◆ ドロシーの薬品魔術
ペトラは馬車を、公園に設置されている馬つなぎの隣に停止させ、手にしていた手綱を金具に軽く引っ掛けた。
直ぐに移動させられる様にする為、しっかりとは繋がない。
「……よし、ゆっくり休め。声を立てるなよ…良い子だ…。
馬車を繋げたままで苦しいかもしれないけど…、ゴメンな……」
ペトラが優しく馬に語り掛けると、馬たちは彼の言葉を理解しているかの様に頷く。
彼が手を離すと、馬たちは小さく一声鳴いた後、息を吐いて静かに目を閉じた。
「相変わらず、動物の扱いが上手いわねぇ…」
馬車内で潜入用の服に着替え、フードを目深に被ったディルーティアが馬車から降りてきた。
「技術や魔術の枠組みを超えているような才能だよねぇ。
……こいつ、本当は人の言葉が分かるんでしょ?」
続いて、ディルーティアと同じ様な格好をしたトルートが降りてきた。
トルートは、 目を閉じている馬の顔を覗き込む。
立ったまま眠っている様に見える。…が、トルートが顔を近づけると馬は静かに瞼を開けた。
馬は、長い睫毛の下から覗く宝石の様な瞳で、彼の顔をギッと睨み付けた。
「下手な起こし方をするなよ?
…彼女は、俺かシャラにしか身体を触らせない。
つい先日、スラムのチンピラが彼女を盗もうとして鼻を失くした」
ペトラが注意をすると、トルートは伸ばしていた手を引っ込めて、そっと馬から距離を置いた。
「こ…この公園の向こう端…柵の向こうがルブラム家の敷地…の筈……」
「ドロシー達は走り辛いかもしれないけど…」
「問題無いわよ。行きましょう」
シャラが指差す方に向けて、五人は静かに駆け出した。
馬車内で騒いでいたのが嘘の様に、誰一人無駄口を叩かない。
ペトラを先頭に、深夜の誰も居ない真っ暗な公園を、木々に隠れながら進む。
彼等の走る足音は草木を揺する風の音に紛れ、公園の外までは響かない。
軽装のペトラやトルート・ディルーティア兄妹は元より、貴族の服を着たままのシャラやドロシーも、彼等に遅れずについて来た。
五人が公園の内外を隔てている木々の壁を抜けると、目の前には高い鉄柵の壁が現れた。
「…此処から先がルブラム邸の裏庭だ。警戒を」
全員、境界柵から少し手前、木の陰になっていてルブラム邸からは見えにくい暗がりで足を止め、影に潜んだ。
「ドロシー…頼む」
ペトラが声を掛けるとドロシーは黙って頷き、己のドレスの胸元に手を入れ、何かを探し始めた。
引き抜いた彼女の手には一本の試験管。
蓋付きの小振りなそれは、中身が薄紫色の液体で満たされていた。
「あら…綺麗。ドロシーの調合した毒かしら?」
「わかった〜。それを撒いて殺すんだね?」
「殺すな…!
