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22/30

オレンジ色の告白

週末の朝、カーテンの隙間から差し込む淡い光で凛音は目を覚ました。


時計を見ると、まだ午前六時。いつもなら二度寝する時間だが、今日は違う。胸の奥がざわついて、とても眠れなかった。


ベッドから抜け出し、洗面台の鏡の前に立つ。寝癖のついた髪、むくんだ瞼、すっぴんの自分。三年前、蒼太に初めて助けてもらった夜も、きっとこんな顔をしていた。


「今日……蒼太くんから返事を聞く日」


声に出すと、現実味が増して足が震えた。鏡の中の自分は、今にも泣き出しそうな顔をしている。


深呼吸を三回。四回。五回。


「どんな答えでも……ちゃんと受け止める」


自分に言い聞かせるように呟く。でも、心臓は全然落ち着かない。三年間、ずっと夢見てきた「彼女」という立場。もし叶うなら、どうしていいかわからなくなりそうだ。


手のひらを見ると、細かく震えていた。爪が食い込むほど強く握りしめても、震えは止まらない。


「でも、できれば……お願い……」


最後の言葉は、誰にも聞こえないほど小さかった。


窓の外では、冬の朝日がゆっくりと昇り始めている。今日という一日が、凛音にとって特別な一日になる——そんな予感が、胸の奥で静かに渦巻いていた。



壁一枚隔てた隣の部屋。蒼太もまた、落ち着かない時間を過ごしていた。


テーブルの上のリモコンを無意味に並べ直す。ソファのクッションの位置を変える。また元に戻す。普段なら絶対にしない行動だった。


壁掛け時計の針は午後三時を指している。凛音が来るのは六時の約束。まだ三時間もある。


「何から話せばいいんだ」


頭の中で何度もリハーサルをしてきた。だが、いざ本番が近づくと、用意した言葉がすべて霧散していくような感覚に襲われる。


クリスマスにもらった紺色のマフラーが、椅子の背もたれにかけてあった。凛音が一ヶ月かけて編んでくれたもの。不揃いな編み目に、彼女の想いが詰まっている。


手に取ると、まだ温もりが残っているような気がした。


三年間。凛音は俺のことを想い続けていた。終電を逃して泣いていたあの夜から、ずっと。


「でも、ちゃんと伝えないと」


蒼太は小さく呟いた。凛音の三年間に、自分の言葉でちゃんと応えたい。それだけは、絶対に。


窓の外では、冬の柔らかな陽光が街を照らしていた。



午後六時。凛音は蒼太の部屋の前に立っていた。


たった数メートルの距離。何度も通った廊下。見慣れたドア。なのに、今日はすべてが違って見える。


インターホンに手を伸ばすが、指が動かない。心臓が痛いほど鳴っている。耳の奥で血流の音がする。


「大丈夫。大丈夫……」


何度も自分に言い聞かせて、ようやく指がボタンに触れた。


ピンポーン。


その音が、妙に大きく響いた気がした。


数秒後、ドアが開く。蒼太が立っていた。いつもの黒髪、いつもの無表情。でも、どこか緊張しているように見えた。


「入って」


たった三文字。それだけで、凛音の足は勝手に動いた。


「う、うん……」


玄関で靴を脱ぐ手がもつれる。つまずきそうになり、慌てて壁に手をつく。蒼太は何も言わず、リビングへ先に歩いていった。


その背中を見ながら、凛音は思った。


三年間、この背中を追いかけてきた。今日、ようやく答えを聞ける。



二人はソファに並んで座った。


間に一人分の空間を空けて。近すぎず、遠すぎない距離。それでも凛音には、蒼太の体温が感じられるような気がした。


沈黙が落ちた。


窓の外では、夕暮れの空がオレンジ色に染まり始めている。部屋の中は薄暗く、どちらも電気をつけようとはしなかった。


凛音は俯いたまま、自分の膝の上で組んだ手を見つめている。指先が白くなるほど力が入っている。


蒼太は何度か口を開きかけた。そして、また閉じた。言葉を探しているのがわかる。


時計の秒針の音だけが、やけに大きく聞こえた。


一分。二分。永遠のように長い時間。


ようやく、蒼太が息を吸う音がした。


「……あの」


凛音の心臓が跳ね上がる。


「……うん」


声が震えないように、精一杯の返事をした。



蒼太は前を向いたまま、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「正直、まだ自分の気持ちがよくわからなかった」


