第一話 箱入り令嬢の全力フルスイング!
校門前で、天宮家の財閥令嬢の瑠璃は待ち構えていた。
周囲の学生たちが呆気にとられて道を空ける中、真っ白な特注の制服に身を包んだ彼女は、奏多を見つけるやいなや、サファイアブルーの瞳を輝かせて軽やかに駆け寄ってくる。
「奏多様ぁ~! 今日もとっても素敵な朝ですわ♡」
奏多が困惑して足を止めると、瑠璃は隙間もないほどにぐいっと距離を詰めた。
「今日はわたくしと一緒に過ごしましょう! 綾部、手配してた物をお願いします!」
背後に控えていた綾部は、やれやれと大げさな溜め息をつく。
「……本気でやるおつもりですか、瑠璃様。本当に、ご自身の立場というものを理解されていますか?」
呆れ果てた口調だが、その手つきは迷いなくスマートフォンを取り出し、手際よく指示を飛ばしていた。
数分も経たないうちに、大学の校門前に黒塗りのリムジンがゆったりと横付けされる。
瑠璃は誇らしげに手を広げ、奏多を誘った。
「さあ、奏多様!今日はこれからリムジンでお出かけですわよ♡」
(……本当に、どうしてこうも強引なんでしょう、この方は……)
綾部は小声で毒づきながらも、その紫の瞳には、まるで上質な芝居でも観劇しているかのような微かな愉悦が宿っていた。
奏多は突然の訪問に呆気に取られる。
「スケールがおかしいでしょ……っていうか、なんで俺!?」
瑠璃はサファイアブルーの瞳をまんまるに見開いて、きょとんとした顔で首をかしげる。
「え? なぜって……そんなの、奏多様が好きだからに決まってますわ!」
頬をほんのりピンクに染めながら、両手で奏多の服の袖をきゅっと掴む。
「理由なんて必要ですの? わたくしが好きになった方と一緒にいたい。それだけですわ♡」
綾部は腕を組み、冷ややかな紫の目で瑠璃と奏多を交互に見る。
「……いきなり『好き』とか言っちゃうの、本当に恋愛偏差値ゼロですね、この方」
綾部の言葉にプンスカと怒った瑠璃が振り返る。
「綾部っ! 余計なこと言わないでくださいっ! ぷんぷん!」
再び奏多に向き直り、上目遣いで見つめる。その距離、およそ30センチ。
「ね、ねぇ奏多様……迷惑、ですの?」
「いや、流石にこれはやりすぎ……。ちょっと一旦落ち着いて?」
ぴたっと動きが止まる。大きな瞳がうるうると潤み始めた。
「や、やりすぎ……? わたくし、何か間違えましたの……?」
奏多から一歩後ずさりして、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。
綾部が冷静に状況を観察しながら、気だるげに口を開く。
「ほら、言ったじゃないですか。初対面に近い相手にリムジン突撃はドン引きされるって、昨日の時点で忠告しましたよね」
「うっ……だ、だって綾部が『押せば落ちます』って……!」
「言ってません。一言も。捏造しないでください、バカ」
目に涙を溜めながら、それでも瑠璃は奏多から離れようとせず、むしろまたじりじりと距離を詰めてくる。
「お、落ち着きましたわ……! だから、ちゃんとお話聞かせてくださいまし……? わたくしのこと、嫌いですの……?」
声が震えている。財力ではどうにもならない壁にぶち当たって、完全にパニック寸前の顔だった。
少女のあまりの真剣さに迷惑だと切り伏せるのも気が引けた。そして奏多は慎重に答える。
「好きも嫌いも突然すぎて困惑してるわけで……。初めましてじゃなかったっけ?一体どんなきっかけで俺のことを?」
ぱあっと表情が明るくなり、涙が引っ込む。切り替えの速さが異常だった。
「聞いてくださいますの!? 聞いてくれるんですのね!?」
嬉しさのあまり、奏多の手を両手でがしっと握る。
「あれは先週の月曜日、わたくしがお弁当を忘れて中庭で途方に暮れていた時のことですわ……」
綾部が遠くを見る目で補足する。
「……あの日、瑠璃様は三ツ星シェフの弁当を屋敷に置き忘れたことに気づかず、芝生の上で『わたくしの人生終わりですわ』と泣いていました」
「綾部! そこは省略していいところですわ!」
「事実です」
こほんと咳払いして、瑠璃は握った手にさらに力を込める。
「その時、通りすがりの奏多様が『これ食べなよ』って自販機のパンをくださったんですの……!」
瞳がきらきらと輝く。
「あの優しさに、わたくしのハートがずきゅんって撃ち抜かれましたの! あのパンの味、一生忘れませんわ! 焼きそばパンでしたわ!」
「……パン一つで落ちたんですか。チョロすぎません?」
