◆ ジェシカの軌跡10 燃やされたんですけど!?
弟妹を寝かしつけた後、小ざっぱりしたお仕着せに着替えた色黒の男の子は、呑屋街へと向かった。
私は再度、屋根上を伝い、彼を追った。
彼の足取りは若干軽い。少し浮かれている様にも見える。
キビシュの縄張りの中に居るという安堵?
それとも弟妹達の無事を確認したから?
私は己の胸の内に溜まる澱を感じ、小さく目を伏せた。
彼は路上で寝ころがる酔っ払いや、目を逸らすならず者達を横目に、再開発地区に隣接する商業区画へと駆けて行った。
私は少し離れて後を追う。近付き過ぎず遠過ぎず。
気を付けるのは待ち伏せと尾行。
見失わない様に。でも警戒は怠らない様に。神経を研ぎ澄ます。
一区画離れた距離から、私は彼を覗き見る。
相変わらず警戒してはいるが、私には気付いていない。
自然な足取りで大通りから細い路地へと入る。
気配の消し方はなかなか上手い。
彼は周囲を一瞥した後、とある看板を掲げた店の裏口へと入って行った。
『ピオニー・パンクリア』。
看板の絵柄からすると、衣料品を主として香水なども扱う商店らしい。
柔らかい意匠の表玄関、丸みを帯びた高級な硝子窓。
上品に纏まっている外観から、女性向けの高級品類を取り扱っている事が一目で判る店舗設計となっている。
とても、スラムマフィアのフロント企業とは思えない。
…成る程、コンセプトがルブラム商会と被る。キビシュも女性向け衣料品を扱っているのね…。
私は周辺の建物を見回し、ピオニー・パンクリアの屋内が覗ける丁度良い場所を見つけ、隠れ潜んだ。
夜も深い刻限にも拘らず、執務室には灯りが点っている。そして、窓際の机には白髮の女性が座っている。
窓に背を向けているので、顔は見えない。
…随分と大柄な女性ね。鍛えているのかな?ゆったりした服に隠された筋肉が凄い。
皮膚の張りと髪の艶からして…20歳台…前半くらい。真っ白…随分と変わった色の髪と肌ね…。
私の居る場所からは部屋の様子がよく見えた。
覗っていると、色黒の男の子が扉を開けて入って来た。
今晩のことに関する報告を行うみたい。
距離が離れ過ぎている為に、窓ガラスの振動から内容を『聴く』事は出来ない。
しかし、彼の唇の動きを読み、話している内容を予測する事は出来た。
「執務を……朝早く。……朝早く…監視に…」
『あの封筒をラザフォードが見つけるのは明日の朝だと予測している』…と、報告している様子。
報告を終えた後、彼の顔からは緊張が抜け、強張りも緩んだ様に見えた。嬉しそうに笑ってる。
恐らく、白髪の彼女は彼に対して労いの言葉を掛けたのだろう。
…スラムの子供が緊張を緩め、警戒を解く様な上司なのね。思っていたよりも絆は深そう。
彼らの会話の内容から、私の正体が判っての脅しではなく、正体を探る為の脅しであると推察出来た。
その報告を受けている事から、あの白髪の上司も私達の正体には気付いていないと考えられる。
「…ふぅん。どうやら普通の小魚だったか…。
蜘蛛が掛かればラッキーだったのにな…残念…」
…でも、まだ釣り糸は繋がったまま。
キビシュの前哨拠点は確認したし、今日はこれで帰るとしますか……
明日は『お嬢様』をお休みして、この店を調べよう。
私は彼等の拠点を後にし、ルブラム邸へと帰った。
◆
「いや〜、まさか…少し留守にしている間に、いきなり火付けされるとはねぇ」
火に照らされている頬は温かいのに、伝う汗が冷たい。
路地の陰に隠れながら、燃え盛る我が家を眺める私。
巨大な薪組と成り果てた我が家が、夜空を明るく照らしている。
エリンシアが、燃えてしまった家財一式の値段を私に耳打ちする。
…う…吐きそう…
「嫌だけど…エレノア様に相談します…」
これ以上借りを作るのは、ホントーに嫌だけど!
「ジェシカ…エレノア様を女狐呼びはお止め下さい…ッス…」
「あ、間違えた…」
深く溜息をついた。
「…ところで犯人は?」
ベネフィカも三人娘も首を振った。
…ベネフィカは兎も角、手練れのメネアでも気付かなかった?
私が視線を向けると、彼女は申し訳無さそうに目を伏せた。
…石造りの建物だから、直接屋内の家具に火を着けないと、こんなには燃え広がらない筈。なのに…侵入じゃない?