…敵対しに来た訳ではないと、何回言えば…」
ペトラはこめかみを抑えながら、静かにする様にと双子を注意した。
ドロシーは、試験管の封を爪で切って蓋を開ける。
そして、それをそっと口に近付け、中身を一気に飲み干した。
「あら?…毒じゃないの?」
「なんだぁ…面白くない…」
ドロシーは渋い顔のまま何も喋らず、ただ俯いている。
沈黙。
暫くの後、彼女は顔を上げてペトラの方を向いた。
そして、何度も口を開いたり閉じたりしてみせた。
「「………?」」
キョトンとした顔でドロシーを見つめる双子。
「ああ…大丈夫だ。俺達には何も聴こえない」
ペトラだけが彼女に応える。
彼女はニヤリと笑い、頷いた。
ドロシーは、ゆっくりと柵の近くまで歩く。
柵の直前でピタリと足を止め、大きく口を開いた。
「…ドロシー、おかしくなっちゃった…」
「ティアがイジメ過ぎたから…」
「ルーも一緒に遊んだじゃない。
無能だとか弱々とか行き遅れとか。
酷い事ばかり言って〜」
「最後のは、僕…、言ってないよねぇ…?」
双子の会話を無視し、彼女はペトラの方に振り向いた。
ドロシーはペトラに向けて素早く手を動かした。
ペトラはそれを見て頷く。
「…警備は手薄?…地階裏口扉前、像の陰に2人…。
犬が3匹…暗がりに…作業小屋の裏?」
ペトラが彼女のハンドサインを言葉にすると、それを聴いたドロシーは『合っている』という意味のサインを彼に返した。
端から見てると意味の分からない光景。
「え…え…?」
「何?、なにしてるの〜?」
双子が尋ねるのを手で制し、ドロシーのサインを読み取るペトラ。
彼女は、更に建物の地階右端を指し三人、一階の真ん中の部屋に二人の人物が居る事をペトラに伝えた。
「…なるほど。
建物内部に五人。その内、地階の三人は使用人。
建物所有者のラザフォード・ルブラム氏は、恐らく一階の真ん中。その他一名が同室。
地階裏口前に警備兵が二人。それと犬が三匹」
ペトラは、ドロシーが視た人の位置を、言葉にして双子に伝えた。
「思っていたよりも警備は手薄。
だがその分、手練れだと想定して慎重に動くぞ」
ペトラは、どの様に侵入するかの手順を説明した。
使用人達は既に使用人室に引っ込んでいる様子。
無駄に近づく必要はない。
表玄関側の兵数は判らないが、騒ぎにさえならなければ応援に駆け付けては来ないだろう。
犬はペトラ達に気付いたらしいが、柵外にいる間は動く気配が無いようだ。だが、こちらを警戒している。
「犬は俺が何とかする。警備兵は双子に…」
ペトラはドロシーの情報を元に、侵入手順と経路を手早く決めた。
皆の方に振り返り、胸を反らすドロシー。
彼女は、驚く双子に向けてニヤリと嗤ってみせた。
まるで自慢しているかの様子。
「…無能なドロシーにも、こんな特技があったのねぇ」
ディルーティアは感心しながら、彼女を貶した。
「喋れなくなるのが条件?」
トルートがペトラに尋ねた。
「理屈だか原理だか?を、聞いたこともあったけどな。
波形魔術式の応用だとか何とか……
まぁ…俺の頭じゃ良く分からなかった」
理屈が分からなくてもドロシーの『透視』が外れた事はないと、ペトラは断言した。
潜入や人探しに非常に役に立つので、非殺傷・非接触を要する作戦には同行してもらってると話した。
ドロシーは双子に向けて、もっと驚け、もっと褒めろ…と、目で催促している。
「私達は、相手を殲滅する任務ばかりだったから、絡まなかったのねぇ…」
「喋れないドロシーなんて完璧じゃん…。
ずっとこのままで良いよ。…ね?
五月蝿くないし」
「そうねぇ。静かで良いわぁ」
トルートはドロシーの肩を軽く叩く。
双子は、彼女に向けてニコニコと微笑んだ。
ドロシーの顔がスッと無表情になった。
無言で懐に手を突っ込んだと思ったら、今度は薄い赤色の水が入った試験管を引っ張り出した。
「おい…待て待て、やめろドロシー…!」
ペトラが制するも、彼女は無視して素早く封を切る。
試験管に口を付け、躊躇なく、一気にそれを飲み干した。
「…?声を戻す薬?」
トルートが首を傾げた。
「…?静かで良かったのに…もう戻すの?」
ディルーティアも同じ様に首を傾げた。
ペトラとシャラは青い顔をして、急いで両耳を塞いだ。
「………………!!!」
ドロシーは双子に向けて何かを叫ぶ様に口を開けた。
しかし先程と同じ様に、声も音も聞こえない。
その時突然、木の上から夜行性の獣が落ちてきた。
夜目の効かない筈の鳥達が、一斉に木から飛び立った。
そして双子。
二人は首を傾げたままの格好で白目を剥き、その場に膝から崩れ落ちた。
「こんの…馬鹿…!作戦中だってのに…」
ペトラがドロシーに食って掛かる。
彼女は不貞腐れたまま、そっぽを向く。
その時、双子の背後にあった木の枝が大きく揺れ、何か大きなモノが地面に落ちた。




