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◆ ジェシカの軌跡11 初対面のご挨拶




 明け方を報せる(いち)の鐘が遠くの方で鳴り響く。

 それを合図にして、濃い噴煙と共にヤニ臭い煤が暗い空に解き放たれた。

 近所のパン焼き(かまど)から朝一番の煙が立ち昇り始めた。


 「…んん……」

 竈前に並ぶ女性達の抱える籠からは、小麦の匂いが仄かに漂い、私の鼻腔をくすぐった。

 「良い…かおり……。ふぁあ…」

 密集した建物。複雑に入り組み、死角の多い屋根の上。

 私はそこで、大きな欠伸(あくび)と共に目を覚ました。


 「…っくし!……ふうぅ…(さみ)ぃ…」

 聖教国の年平均気温は然程高くない。

 もう季節は初夏。といえども朝晩は結構冷える。


 屋根壁無しの廃墟や、野天で石を枕にするのは慣れている。

 けれど、流石に屋根の上は寒かった。

 包まっていたマントはあるけれど、上掛けくらいの簡易品。

 動きの邪魔をしない軽装用なので、薄くて軽い。なので防寒機能はほとんど無い。


 昨夜の打ち合わせ後、私は火事になった屋敷から少し離れた場所まで移動して、一眠りした。

 汚れた屋根の上で寝た所為でお気にのマントは埃まみれ。

 襟元の匂いを嗅ぐ。

 「うっ…!」

 思わず眉をしかめた。


 汗、ホコリ、空の煤。

 髪を固める油のかおり。

 夕べ潜った貧民街、其処で纏った汚物臭(におい)

 それらが混在した体臭。

 家が燃やされていなかったならば、全て着替えられた(リセットできた)ものばかり。


 ああ!!

 …エレノア様から頂いた(がめた)高級ドレス。

 …密輸品からちょろまかした宝飾品コレクション。

 …一年分の食費に匹敵するお気にの靴。

 …そして!……家財一式の弁償代。

 …ああ、胃が……痛い…。

 クソ放火犯め…見つけたら、その首〇〇してやる…!!!

 ……………ふぅ。

 それは追々考えるとして。先ずは……


 私は立ち上がって息を吐いた。

 膝や肩を伸ばして、固まった筋肉を解す。

 「さて…行きますか……」

 朝の冷えた空気を腹一杯に吸込み、まだ暗い彼誰(かわたれ)の街の空に飛び出した。



 「…良い椅子使ってるわねぇ…」


 二の鐘と共に目を覚ましたピオニー商会の長・チャプラ=ウディア。

 彼女が鍵をあけて執務室の扉を開くと、突然、部屋の中から声を掛けられた。反射的に身体が強張る。

 椅子は窓の外を向いていて、座っている相手の顔は分からない。

 背は低く、座る椅子の背から僅かに覗き見える髪色は赤。そして、その声は成人前の少女のものだった。


 チャプラは息を吐き、警戒しながら口を開いた。

 「…まだ店は開けてないのだけれど…?

 こんな朝早くから面会の予約を入れてたかな…お嬢さん?」

 抱いた恐怖を悟られない様に、彼女は出来るだけ自然に振舞った。


 …手に汗がにじむ。

 呼吸が速くなる…。


 昨夜、チャプラ(わたし)は店の自室に泊まり込んだ。

 この部屋の向かいの寝室で、私は呑気に寝息を立てていた。

 私の商会(テリトリー)に他人が居るとは…。声を掛けられるまで、微塵も考えていなかった。

 着替えて髪を整え、軽食をとり、仕事道具を準備する。

 その間、向かい部屋(このへや)に居座る人の気配には、全く気付かなかった…!


 店には自分しか居ないと思い込み、無警戒に扉を開けた事を彼女は後悔していた。


 「おかしな事を言うのね?

 招待状を寄越したのは貴女でしょう?」

 彼女の問に、少女の声が応えた。

 「…招待状?私が?」

 …何を言っている?

 チャプラは震える声を押さえつけた。


 「前触れを寄越さなかった事は謝罪するわ。

 でも、日時を指定しなかったのはそちらよ?」

 相変わらず顔を見せない少女。

 身動(みじろ)ぎ出来ないチャプラ。

 「…それは失礼。いらして居たのなら声を掛けて下されば良かったのに…」

 …何のことか解らないけど、少女(こいつ)には私の『怯え』を悟られたくない。これ以上の不覚はとれない。


 「あら…そう?

 でも、気持ち良さそうに寝てたから…起こすのは可哀想かな…と思ってね。

 起きるまで、こちらで待たせてもらったわ。

 …可愛らしい寝間着でしたわね。リリー&ニンフェンの新作かしら?」

 どっと汗が噴き出した。

 瞳孔が開き、鼓動が速くなる。

 …寝室の鍵は壊されていなかった。

 そう言えば、この執務室(へや)の鍵も……


 「ああ…ごめんなさい。怯えさせるつもりはなかったのよ?

 …少し落ち着いて下さる?」

 優しく語り掛けてくる少女の声が、死神の口から漏れる瘴気の様に身体に纏わりつき、チャプラ(彼女)の心臓を締め上げた。

 その時、椅子がクルリと回り、射し込む朝日の中に少女の顔が見えた。


 …見覚えの無い顔。

 目を惹くのは印象的な色の髪。陽の光を受けて燃える様に……

 齢は十と二、三くらい?

 どう見ても成人前の少女。なのに…凄く怖い……

 この私が…?こんな小さな少女に怯えてる?


 静かに微笑む柔らかな顔は、チャプラの視線を釘付けにした。

 少女の不気味な笑顔が、目を逸らす事を許さなかった。


 「ま…真逆(まさか)…、貴女がキビシュ…様…なのか?」

 チャプラは唾を飲み込み、声を絞り出した。


 …顔を知らない私達のボス。

 『女性』だろう…と言う事しか知らない。齢も知らない。

 普通なら、こんな少女が組織のボスの筈はないと考えるのに…。

 なのに、私は目の前の少女がボスだとしても不思議とは思わないだろうと、納得してしまっていた。

 それだけの『畏怖』が、この少女には()()


 少女はキョトンとした顔の後、溜息をつきながら口を開いた。

 「あ〜〜、残念……。

 キビシュの封筒を残していったから、貴女ならキビシュに繋がるかと思ったのに…。

 自分達のボスの顔も知らないのか……」

 そう言いながら、頭を掻いた。


 …封筒…?………あっ…!

 「実働部隊にすら正体を明かしてないのねぇ。

 思っていた以上に警戒心の強い奴なのね……」

 大袈裟に項垂れる赤髪の少女。


 「まさか、ルブラム家の…!」

 …昨夜の今朝だぞ!?

 半日も経たずに私の商会(アジト)を突き止められた…!?


 「正解よ。

 はじめまして。

 わたくしはイスカ=ルブラム。本名はジェシカと申します」

 赤髪の少女は椅子から降りて、恭しく礼をする。

 スカートの代わりにマントの裾を持ちながら、カーテシーの様な姿勢で小さく膝を曲げた。


 顔を上げた少女(ジェシカ)に見つめられ、私は金縛りにあったかの様に動けなくなった。

 何故なら、少女の瞳の中に私の師である老剣士と同じ、『強烈な死の匂い』を感じ取ってしまったから。




 

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