第二話 世界が違う二人の、波乱の幕開け
放課後のチャイムが鳴った瞬間、一日中続いた好奇と嫉妬の嵐からようやく解放された。
朝からの質問攻め、心無い冷やかし、見知らぬ学生からの「調子に乗るなよ」という警告まで、実に散々な一日だった。
ため息をつきながらスマートフォンを開くと、見知らぬ番号から大量の通知が届いている。
送信者は「らぶ♡るり」という、なんとも主張の激しい名前のアカウントだった。
「奏多様ぁ~! お昼ですわよ! 一緒に食べたかったですわ」
「今何の授業ですの? わたくしのこと考えてます?」
「5限って長いですわね……迎えに行ってよろしい?」
「綾部に止められましたの!でも行きたいですわ♡」
「あと40分! あと35分!」
「30分!」
律儀なカウントダウンに目眩を覚えつつ、時刻を確認する。
現在15時58分。一応、放課後は16時と伝えていた。残り2分で時間だ。
校門の外へ出ると、案の定、不自然な人だかりができていた。ざわめきの中心には、明らかにこの大学の関係者ではない金髪の少女が立っている。
ただ、朝とは様子が違った。なぜかジャージ姿で、髪も高くツインテールにまとめている。
奏多の姿を見つけた瞬間、彼女は大きく腕を振った。
「奏多様ーーー!! お待ちしておりましたわぁ!! 見てくださいまし、わたくし庶民スタイルで参りましたの!!」
毎日こんな風に押しかけられては、目立つしたまったものではない。
内心そうぼやきつつも、奏多は瑠璃の勢いに流されるまま、遊びに行くことになった。
庶民コースなんて銘打って
ゲーセン、カラオケ、ファミレスと行くことにした
これで散々な目に遭えば、庶民とセレブの住む世界の乖離を実感して諦めてくれるはず
――そんな淡い期待は、あっさりと裏切られることになる。
ゲーセン。まずここで、瑠璃は洗礼を受けた。
「これが……ゲームセンター……!? 騒がしいですわね! でも、あのぴかぴか光ってる箱はなんですの!?」
クレーンゲームに興味津々で食いつく瑠璃だが、百円玉を投入する仕組みが理解できないらしい。
「お金を入れる穴が小さすぎますわ!」
と叫び、財布からブラックカードを取り出そうとする始末だ。当然、カードリーダーなどついているはずもない。
三回連続の失敗で涙目になり、瑠璃が奏多にしがみついてきた。
「取れませんわぁ……! あのうさちゃん、どうしても欲しいのにぃ……!」
結局奏多が300円でさくっと取ってやると、瑠璃は世界一の宝物を手にしたかのような顔ではしゃぎ回った。
その後プリクラに入れば、「盛れますわ!」と目を輝かせ、勝手に全フレームにハートやキスマークを落書きして占拠した。
カラオケ。ここでは瑠璃の本領が発揮された。
防音室に入るなり世界的なロックバンドを呼ぼうとしたが、綾部に即座に止められている。
仕方なくタッチパネルと格闘する瑠璃だが、すぐに限界が訪れた。
「……この機械、操作がさっぱりわかりませんわ」
結局奏多が適当に曲を入れると、瑠璃は聞いたこともないアニソンを全力で熱唱し始めた。
音程は壊滅的だったが、本人は心から楽しそうに声を張り上げていた。
そしてファミレス。全国チェーンの、どこにでもある安い店。
メニューを開いた瑠璃は、
「ハンバーグ……ドリア……パフェ……ぜ、全部安いですわ……!」
と衝撃を受けていた。
だが次の瞬間、彼女の顔がぱっと輝く。
隣の席の女子高生グループが、山盛りのフライドポテトをシェアして盛り上がっているのを見たのだ。
「奏多様っ! あれ! あれやりたいですわ! ポテトを一緒に食べるやつ!」
諦める気配など、微塵もなかった。
「あの、天宮さん。俺と君とじゃ住む世界が違うなって、そう思わない? 一緒にいて本当に楽しくないでしょ?」
ポテトをつまんだ瑠璃の手がぴたりと止まった。
きょとんとした顔で奏多を見つめ、それから眉がきゅっと下がる。
「住む世界が違う……? 楽しいかって……?」
もぐ、とポテトを一本頬張り、瑠璃は首を傾げる。本気で意味がわからないという表情だ。
「パン一個で感動する世界のわたくしです。100円のクレーンゲームも最高に楽しかったですわ。奏多様の世界とそれって、そんなに違いますの?」
瑠璃はテーブルに身を乗り出し、奏多を真っ直ぐに見据える。
「今日、わたくし初めてクレーンに負けて悔しくて泣きそうになりましたわ。プリクラも初めてでしたし、落書きってあんなに楽しいんですのね。カラオケも音は外しましたけれど」
「えへへ」と瑠璃は笑った。
「全部、初めてですの。誰かと同じ場所で、同じことして笑うの」
ファミレスの蛍光灯の下、ジャージ姿の金髪ツインテールの令嬢は、場違いなはずなのに妙にこの場所に馴染んでいた。瑠璃はさらに顔を近づけ、真剣な眼差しを向ける。
「むしろ確信しましたわ。わたくし、こっち側に来たい。奏多様のいる側に」
ファミレスの離れた席で天宮家のSPと一緒に綾部がブラックコーヒーを啜りながら天井を仰いでいた。その口から、小声で独り言が漏れる。
「……これ、逆効果じゃないですか?」
