◆ 俺が頑張れる理由
「あっ!ペトラ兄ちゃん!
皆〜。ペトラ兄が帰って来たよ!」
窓越しに俺の姿を見たチビが、扉の鍵を開けて俺を迎え入れてくれた。
左官仕上げの外壁は所々剥がれ落ち、窓の風除け板は腐食が進み、全部閉じても隙間風の入るボロの建物。
元々屋根も落ちていたんだが、廃材を利用して俺が修繕した。だから今は雨漏りの心配は無い。…見た目は悪いけどな。
風の強い日には、煽られた屋根の下地板がバタバタと鳴る。なので、煩くてぐっすりとは寝られない事だけが悩み。まぁ…贅沢な悩みってやつだ。
貧相な家だが敷地はあり、外とは隔絶されている内庭に井戸とトイレと竈がある。いちいち危険な屋外に出なくても生活が出来るってわけ。
こんなのでも、この辺りの建物としては随分と安全面に配慮された優良物件だ。
北部から東部へと移って来た際に、チャプラ姉が購入してくれた俺の…俺達の家。
キビシュとの契約上、チャプラ姉には商会を営む義務がある。
なので彼女は、稼ぎのほとんどを店の設備投資と運営費に注ぎ込んでいる。
客の見る場所と商品の仕入れに一番お金を使う。
二番目に税金。三番目に上納金。
最後に余った出涸らしの利益が俺達従業員の給料となり、家の修繕と食糧の備蓄に充てる金が出来る。
今回みたいに特別な仕事をこなせばキビシュへの上納金が免除されるので、その分俺達の給料が増える。
腹いっぱいにメシが食べられる…十分過ぎる幸せだ。
…いや、冬に向けての薪と藁を買い足すのが先か?
準備しなければならない物が沢山あるな……
家に入ると、三人のチビ共が俺に抱き着いて来た。
「先に寝てろと言っただろうが…」
溜息をつきながら、俺は弟妹達の頭を撫でた。
「早くペトラ兄の手伝いが出来る様に、俺達、勉強してたんだ」
「ほら見て!私、正教国の文字で自分の名前を書ける様になったよ」
「俺なんて、帝国文字でも書けるんだぜ!」
「…凄いな、お前等。
もう少し字を覚えれば、チャプラ姉の店で働けるかもな!」
「本当!?チャプラ姉ちゃん、大好き!!」
俺は妹を抱き上げ、頬ずりした。
弟達が、次は俺も!俺も!と騒ぎ出す。
こいつらは俺の弟妹達。血の繋がりなんて無いけどな。
もともと俺と同じスラムに居て、俺と同じ様にチャプラ姉に拾われた浮浪児達。
まだ小さくて仕事の出来ない弟妹達は、昼間はゴミ拾いをし、廃材から釘や硝子を拾い集め、それを鍛冶場や工房に持ち込んで小銭を稼ぐ。
どんなに頑張っても、パンひとつと野菜くずが買える程度しか稼げないけどな。
そして夜は、蝋燭の小さな灯りの下、チャプラ姉から貰った本を見ながら字の勉強をしている。
皆、早くチャプラ姉の役に立ちたいと、必死に頑張っている。
その姿はとても微笑ましく、その態度は誇らしい。
今の俺達は、美味くはなくても飯が食える。
空腹に苦しむ事はない。
商会からは油と蝋燭、白墨等の消耗品が支給される。だから、夜も明かりの下で本が読めるし勉強も出来る。
…蝋燭が安物なので少し脂臭いけどな。香油なんて無いから我慢、我慢。
雨をしのげる。風を防げる。雪に埋もれて死ぬ事が無い。
薪を焚いて暖を取れる。お湯を沸かして身体を拭ける。
こんな暮らし…普通、俺達みたいな者には出来ない。
凄く贅沢な生活だ。
元浮浪児達が屋根付きの家に住み、小銭を稼げて、盗みもせずに、対価を払って食べ物を買える。
こんなに良い暮らしをしていれば、大抵、質の悪い連中に目を付けられる。
ましてや高価な『本』なんて持っていたら、盗られて殺される。それが本来の普通だ。
だけれど、この近隣で俺達に手を出す馬鹿は居ない。
「…癪だが、これもキビシュのお陰なんだよな」
俺達の背後に『キビシュ』が居る。
その噂だけで、連中は近寄らなくなる。
時たま、本当の馬鹿が俺達にちょっかいを掛けて来る事がある。
だが、そういう奴等は次の日には水路に浮かんでいる。
…近頃は滅多に無いけどな。
この辺で馬鹿な連中が水浴びしていても、官憲も捜査官も騎士団も来ない。
来るのは、回収屋と呼ばれる連中だけ。
…回収されたモノが何処に行くのかは、俺も知らない。
税を納めているから官憲連中は見て見ぬ振り。
税を納めないと、そうはいかない。
ウチはチャプラ姉がしっかりと納めてくれている。
なので連中は、キビシュ関係のゴタゴタには首を突っ込んで来ない。
この近所で誰かが浮かんでも、いちいち突っかかっては来ない。
…姉ちゃんだけでなく、貴族や官憲とのパイプを持つキビシュのお陰でもあるんだよな…。
俺は抱き上げていた弟妹を下ろして、再び頭を撫でた。
「済まないが…これからまた、すぐに出掛ける。
チャプラ姉ちゃんの所で、今日の仕事の報告をしないといけないんだ……」
弟妹達は、あからさまにがっかりした顔を見せる。
「え〜…またかよ~」
「でも、お姉ちゃんの所なら、直ぐに帰って来るでしょ?」
「そうだよ。帰って来るまで帝国文字の練習しよ〜」
「いやいや、もう寝ろよ。
夜中にあまり騒ぐと、碌でもない連中が訪ねて来るぞ?」
俺は、藁を詰めた布団に三人を押し込みながら、軽く脅かした。
「お前達みたいな可愛いガキ共は高く売れるからな〜!ハッハッハー!」
布団の上から毛皮をかけると、三人はくすくすと笑った。
「大丈夫だよ!
