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◆ 応接室前廊下にて




 裏口の鍵を開けて、扉をゆっくりと開く。

 ペトラとトルート・ディルーティア兄妹は静かにルブラム邸の地階へと侵入した。


 地階の廊下は壁も床も、冷たい剥き出しの石造り。

 壁に備え付けられている灯りは、香りの強い香油で獣脂の臭みを誤魔化した蝋燭。

 灯りの数は節約しているのか、かなり少ない。

 「この臭い…嫌いなの…」

 「数が少ないから助かるけどね…気持ち悪…」

 双子がポツリと呟く。

 それを聞いて、ペトラは首をひねった。


 …そっか、この双子は元富豪だったっけ。

 俺の住んでいる地域(スラム)はもっと臭いから、寧ろ良い匂いだとすら思ってしまったけどな…。

 双子の感覚が正しければ、家主が凄くケチなのか?

 それとも、元は身分の低い成り上がりなのか…?

 ますますルブラムという人物が分からなくなる。


 「気を付けろ…

 其処の曲がり角突き当たり、右手の部屋に三人」

 ペトラは、小さな声で双子に注意を促した。


 曲がり角に身を隠しながら通路を覗き込む。

 通路の奥の方、扉の隙間からは仄かな灯りが。

 光のこぼれ出ている部屋の中からは、複数の女性の笑い声が漏れ聴こえて来る。


 「階段はその部屋の手前左側。

 …シャラの言った通りだな」

 その部屋の斜向かいには、上階へと続く石の階段がチラリと見えた。

 「行くぞ……音を立てるな…」

 ペトラを先頭に、足音を殺しながら進む三人。


 「部屋の中には……三人とも居るみたいだ。

 ちっ、ドロシーの言った通りか。つまんねー」

 「楽しそうな笑い声…。貴族の使用人もいいかも…。

 お友達欲しい…」

 「ティア…お前…、友達作れるの?」

 「ルーだって、人のこと言えないくせに…」

 「……お願いだから…静かにして……」

 ペトラは顔を押さえながら、この日何度目かのセリフを口にした。


 「ん…?ねぇねぇ……

 今、廊下から声がしなかった?」

 使用人室の中から、女性の声が聞こえてきた。

 声と同時に扉に近づく足音が。

 ペトラ達は反射的に柱の陰に飛び込んだ。

 三人とも口を押さえてしゃがみ込み、身を縮こまらせた。


 「あら…もしかして幽霊かしら?」

 「ちょっと〜、やめてよね。

 このお屋敷、ただでさえ人が少なくて不気味なんだからさぁ……」

 「モーリスさん達が、仕事サボって戻ってきたのかもよ?」

 扉に手を掛ける音がした。


 「あの人達、いつも仕事サボって私達の邪魔しに来るのよねぇ…。

 お嬢様に言いつけてやろうかしらね」

 「目がいやらしいのよねぇ…」

 「そうそう。どこ見てるか一目瞭然だっての…」

 廊下まで響くヒソヒソ話。

 「アンタ達ね…そういう話はもう少し小さな声で…」

 木の軋む音と共に扉が大きく開かれ、室内の明かりが廊下に漏れ拡がる。

 その光を背にして、一人の女性がひょっこりと顔を出した。


 顔を出し、暗い廊下に向けて目を凝らす女性。

 彼女は、ペトラ達三人の隠れている辺りをじっと見つめた。

 「………あれ?変ね…誰も居ない?」

 そう言いながら首を傾げる。

 「やっぱり幽霊だったんじゃないの?」

 「そういうの、いいから!」

 「……気の所為だったのかしら?」

 女性はゆっくりと顔を引っ込めて、扉を閉じた。

 続けて、扉を施錠する音が廊下に響く。

 部屋の中からは、からかう様な笑い声が小さくくぐもって聞こえてくる。


 「……ふぅ…」

 「危なかったわねぇ…」

 「……行くぞ」

 三人は、足音に気を付けながら階段に足をかけ、一階へと向かった。



 階段を上り、一階の扉をそっと開く。

 「あ…この階は臭くないね」

 「でも、相変わらず暗いね」

 地階と同様に、この階も灯りが少ない。

 壁には蝋燭の代わりに魔導灯が設置されている。

 魔石に魔力を流すだけで強い光が灯るのに、何故か、ほとんど点いていない。

 長い廊下に、等間隔でポツリポツリと光る小さな明かり。

 薄暗いという表現が勝っている。


 「なんで消してるんだろ…」

 「ケチなのかなぁ…?