最初は、庶民とのあまりの格差を突きつけて、瑠璃に夢から覚めてもらおうと考えていた。だが、純粋に「初めての体験」を喜び、満面の笑みで「楽しかった」と笑う瑠璃を見ていると、自然と「楽しんでくれてよかった」という温かな気持ちが胸の内に芽生えていた。
「まあ、そのー……なんだ? 俺も最初は困惑したけど、純粋に楽しかったよ。また機会があれば、令嬢の知らない庶民の世界を教えてあげてもいいけど」
社交辞令ではない。奏多が素直な感想を伝えると。
瑠璃は一瞬、時が止まったかのように硬直した。
それから――。
「……また、って言いましたわよね?」
瑠璃の声が低く、静かに震えている。怒っているのではない。瑠璃の大きな瞳に、じわじわと熱い涙が溜まっていた。
「また会ってくれるってことですわよね!? 『機会があれば』って! それ、約束ですわよね!?」
瑠璃はバンッとテーブルを叩いて立ち上がった。周囲の客たちが驚いてこちらを振り返り、店員も慌てた様子で視線を向けてくる。
だが、そんなことなど瑠璃の耳には届かない。彼女は満面の笑みを浮かべ、両手で奏多の手をぎゅっと包み込んだ。
「やったぁ……! 奏多様から『次も』って言ってくださった……!」
その時、ファミレスのドアが開き、綾部が入ってきた。手には精算済みのレシートが握られている。
「瑠璃様、そろそろお時間です。本日のスケジュールが……」
「いやですわ」
「……はい?」
「今日は帰りませんわ。ここに泊まりますの」
綾部の紫の瞳がスッと細められる。
「ファミレスに? 正気ですか」
「だって奏多様が次いつ会えるかわからないんですもの! 帰って連絡が来なかったら、わたくし絶望で死んでしまいますわ!」
瑠璃は力説している。
すると綾部がちらりと奏多の方へ視線を投げた。「なんとかしてください」と言わんばかりの、すがるような目線だ。
(おいおい……これは、次の約束を今すぐ取り付けないと帰ってくれない流れじゃん!)
奏多は自身の迂闊な発言を悔いつつも、目の前でうるうると瞳を揺らす瑠璃を前に、逃げ場を失っていた。
奏多が口を開きかけた、その瞬間だった。ファミレス内に異変が走る。
入口から数人の男たちが入ってきた。派手な髪色に、どう見ても堅気ではない威圧的な雰囲気。
先頭の大柄な男がサングラスを外し、店内を品定めするように見回した。
「おうおう、ちょっとどけや」高圧的な態度で店内を進んでいく男達。
奥の席にいた強面の集団の仲間らしく、合流して十人ほどのグループになった。酒が入ってるメンバーもいるのか彼らの声は際限なく大きくなっていく。
「つーかさっきからうるせぇんだよな、あの金髪のガキと冴えない男のテーブルがよー」
先ほどの瑠璃がテーブルを叩いた音を指しているのだろう。
一人のチンピラが立ち上がり、こちらに向かって不躾に歩いてきた。
「お嬢ちゃんさぁ、ちょっと静かにしてくんない? こっちは大事な話してんだわ」
瑠璃は奏多の手を握ったまま、何事かときょとんとした顔で見上げる。
「あら、どちら様ですの?」
その瞬間、綾部が瞬時に瑠璃と奏多の前に割って入った。
表情は変わらないが、彼女が纏う空気は氷のように冷たく、鋭利な刃物のような殺気を帯びている。
「失礼ですが、どなたですか」
綾部の冷静な対応に、男は鼻で笑った。
「あ? なんだ姉ちゃん、邪魔すんなよ」
男が、綾部の肩越しに瑠璃の肩を乱暴に掴もうと手を伸ばした。
言葉よりも先に、奏多の身体が動いた。男の手を力強く振り払うと、奏多は静かに、しかし毅然とした態度で言い放った。
「すいません、瑠璃に触らないで貰えますか? 」
それは勢いで出た言葉だった。
「もう自分達も退店するところなんで…うるさくしてご迷惑おかけしました、申し訳なかったです。」
その瞬間、店内の空気が凍りついた。周囲の客たちが息を呑み、沈黙が支配する。
男は自身の振り払われた手を見下ろし、それから奏多の顔を獰猛に睨み上げた。額には青筋が浮かんでいる。
「あぁ? なんだテメェ。ヒーロー気取りか?」
奥の席から椅子を激しく蹴り飛ばし、男の仲間たちがぞろぞろと立ち上がった。十人ほどの屈強な男たちが、奏多たちを半円状に囲み始める。
「おいおい、一般人が調子こいてんじゃねぇぞ」
そんな状況下で、奏多の背中を見上げた瑠璃は、目をまんまるに見開いていた。その頬が、恐怖ではなく別の感情でほんのり赤く染まっている。
「か、奏多様……今、わたくしのこと……」
綾部は小さく舌打ちをすると、即座に状況を分析した。出口までの距離、人数、体格差。無意識のうちにポケットの中でスマートフォンに触れ、いつでも通報できる態勢をとる。
男がさらに一歩詰め寄り、奏多の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。
「謝れや。土下座しろ。そしたら許してやるよ」
店の奥では、店長らしき中年男性が警察へ通報しようとしているが、手が震えて番号さえまともに押せていない。
他の客たちは完全にスマートフォンを構えた野次馬と化し、この不穏な光景を記録しようとしていた。




