クリスマスの約束
クリスマスを目前に控え、街はすっかり華やいでいた。
ショーウィンドウにはきらびやかなオーナメントが飾られ、どこからともなくクリスマスソングが流れてくる。赤と緑のリースが店先を彩り、イルミネーションが夜の街を華やかに包み込む季節。
アパレルブランドのオフィスでも、その空気は変わらない。凛音のデスクの周りでは、同僚たちがクリスマスの予定について盛り上がっていた。
「ねえねえ、もうすぐクリスマスだよ〜!予定決まった?」
同僚の一人が弾むような声で話題を振る。すると別の同僚も身を乗り出してきた。
「私は彼氏とディナー予約してる〜。凛音は?」
突然話を振られ、凛音は作業していた手を止める。
蒼太くんとの距離は、確かに縮まっている。看病してもらった時、「クリスマス、楽しみにしてるんだから」と言ったら、「約束する」と答えてくれた。でも——あれから具体的な話は何もない。
「え、あ、まだ……決まってなくて」
しどろもどろに答えると、同僚たちが「えー!」と声を上げた。
「いい感じの人いるんでしょ?初クリスマスじゃん!」
「凛音が気になってる人、料理上手なんでしょ?手作りディナーとか期待しちゃうよね」
「いいなー、手料理とかロマンチック」
周囲の言葉が耳に入ってくるが、凛音の頭の中は別のことでいっぱいだった。
クリスマス。蒼太くんと二人きりで過ごすクリスマス。
想像しただけで顔が熱くなる。約束はしてくれた。でも——あれから何も言ってこない。具体的にどうするのか、どこで、何時に。それが分からないまま、日だけが過ぎていく。
「あ、あはは……そう、だね……」
曖昧に笑ってごまかしながら、凛音はスマホをちらりと見た。蒼太からの連絡は、いつも通りの日常的なやり取りだけ。クリスマスの具体的な話は出てこない。
三年間片思いしてきた相手。やっとここまで来れた。毎日一緒にご飯を食べて、休日は一緒に買い物に行って。それだけで十分すぎるほど幸せなのに、これ以上を求めていいのだろうか。
凛音は小さくため息をついた。
蒼太くんから、ちゃんと誘ってほしい——でも、自分から催促なんてできない。
胸の中でそう呟いて、凛音は再びパソコンの画面に視線を戻した。
同じ頃、蒼太は会社の休憩室で缶コーヒーを開けていた。
「お前、クリスマスどうすんの?」
その瞬間、翔真がにやにやしながら隣に座ってきた。蒼太は思わず手を止める。
「……なんだよ、急に」
「急にじゃねーだろ。もう来週だぞ。最近いい感じなんだろ、隣のギャルの子と。ちゃんとエスコートしろよ」
翔真の言葉に、蒼太は視線を逸らした。
凛音とは、確かにいい感じだと思う。毎日顔を合わせて、一緒にご飯を食べて、LINEでやり取りして。熱を出した時は、一晩中看病してくれた。「クリスマス、楽しみにしてる」と言われて、「約束する」と答えた。
凛音を喜ばせたい。一緒にクリスマスを過ごしたい。その気持ちはとっくにある。ただ、具体的にどう誘えばいいのかが——分からない。
「いや、一緒に過ごすつもりではいるんだけど……」
言葉を濁す蒼太に、翔真は呆れたようにため息をついた。
「つもり?つもりじゃ駄目だろ。ちゃんと誘ったのか?」
「……まだ」
「出た、お前のそれ。頭で考えてるだけで行動しないやつ」
「……別に」
「いいか、聞けよ」
翔真は身を乗り出し、蒼太の目を真っ直ぐに見据えた。金髪にピアスという陽キャ全開の見た目からは想像できないほど、その目は真剣だった。
「お前から具体的に誘わないと、あの子ずっと待ってるぞ。三年も片思いしてたような重い女だから、自分からは絶対催促できないタイプだ」
図星だった。
凛音がそういう性格なのは、最近よく分かっている。弁当を渡す時も、一緒に過ごしたいと言う時も、いつも遠回しで、言い訳がましくて。
「……わかってる」