 地階の蝋燭も臭かったし…」

 「…にしては、この絨毯は高そうよ?」

 「ホントだ。ふかふか。お陰で足音しないね」

 双子が手で床をそっと撫でた。

 天鵞絨(ビロード)の毛が立ちあがり、程よく反発してくる。

 「…俺達にとってはありがたい。行くぞ…」

 ペトラ達は、なるべく光の当たらない陰の中を選んで廊下を進む。

 足音を殺しながら、二階に続く階段の前に到着した。


 「じゃあ、僕らは此処で」

 「階段上がって突き当たりの部屋よね?」

 「ああ…。もしそこが執務室じゃなければ、そのまま脱出してくれれば良い」

 「「了解」」

 ペトラと別れ、双子は音も無く階段を駆け上がる。

 それを見送って、ペトラは一階の執務室を目指して歩き出した。



 ペトラは灯りの漏れる部屋の手前で足を止めた。


 扉は僅かに空いている。

 …ドロシーの『透視』ではこの部屋に二人…恐らくは当主。

 ペトラは息を殺して扉に近づいた。


 廊下には、ほとんど灯りがない。

 対照的に、部屋の中は魔導灯の灯りが煌々と昼間の様に。

 暗い廊下の柱の陰から、扉の隙間を通して部屋の中の様子を確認するペトラ。

 どうやら、この部屋は応接室だったらしい。


 部屋の中で真っ先に目に付くのは、真っ赤な絨毯。

 緻密な柄で彩られ、とても高級そうな物に見える。

 「廊下の絨毯よりも高そう…」

 光をよく反射して、床一面ルビーの草原の様。

 赤絨毯の上には、良く磨かれて光る黒檀のテーブルと黒いソファ。

 スラムでよく見る様な汚い赤と黒ではなく、美しい赤と黒のコントラストに、ペトラはしばし目を奪われた。


 僅かな隙間からでは、部屋の中の『全て』を見る事は出来ない。

 唯一、ソファにどっしりと座る初老の男性の姿だけが覗き見えた。


 …アレが、ラザフォード・ルブラム?

 貴族…っぽくはないなぁ……


 髭も髪も薄い。

 その薄い髪も色が抜け、所々に白髪が見えた。

 対して肌のシワは少なく、老人と言うよりは壮年の肌。


 …もしかしたら、本当はもっと若い?

 見て呉れのせいで老けて見えるのか?…苦労人?


 少々太り気味の体型には、あまり似合っていない高級な部屋着。

 馬に乗ったり、剣を振ったりする様な身体つきにはとても見えない。


 …貴族というより、成金富豪っぽいな。

 どちらかというと同業者に居そうな…


 「…かし、…しかったので…か…?」


 ペトラがじっと見ていると、部屋の中の男が口を開いた。

 誰かに話し掛けているらしかった。

 テーブルの対面ではなく、部屋の隅に居る誰かと喋っている様子。

 だが丁度そこは、ペトラの視野の範囲外。


 …ドロシーの言った通り、この部屋に二人。

 これで、家人は全員。


 「……様、私にも……ていただ……」

 初老の男の声を聴いて、ペトラは違和感を覚えた。


 …今…『様』と言ったか?

 この男が当主のラザフォードではないのか?

 ん……?この声……


 何処かで聞いたことのある声。

 ペトラは思い出そうとして首をひねった。

 その時突然、部屋の中の男が廊下の方に視線を向けた。


 「……!」

 ()()()()様な感覚に陥り、ペトラは反射的に身体を強張らせた。

 だが男は直ぐに視線を戻し、目の前のグラスに手を伸ばした。


 …気の所為か?一瞬、目が合った様に感じたが。

 ……早めに仕事を終わらせよう。


 ペトラは息を吐いて気を落ち着かせる。

 足音を殺しながら、部屋の前を素早く通り過ぎた。



 応接室隣の部屋の前。

 ペトラが扉を軽く押すと、扉は音も立てずに開いた。

 シャラの言った通り、其処は執務室だった。


 壁には帳簿類が並ぶ書棚。

 部屋の奥には立派な執務机。

 応接室で覗き見た黒檀テーブルと同じ素材に見える。


 ペトラは静かに近付き、そっと机に触れてみた。

 冷たくて滑らかな質感を持つ天板の上には、使い込まれた羽根ペンとインク壺。そして、数枚の書類。

 書きかけの書類には、『ルブラム』のサインが入っていた。


 …よし、間違いない。

 此処に封筒を置けば、明日の朝には気付くだろう。


 ペトラは腰袋の中からキビシュの封筒を取り出して、そっと書類の間に忍ばせた。


 …これでひとまず依頼は達成。

 あとは静かに立ち去るだけ。


 ペトラは窓に近づき、そっと鍵を開けた。

 静かに扉を開いてバルコニーに出る。

 「……ふぅ…」

 夜風で冷やされた空気が彼の肺を満たし、透き通る様に頭の中がスッキリとした。


 その時、ペトラは思い出した。

 ラザフォード・ルブラムと思しき男の声。


 …アイツの声、やっぱり聞いたことがあるぞ!

 確か…、中央の裏商会(同業者)

 名前は……くそっ!思い出せない…。

 こういう時にシャラが居てくれれば…。

 ん…?

 …おかしいぞ?

 ドロシーが、中央の連中がラザフォードを調べていると言った。

 もしかして…名前を変えて変装しているのか?

 …中央から追われている奴なのか?


 ……まぁいいか。考えるのは俺の仕事じゃない。

 もし同業者なら、すぐに行動を起こすだろう。

 後はチャプラ姉ちゃんの仕事。

 俺は早く帰ってチビ達の寝顔を見るんだ!


 ペトラは手すりに足を掛け、真っ暗な空に身を躍らせた。

 そのまま夜に溶け込んで、音も無く姿を消した。




 

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