綾部が呆れたように言い放った。
「へ? それだけでリムジンで突撃してきたの?」
奏多の言葉に、瑠璃はぶんぶんと首を縦に振る。金髪のウェーブがふわふわと揺れた。
「それだけとは失礼ですわ! あのパンはわたくしにとって命の恩、つまり運命の出会いですのよ!」
さらに奏多に顔を近づけ、鼻先が触れそうな距離で力説する。
「しかもですの、あの時奏多様、わたくしがお金持ちのお嬢様だと知っても全然態度変えなかったでしょう? あれがもう……たまらなくて……!」
綾部が背後で額を押さえている。
「……普通は変えるものなんですか、態度」
「変えますの! みんな変わりますの! 『お嬢様ぁ』とか言ってすりすりしてくるか、怖がって逃げるかの二択ですわ!」
ぷくっと頬を膨らませてから、またすぐ奏多を見上げる。
「でも奏多様はお礼がしたいと伝えても『気にしないで』って言って去っていかれて……あの背中を見た瞬間、心臓がばっくばくで……!」
「……で、その後私に調査を命じたと」
「ええ! 奏多様の名前、住所、血液型、好きな食べ物、全部調べましたわ!」
「ストーカーですよね、それ」
辛辣な綾部のツッコミ。漫才のようなテンポ。
奏多はそこで綾部に耳打ちする。
「えっと……この子は誰にでも相当惚れっぽい子なの?」
綾部は奏多に耳打ちされ、一瞬だけ目を伏せてから淡々と答える。
「いいえ。瑠璃様が誰かに『好き』と言ったのは、これが人生初です。恋愛経験はゼロ、初恋があなた様」
ちらりと瑠璃の方を見て、声を落とす。
「……だからこそ厄介なんです。ブレーキが壊れてるので」
二人がひそひそ話しているのに気づき、サファイアブルーの目がすっと細くなる。
「ちょっと! 何こそこそ話してますの!? わたくしを仲間外れにしないでくださいまし!」
ぐいっと二人の間に割り込み、奏多の腕にしがみつく。柔らかい感触がぎゅうっと押し付けられた。
「奏多様は今、わたくしの話をしてましたわよね? ね? なんて言ってましたの?」
綾部はすっと一歩引き、他人のフリをする。完全に見捨てる体勢だ。
「綾部ぇ!? 逃げないでくださいっ!」
「今から講義だから……。放課後少しなら時間あるけど?」
内心しまったと思った時には遅かった。
その言葉を聞いた瞬間、目がぱああっと太陽みたいに輝いた。
「放課後!? 会ってくださるんですの!?」
しがみついていた腕をさらにぎゅうっと締め上げる。もはや抱きついているに等しい。
「やったぁ! 約束ですわよ! 絶対ですわよ! 逃げたらヘリで探しに行きますわ!」
綾部が即座にスマートフォンを操作し始める。
「瑠璃様、ヘリは目立ちすぎるのでドローンにしてください。追跡用の」
「それもダメですわ! 怖がらせちゃうでしょう!?」
「パン一個でリムジンで突撃しちゃう人間の台詞とは思えませんね」
綾部を無視して、瑠璃はポケットから小さな紙を取り出した。ピンクのリボンがかかったカードだ。
「はい、これ! わたくしの連絡先ですわ♡ 」
にこにこと満面の笑みを浮かべながら、ふと奏多の顔を覗き込む。
「あ、それと……講義中、他の女の子とお喋りしちゃダメですからね?」
「……彼女でもないのに束縛して初日からフルスロットルですね。先が思いやられますよ」
奏多は綾部に耳打ちする。
「……たしかに記憶は蘇ってきたけど、天宮財閥の瑠璃ちゃんだよね。俺そこまで恩を売った覚えもないからリムジンとかやめてくれ。せめて庶民の接し方で頼みたい」
綾部は二度目の耳打ちに、わずかに目を見開いてから小さく頷いた。
「……なるほど。瑠璃様との出会いの記憶はあるんですね」
少し考え込むように視線を逸らしてから、静かに答える。
「了解しました。庶民的な付き合い方、私から瑠璃様に……まあ、無駄だと思いますが、一応伝えておきます」
二度目の耳打ちに、今度は瑠璃が完全にブチ切れた。
「もうっ!! また二人でこそこそ!! わたくし怒りますわよ!? ぷんぷん!」
地団駄を踏んでから、ふと奏多の言葉の後半部分が耳に入ったらしい。ぴたりと止まった。
「……え? 今、なんとおっしゃいましたの?」
瑠璃は聞き間違いであってほしいという顔で固まっていた。「リムジンをやめてくれ」という部分が脳内でぐるぐると反響している。
「り、リムジン……ダメ、ですの?」
声のトーンが急激にしぼんでいく。
「じゃあ……せめてハイヤー……」
「同じです、それ」
「タクシー……」
「何も変わってません」
「俺はバス、電車、自転車しかほぼ使ったことねーぞ……」