「…となると、火矢か火薬玉でも投げ込まれたのかしら?メネアの警戒範囲外から…」
「…確かに…敷地外から投擲されれば、気付けませんね…ッス」
悔しそうに頭を掻いている。
「…火薬の爆発音等は聴いておりません。
ただ…私達三人とも地階の端、女中部屋に居りましたもので」
「私は寝てたから…。焦げ臭さにメーアが気付いたのよ」
エリンシアもメロディエラも首を振った。
「ベネフィカは?」
「も…申し訳御座いません、お嬢様…。ただ…」
少し、言いづらそうにしている。
「火が回る迄、全く起きなかった愚かな私が…あの…、こう言うのも何なのですが…」
「良いわ。気付いた事があるなら」
ベネフィカは一度唾を飲んでから、口を開いた。
「私はこれでも犯罪組織のボスをやっております…」
上目遣いに私を見る。
…そう言えば、そうだった。
普段の間抜けさの所為で忘れてたわ。
「…で?」
「暗殺には常に気を張っております。
なので、戸締まりに手を抜く事は致しません。寝る前に全ての窓は施錠いたしました」
…ああ…そう言えば、コイツの部屋はいつも頑丈に戸締まりされてたっけ。
私の技術の前では無意味だけど。
「もし火矢や火薬玉を放り込まれれば…当然、窓ガラスが割れます。
そうなれば…ですね、そんな音が響けば、流石に愚かな私でも目を覚ました…と思うのですが……」
私は三人娘の方を見た。
エリンシアが口を開いた。
「わたくし達がラザフォード様を助けに向かう間、割れた窓は御座いませんでした」
メロディエラに視線を向ける。
「煙の所為で正確に把握出来なかったけどね…。同意見よ。
恐らく、割れた窓は無かった。壁や扉の破損も無かった筈よ?
壁紙も床板も焼けていたけれど…穴は無かった」
…メロディエラの能力で気付かなかったのなら、無いのでしょうね。
「方法は解らないけど、キビシュの連中以外にも来訪者が居た…という事は確かなようね」
「誰が?」
首を傾げ、私を見つめるメロディエラ。
…一応、まだ侍女役だって事…忘れてそうね。
歳上の筈なのに幼いわね。コイツ。
「さぁね…。
ただ…恐らくはキビシュの敵対組織でしょうね」
「なんで?」
…少しは自分で考えろよ。この少女。
「メロディ…。
わざわざ波風立てないで出て行ったキビシュの遣いが、ルブラム邸が燃えて得る利益など無いでしょう?」
「…あ、そっか。
置いていった手紙?も、燃えちゃうもんね」
こう見ると、エリーとメロディは母子みたいね。
「可能性が高いというだけよ…
ルブラム商会長を殺そうとした可能性もあるからね」
ベネフィカが身震いした。
私は改めて四人に向き直った。
「思っていた以上に多くの魚が掛かったみたい。
私は、このままキビシュ方面を追跡します。手掛かりを得たのでね」
雰囲気が変わったのを感じ、四人も姿勢を正して私の目を見た。
「貴女達への指令は三つ」
私は指を立てた。
「ひとつ。他組織の動静を探る。
ゴロツキの噂程度でも良いわ」
「それはワシがやりましょう。手下を動員します」
ベネフィカが小さく微笑む。
「ふたつ。鎮火したら、屋敷に忍び込んで焼け残った書類の回収、又は処分をお願いしたい。
…見られるとまずい書類もあるからね」
「それなら私が適任ね。
上手くやる伝手があるわ。任せて」
メロディエラが小さな胸を反らして、自信満々に頷いた。
「みっつ、ベネフィカの護衛。
…今回の放火の狙いがルブラム翁本人だった場合、死体が見つからなければ捜索して、再び刺客を放つでしょうから」
「それならば、わたくしにお任せください」
エリンシアが騎士の作法で敬礼した。
「…それとオマケで、商会運営に支障をきたさない様に、従業員達をサポートしてあげて。」
「残りはアタシッスね。
店を切り盛りしつつ、不審な連中が居ないか目を光らせておくッス」
緊張感の無い返事だけど、目は真剣。
根は真面目なのよね。コイツ。
「あくまで裏からよ。目立たない様に心掛けてね。
警戒されているかもしれないから、変装してね」
「「かしこまりました。お嬢様…」」
四人はしずしずと頭を下げた。
「何かあれば、ベネフィカか私まで…」
私は、これから向かう先の住所を皆に伝えた。
豪奢だった屋敷が薪となり、赤々と照らす空の下、私達は静かに身を隠した。




