのに、そこから先へ踏み出さないなんて……健全じゃない。つまんなーい」
麗華は艶やかな唇を尖らせ、これまた面白そうに肩をすくめてみせる。
「つ、つまんなくありませんわ! わたくしたちはいたって清い交際をしていますの!」
瑠璃が慌てて抗議の声をあげるが、母親はどこ吹く風といった様子でさらに追撃をかけた。
「清い? まさかキスもまだしてないわけ?」
「……ちゅ、ちゅ〜は、しようとしましたわ! でも毎回あの手この手で逃げられて……!」
あろうことか、瑠璃が自分で致命的な情報をポロリと漏らしてしまう。その瞬間、麗華は怪訝そうに美しい眉をひそめ、じっと奏多に視線を向けた。
「逃げる? なんで?」
それはもう、この上なく純粋な疑問という顔だった。この女の辞書には「娘からのアプローチを男側が全力で拒否する」という概念そのものが存在しないらしい。
「……補足させていただきますと、瑠璃様は毎朝、奏多様の自宅のベッドルームにまで突撃しては強引に唇を奪おうとし、それを奏多様が命がけで阻止するという不毛な攻防を毎日のように繰り返しております」
「あ、綾部ぇ! そこまで詳らかに報告しなくていいですわよ!」
瑠璃が羞恥心のあまり叫び声をあげるが、麗華は「あはは!」と再びお腹を抱えて笑った。
「なにそれ、めちゃくちゃ面白い子ねぇ! ねえ奏多くん、何がそんなにダメなの? うちの自慢の娘じゃご不満?」
にっこりと笑いながら、恐ろしいほどの核心を突いてくる。さすが一代で世界的な巨大財閥を築き上げた女傑。世間話の皮を被った尋問のテクニックは、あまりにも巧妙かつ容赦がなかった。
「い、いや不満とかそういうのじゃなくてですね……!」
冷や汗をダラダラと滝のように流す奏多を見て、麗華はふっと満足そうに息をついた。
「――まあ、いいわ。そのウブさと誠実さは一応認めてあげる」
麗華は優雅にグラスを持ち上げ、グラスの中で氷をからりと鳴らす。
「でもね、親としてはちょっと心配なのよねぇ」
グラスの縁を人差し指でなぞりながら、彼女は妖艶に微笑んだ。
「瑠璃ったら、これでも恋愛経験ゼロのピュアちゃんでしょ? このままだと、お互いがおじいちゃんおばあちゃんになるまでキスもできないまま終わっちゃうんじゃないかって、ママは夜も眠れなくなるの」
「うっ……それは、その……」
完全に図星を突かれたのか、瑠璃が顔を茹でダコのように真っ赤にして完全にフリーズする。
そして次の瞬間、麗華はふっと身を乗り出した。豊かな胸元がテーブルの上へと迫り、圧倒的な迫力で奏多を間近からじっと見据える。
「奏多くんのこと気に入ったわ。だからね、この旅行中に、『既成事実』を作っちゃいなさい。ママ公認で、ね?」