スケールの違いに改めて気付かされて苦笑いで呟く。
バス、電車、自転車という単語を聞いて、瑠璃はまるで未知の言語を聞いたかのように口をぽかんと開けた。
「ば、バス……? あの、路線バスですの? わたくし乗ったことありませんわ……」
綾部が、無表情のままぼそりと呟く。
「電車もないですね。専用車両かプライベートジェットが基本なので」
しばらく沈黙した後、瑠璃はふるふると肩を震わせ始めた。泣くのかと思いきや、その目にはめらめらと炎が灯っている。
「……わかりましたわ」
「……は?」
びしっと奏多を指差す。
「わたくし、バスも電車も自転車も制覇してみせますわ! 奏多様と同じものを体験して、庶民の気持ちを理解する……これぞ愛の力ですわ!」
綾部がこめかみを押さえる。
「いや、普通に危ないんですが。満員電車に瑠璃様を放り込んだら大事故になりますよ。痴漢とかじゃなくて、周囲がパニックで」
完全に無視して、瑠璃は奏多に詰め寄る。
「放課後、まずはどこに行けばよろしいんですの!? バス停? 駅? 自転車屋さん? 全部連れてってくださいまし!」
「一先ずさ、ちょっとリムジンも相まってギャラリーが集まって来たから一旦放課後に連絡するから? ね?」
周囲を見渡すと、登校中の生徒たちがざわざわとこちらを遠巻きに眺めていた。スマホを構えている者もちらほらいる。
「あら……見られてますわね。ふふ、注目の的ですわ♡」
「好意的な注目じゃないと思いますけど」
奏多が踵を返そうとした瞬間だった。がしっ。背後から奏多の鞄の持ち手を瑠璃が掴む。
「待ってくださいまし。連絡先、まだもらってませんわ」
すかさず綾部が奏多の前に立ち、無言で手のひらを差し出す。カードリーダー付きの専用端末が握られていた。
「こちらに番号をお願いします。秒で済みますので」
鞄を離さないまま、瑠璃がぐすぐすと甘えた声を出す。
「放課後まで長すぎますわぁ……授業中に奏多様のこと考えすぎて死んじゃったらどうしますの……」
「死にません。早く離してあげてください。奏多様が遅刻してしまいます。」
そう言ってその場を後にする。奏多は振り返らずに校舎へ向かって歩き出した。背中に瑠璃と綾部の気配を感じつつ、ようやく平穏が戻った……と思ったのも束の間。
教室に入った途端、空気が変わった。
クラスメイトたちの視線が一斉に奏多に突き刺さる。ひそひそ話があちこちから聞こえてきた。
「おい見たかよ、朝のあれ。金髪のめっちゃ可愛い子がリムジンで……」
「しかもあの子、天宮瑠璃じゃない? 天宮グループの……」
「えっ、なんであんな子がうちの大学に?」
「あの男に抱きついてたぞ。誰だよあいつ」
スマホの画面を見せ合う者もいる。どうやら誰かが撮影していたらしく、SNSにもう動画が上がり始めていた。「#リムジンJK」というハッシュタグがすでにトレンド入りしかけている。
クラスの強面な男子が、奏多の席の前に立ちはだかる。
「おい、お前。あの子なに? 説明しろよ」
詰め寄られ、奏多は溜息をこらえながら自分の心境を整理する。
(説明しろと言われても……俺にだって、何が起きてるのかさっぱりだ)
俺、星野奏多は、高等部からエスカレーター式に入学した大学に通うごくありふれた大学生だ。
趣味は読書と散歩、バイト代でやり繰りする生活に不満はない。
朝食はコンビニのパンで済ませ、講義には自転車で通う。そんな、どこにでもいる「その他大勢」の一人だ。
それが今日から突然、あの財閥令嬢の少女に人生をジャックされようとしている。
天宮瑠璃——天宮グループの令嬢。世界を動かすような財閥の人間が、なぜ学食の焼きそばパンに運命を感じるのか。しかも執事の綾部まで引き連れて、リムジンで校門を突破するなんて。
(俺はただ、空腹そうにしていた高等部の少女にパンを一つ渡しただけなのに)
振り返れば、俺と彼女たちの間に共通点なんて何一つない。
瑠璃は天真爛漫で甘えん坊、そして恋愛偏差値が壊滅的に低い超・積極派。対する綾部は、28歳にして完璧な立ち居振る舞いを見せる冷静沈着な執事だが、なぜか瑠璃の奇行を止めつつも、内心ではどこか楽しんでいる節がある。
そんな、住む世界の違う人間に理不尽なまでの好意を注がれる理由がわからない。
周囲の視線はより一層熱を帯び、SNSの通知音がそこかしこで鳴っている。奏多はこめかみを押さえ、覚悟を決めて顔を上げた。
「……信じてもらえないかもしれないけど、彼女とはやきそばパンひとつの縁しかないんだよ」