「わかってるなら動け。お前がリードしてやらないと」
翔真は立ち上がり、蒼太の肩を叩いた。
「だから言っただろ?お前から動かないと、何も始まんねーんだよ」
そう言い残して、翔真は休憩室を出ていった。
残された蒼太は、缶コーヒーを啜りながら考え込む。
自分から、リードして——か。
午後、経理部のデスクに戻っても、蒼太の頭の中は仕事とは全く別のことでいっぱいだった。
凛音と二人で過ごすクリスマス。俺の部屋で、手作りの料理を用意して、二人で食卓を囲む。
想像してみる。凛音はきっと、いつものように大げさに感動してくれるだろう。「すごい!」とか「おいしい!」とか、目をキラキラさせながら。そして、ふとした瞬間に顔を赤くして、視線を逸らす。
そういう姿を見るのが——見たい。
凛音を喜ばせたい気持ちはある。クリスマスに何を作ろうか、何を贈ろうか、ずっと考えてきた。でも、肝心の「誘う」という行動を起こせていなかった。
翔真の言う通りだった。気持ちがあるだけじゃ駄目だ。ちゃんと自分から誘わないと。
直接言おう。今夜。
その方がいい。仕事が終わるのが、急に待ち遠しくなった。
夜八時、マンションの廊下。
蒼太は凛音の部屋の前に立っていた。インターホンを押す指が、わずかに震える。普段なら何とも思わない動作のはずなのに、今日は妙に緊張する。
ピンポーン。
チャイムの音が静かな廊下に響く。しばらくして、扉の向こうから慌ただしい物音が聞こえてきた。
ドタドタという足音、何かが倒れる音。
「ちょっと待って!」
凛音の声。蒼太は思わず口元が緩んだ。いつもこうだ。
ガチャリと扉が開く。凛音は少し髪が乱れた状態で、それでも精一杯平静を装おうとしていた。ハイトーンカラーの髪が蛍光灯の光を反射している。
「そ、蒼太くん?どうしたの、こんな時間に」
「ああ……その」
蒼太は一度言葉を切った。言いたいことは決まっているのに、いざとなると上手く出てこない。凛音が不安そうにこちらを見上げている。その視線に押されるように、蒼太は口を開いた。
「クリスマス、空いてたら……俺の部屋で飯食わないか。ちゃんとしたの作るから」
自分でも驚くほど、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。でも、それが精一杯だった。
凛音は一瞬、時が止まったかのように固まった。
「え……クリスマスに……二人で……?」
やっとの思いで声を絞り出す。確認しないと信じられなかった。
蒼太は少し視線を逸らしながら答えた。
「まあ、そういうことになるな」
沈黙が続く。蒼太が居心地悪そうに髪を掻いた。
「……嫌なら——」
「行く!!」
凛音は反射的に叫んでいた。声が裏返ったのも気にならない。
「行く、絶対行く!予定とかないし!全然暇だし!」
言い訳がましいのは分かっている。でも、止められなかった。
蒼太がわずかに目を見開き、それから小さく笑った。
「そうか」
その一言に、凛音の顔がさらに熱くなる。
「あ、あの、私もプレゼント用意する!」
勢いで口走ってしまった言葉に、蒼太が「別にいい——」と言う前に、凛音は続けた。
「用意させて。お願い」
懇願するような声に、蒼太は少し考えてから頷いた。
「……わかった」
「じゃあ24日、夕方6時」
「うん……!」
蒼太はそう言い残して、自分の部屋に戻っていった。凛音は「うん」と返事をして、ゆっくりと扉を閉めた。
カチャリ、と鍵がかかる音。
その瞬間——凛音はその場にしゃがみ込んだ。膝から力が抜けて、立っていられなかった。
「クリスマス……蒼太くんと二人で……」
震える声で呟く。心臓がまだバクバクと暴れている。
三年間。終電を逃したあの夜から、ずっと想い続けてきた人。同じマンションに住んでいるのに、話しかける勇気がなくて。やっと勇気を出して弁当を渡して。距離が縮まって。