凛音は息を呑んだ。蒼太の声は低く、静かだった。感情を押し殺しているようにも聞こえる。


「でも、考えて、答えが出た」


凛音は蒼太の横顔を見つめた。いつもの無表情。でも、その目は真剣そのものだった。


心臓が破裂しそうだった。凛音は無意識に、ソファの布を握りしめていた。


蒼太が次の言葉を発するまでの数秒間、世界が止まったように感じた。


「俺は、普通で、面白みもなくて、刺激もない男だ」


蒼太の言葉に、凛音は思わず顔を上げた。


「それはお前が一番知ってるはずだ」


違う。そんなことない。凛音は口を開きかけた。


「そんなこと——」


しかし、蒼太が手を軽く上げて制した。まだ話は終わっていない、という合図。凛音は言葉を飲み込んだ。


「元カノにも言われた。つまらない、刺激がないって」


蒼太の声には、自嘲のような響きがあった。過去の傷を自分で抉るような痛々しさ。


「だから最初、お前が俺を好きだって言った時、信じられなかった」


凛音は黙って聞いていた。今は、蒼太の言葉を遮ってはいけない。そう直感した。


「派手で、明るくて、俺とは正反対のお前が……なんで俺なんだって」


蒼太は一度言葉を切った。そして、ゆっくりと凛音の方を向いた。


「でも」


その目が、凛音を真っ直ぐに見つめていた。



「でも、お前がそれでいいって言うなら」


蒼太の目は、いつになく真剣だった。いつもの無表情の奥に、確かな熱があった。


「俺は、お前のこと、好きだ」


その言葉が、凛音の耳に届いた瞬間。


世界が、一変した。


視界がぼやける。涙が溢れ出していた。止めようとしても、止められない。三年間溜め込んできた想いが、一気に溢れ出すように。


凛音の頬を、温かいものが伝い落ちていった。


「今のって……」


凛音は涙声で言った。


「告白⁉」


蒼太は少し困ったような顔をした。


「……たぶん」


「たぶんじゃなくて!」


凛音は涙を拭いながら、少し笑った。泣きながら笑うという、器用なのか不器用なのかわからない表情。


蒼太は姿勢を正し、改めて凛音を見つめた。


「好きだ。付き合ってほしい」


今度は、迷いのない声だった。


凛音の涙が、また溢れた。でも今度は、嬉し涙だとはっきりわかった。三年間、ずっと夢見てきた瞬間。やっと、やっと叶った。


「うん……うん!」


何度も、何度も頷いた。視界は涙でぼやけていて、蒼太の顔がよく見えない。でも、その存在だけは確かに感じられた。


三年間待った。三年間、片想いを続けた。弁当を作り、偶然を装って会い、話しかける勇気も出せないまま、ただ見つめ続けた三年間。


その全てが、報われた瞬間だった。


凛音は我慢できなくなって、蒼太に抱きついた。


「わっ……」


蒼太は明らかに動揺した。体が強張るのがわかる。でも、凛音は離れなかった。


「三年……長かった……」


凛音の声は、蒼太の胸に押し付けられてくぐもっていた。


数秒の戸惑いの後、蒼太の腕がゆっくりと凛音の背中に回った。ぎこちなく、でも確かに、抱きしめ返してくれた。


「……これからは、隣にいる」


蒼太が小さく呟いた。


凛音の心臓がまた跳ねた。顔を上げると、蒼太は相変わらず無表情に近い顔をしていた。でも、耳が少し赤くなっているのが見えた。


「うん……楽しみにしてる」


凛音は笑った。涙と笑顔がごちゃ混ぜになった、人生で一番幸せな顔をしていた。



しばらく抱き合った後、二人は少し離れてソファに座り直した。凛音の目は真っ赤に腫れていて、メイクは完全に崩れていた。でも、そんなことはどうでもよかった。


「ねえ、蒼太くん」


凛音は少し不安そうな顔で言った。


「私、重いよ?」


蒼太は即答した。


「知ってる」


凛音は目を丸くした。


「知ってるの⁉」


「三年前から俺を想ってて、同じマンションに引っ越してきて、攻略ノートまで書いてた女が、軽いわけないだろ」


「っ……それ言う⁉」


凛音は顔を真っ赤にした。でも蒼太は続けた。


「それでいいの?」


不安そうな凛音の問いに、蒼太は真っ直ぐに答えた。


「お前の重さは、俺にはちょうどいい」


その言葉に、凛音はまた泣きそうになった。でも今度は、笑いながら泣いた。



窓の外は、すっかり夕暮れ時になっていた。オレンジ色の光が部屋に差し込み、二人を柔らかく包んでいる。


凛音は蒼太の肩に頭を預けていた。涙は止まったが、離れる気はなかった。蒼太も、もう戸惑う様子はなかった。


「蒼太くん……」


「なに」


「好き」


単純な言葉。でも、三年間の想いが全部詰まった二文字。


蒼太は少し間を置いて、答えた。


「……俺も」


相変わらず、言葉は少ない。でも凛音には、それで十分だった。蒼太の「俺も」には、彼なりの精一杯の想いが込められているとわかるから。


部屋はオレンジ色の光に満ちていた。冬の夕暮れは短い。でも、この瞬間だけは永遠に続いてほしいと思った。


三年越しの片想いが、両想いに変わった夜。二人の関係は、今日から新しい形へと進んでいく。


隣の部屋の、壁一枚隔てた距離。でも今は、その距離すらゼロになった気がした。


——これからも、ずっと一緒に。


凛音は心の中で、そう誓った。蒼太の温もりを感じながら、これから始まる「恋人」としての日々に、胸を躍らせていた。

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