俺もペトラ兄を見習って、武器の練習してるんだ!
悪い奴らはセイバイしてやる!!」
横になりながら腕を振り回す上の弟。
「そうか…頼もしいな。
俺が居ない間、家の護りは任せたぞ?」
俺は綺麗な服に着替えて、蝋燭の火を吹き消した。
「じゃあな…すぐ戻る」
「行ってらっしゃい…」
俺は扉を閉め、外から鍵をかける。
そして、暗く寝静まった貧民街を静かに走り抜けた。
進む先の景色に色が着き始める。
汚水の臭いが薄れ、酒の匂いが漂って来る。
酔っ払い達の怒声が響き、眠らない街の元気な息遣いが聞こえて来た。
呑屋街の派手な色調は、夜の怖さを塗り潰して強がる子供の様だなと思う。
俺はそんな店々を横目に、薄汚れた石畳を歩き続ける。
それはそのうち、綺麗に舗装された道に変わっていった。
ガス燈の明かりに照らされて、煌々と輝く均された道。
先程までの喧騒は背後で薄れ、歩く人間の種類が変わった事を報せてくれた。
「服装に……違和感ないよな?」
俺は自分の格好を見直し、周囲の人種に紛れているかを確認した。
「…なんて報告するかな」
歩きながら考えていた事は蒐集家の事。
それと、ラザフォード・ルブラムの事。
…アズマという男については、どう話すべきか?
「先に帰ったドロシーが、上手く説明しておいてくれると助かるけどな…おっと、失礼…」
ブツブツ言いながら下を向いて歩いていたら、人にぶつかりそうになった。
すれ違った男は小さく舌打ちをして、通り過ぎて行く。
「ああ…気ぃ抜きすぎだ、俺。
…報告を終える迄が仕事だ」
俺は顔を上げて遠くを見る。
かなり夜も深くなってはいるが、未だに幾つかの商会や店舗には灯りが点っている。
俺は、その内の一つに向けて走り出した。
◆
「………と、計画通りに置いてきたよ」
俺はチャプラ姉に、今夜行った仕事についての報告を済ませた。
「…成る程な。
庭には襲撃訓練された軍用犬。…なのに警備兵はほぼ素人。
そして、ルブラム氏は同業者の可能性が高い…」
先に帰ったドロシー・シャラと、双子から受けた報告、そこに俺の報告を併せ、チャプラ姉はルブラム邸に関する総評を下した。
「なんだか…全てがちぐはぐに感じるな」
俺の思った事と同じ感想を述べた。
「恐らく、執務を始めるのは鐘二つ。
その前に監視に向かうとするよ…」
「いや…朝の監視は別の者に行かせる。
お前は、鐘五つ過ぎにこちらに出てくれれば良い。
…早く帰ってゆっくり休め」
チャプラ姉にしては珍しい物言い。
俺…そんなに疲れた顔をしていたか?
「俺は、まだまだ大丈夫だよ?」
「良いから少し休め。頑張り過ぎだ。
明日は午後から来て、伝票整理の手伝いをしてくれれば良い」
チャプラ姉は無理矢理にでも俺を休ませたいらしい。
…それならば、甘えさせてもらおうか。
弟妹達も休ませて、昼に美味い物でも食わせてやるかな…
俺は、久し振りに時間が取れた事に対して礼を言った。
「じゃあ…言葉に甘えさせて貰うよ。
おやすみ…チャプラ姉ちゃん」
「ああ…おやすみ」
俺は執務室を後にした。
家に帰ると、チビ達は既にぐっすりと寝入っていた。
俺は着替えて、チビ達の間に滑り込む。
「…温かい……」
俺は息を吐き出しながら目を閉じた。
数回呼吸をする間に、意識は静かに沈んでいく。
真っ暗な部屋に響くのは、四つの小さな吐息のみ。
俺は幸せを噛み締めながら、眠りに就いた。
鐘一つより少し前の刻、夜明け前だというのに東区の夜空は明るく照らされていた。
深い眠りに落ちていた俺は、その事に全く気が付かなかった。