そして今——クリスマスを一緒に過ごせる。ちゃんと、誘ってもらえた。
「……夢じゃない、よね」
両手で頬を叩く。痛い。夢じゃない。
「やば……やばいやばいやばい」
興奮で言葉がまとまらない。涙がじわりと滲んできた。嬉しすぎて、どうにかなりそうだった。
落ち着きを取り戻した凛音は——いや、全く落ち着いていなかったが——クローゼットの前に立っていた。
「何着ていこう……」
扉を開けると、カラフルな服たちが出迎える。アパレル勤務の特権で、流行りの服は一通り揃っている。でも、どれもしっくりこない。
「これは派手すぎ……」
露出度高めのワンピースを引っ張り出しては、首を振る。
「これは地味すぎ……」
シンプルなニットを手に取っては、ベッドに投げる。気づけば、ベッドの上には服の山ができていた。
「ほどよくおしゃれで、でも気合い入れすぎてない感じで、でも特別感があって……無理じゃん」
凛音は服の山に突っ伏した。そして、ふと顔を上げる。
「プレゼントも用意しなきゃ!」
スマホを取り出し、「クリスマス プレゼント 彼氏」と検索する。財布、時計、アクセサリー……どれもしっくりこない。
「買ったものより、手作りのほうが……気持ち、伝わるかな」
画面に「手作り」という文字が目に入った。
「マフラー……編めるかな」
三年間、蒼太くんのことを想ってきた。その時間を、何かに込めたい。寒い冬、蒼太くんの首元を温めるマフラー。毎日それを巻いてくれたら——
「蒼太くんのために、頑張る」
凛音はスマホで編み物の動画を検索し始めた。毛糸の種類、編み方の基本、初心者向けのマフラーの作り方。やることは山積みだった。でも、不思議と苦じゃなかった。
それから数日間、凛音の夜は編み物に費やされた。
仕事から帰宅し、夕食を済ませると、すぐに毛糸と編み棒に向かう。紺色の毛糸を選んだ。蒼太くんの雰囲気に合う、落ち着いた色。
「……また間違えた」
何度目かの失敗に、凛音は小さくため息をついた。目を落としてしまい、編み目がガタガタになっている。ほどいて、やり直し。YouTubeの動画を何度も巻き戻しながら、同じ動作を繰り返す。
不器用な指が、ゆっくりと編み目を作っていく。
蒼太くんは、こうやって料理を作ってくれている。何度も失敗しながら、それでも自分のために。だから、自分も——
「でも、蒼太くんのためだから」
声に出して、自分を奮い立たせる。窓の外では、街のイルミネーションがきらきらと輝いている。クリスマスまで、あと少し。
「三年越しのクリスマス……絶対に成功させる」
マフラーはまだ半分も完成していない。でも、きっと間に合わせる。この三年間の想いを、全部この編み目に込めるのだ。
同じ頃、壁一枚隔てた蒼太の部屋。
蒼太はキッチンに立ち、冷蔵庫の中身を確認していた。クリスマスのメニューを考えているのだ。
「チキンはローストで……ケーキも、作るか」
ノートにメモを取りながら、献立を組み立てていく。前菜、サラダ、メインのチキン、スープ。そして手作りのケーキ。
普段なら買って済ませるところだ。でも、今回は違う。全部手作りで、凛音を迎えたい。
蒼太は自分の考えに少し驚いた。いつからこんなに、誰かを喜ばせたいと思うようになったのだろう。
凛音の顔が頭に浮かぶ。「すごい!」と目を輝かせる姿。「おいしい」と幸せそうに笑う姿。何度見ても飽きない。見るたびに、胸が温かくなる。
「あいつ、喜んでくれるかな」
小さく呟いて、蒼太は買い物リストを作り始めた。
クリスマスまで、あと少し。
壁の向こうで、凛音が同じ夜を過ごしていることを、蒼太はまだ知らない。二人の想いが、静かに十二月の夜を彩っていた。
——恋人として迎える初めてのクリスマス。凛音の手作りプレゼントは、蒼太を喜ばせることができるのか。




