◆ 蒐集家
ドロシーがトルート・ディルーティア兄妹に向けて口を開けると、双子は突然白目を剥き、糸が切れた人形の様にその場に崩れ落ちた。
双子が地面に倒れ込んだ直後、双子の数メートル後方に立つ木の上から何かが落ちて来た。
「……!?」
ペトラとドロシーが同時にナイフを構え、シャラは二人の背後に素早く身を隠した。
三人は息を殺し、音のした辺りを確認する。
夜の闇と木の葉の影に紛れ、モノが何かを確認出来ない。
最初にペトラが動き出した。
彼は双子を乗り越え、落ちたモノに近付く。
其処には、全身黒装束を纏った人間が倒れていた。
真っ黒な頭巾から覗く髪も真っ黒。
手甲も足袋も同じ黒。
目元以外は全て黒装束が覆い隠している。
足元を覆う下草に身体が紛れ込み、帯刀以外の武装の有無も判らない。
唯一覗き見えるそれの目の周りの骨の形から、それが女性だと判った。
双子達同様に失神している様子で、ピクリとも動かない。
「て…敵…?それとも私設警備兵…?
ま…まずいよ、攻撃しちゃった…。作戦失敗…?」
「………」
ペトラが二人にハンドサインを送ると、シャラ達は女を中心にして左右に散った。
彼は後ろ足に重心を乗せ、すり足で慎重に近づく。
突然の反撃に備え、肘を曲げてナイフは正眼に構えながら。
彼のナイフがゆっくりと女に近付いた。
「………待ってくれないか。我らは敵ではない」
ペトラのナイフの切っ先が、女の顔に触れるか否かという程の距離まで近づいた時、何者かがペトラ達に向けて声を掛けた。
ペトラは反射的に数歩飛び退く。
顔を上げて、声のした方向にナイフを向けた。
木々の合間、暗い闇の中から彼に向けて響く低い声。
三人は息を殺したまま、闇の中を凝視した。
「…我々は蒐集家だ。
キビシュ様配下の…な」
両手を上げながらゆっくりと姿を現したのは、女と同じ、闇に溶け込む黒装束を纏った一人の男。
黒髪黒眼。
口元は女と同じ様に隠しているが、頭巾は被っていない。
言葉は、東の隣国である帝国訛り。
だが、帝国人に比べて幼く見える体型。
明らかに正教国周辺国家の人間とは違う、異国人の風貌だった。
黒装束の上からでも判る鍛え上げられた身体つき。
身長は然程高くないが、ペトラが思わず竦む様な強い威圧感を醸し出している。
隙間から覗く目と浅黒い肌や骨格から年若くも見えるが、男の眼光と声質は老練に感じられた。
歳と経験を積み重ねた様な落ち着いた雰囲気。
腰には片腕程度の長さの直刀を帯びている。
鞘も柄も鍔も、括り付けてある紐まで真っ黒。
武器・服装だけでなく、腰袋類も全て黒。
まるで人型の夜。
夜が命を持って動き出したかの様に見えた。
「う…動かないで…ください…!」
ペトラの背後から、小さく震える声が男に向けて発せられた。
「…魔導銃か。その物騒な物は降ろしてくれないか?
我々はお前達に危害を加える気は無い」
ペトラが背後に目を遣ると、シャラとドロシーはナイフを魔導銃に持ち替え、男に向けていた。
「ほら…武器は仕舞っているだろう。
怖ければ、この刀も外してやろうか?」
男は腰の刀を外して地面に置いた。
目の前に居るのに、見失いそうになる黒い男。
今は、ルブラム邸の中から漏れ出た光が庭園外まで幽かに届いている。故に男の姿が確認出来る。
だが、もし何処かの闇の中に逃げ込まれたら、彼を見つけ出すのは難しい。
三人の手から汗が滴った。
「まいったな…まさか味方に倒されるとは。
…おい、起きろ。この未熟者」
男はそう言って、三人の警戒姿勢を大して気にも留めずに、ズンズンと近づいて来た。
大股で歩き、下草や落ち葉を踏み付けているのに、何故か足音がほとんどしない。
男は倒れている女の横にしゃがみ込み、声を掛けた。
◆
失神している黒装束の女の肩を揺すり、頬を叩く男。
「おい…馬鹿者、早く立て。
……駄目か…完全に失神してるな」
武器を向けて警戒を続けている三人に、堂々と背中を向けてしゃがみ込む。
「お前達が蒐集家だという証拠は?」
ペトラは男に声を掛けた。
「…ふむ…問われても困る。証拠は無いな。
元より、己を証明する物など持ち合わせてはない。
……お前達と同じ様にな」
男は振り向かずに答えた。
完全にペトラから視線を外している。
なのに隙が無い。
背中を向けている無手の男と、男の直ぐ背後でナイフを構えたままのペトラ。
加えて、シャラ達は未だに魔導銃を構えたまま。
ペトラ達の方が有利な筈なのに、明らかに気圧されていた。
「先程、私は目眩に似た感覚を覚えた。
あれは…ドロシー、貴女がやった事なのか?」
男は背中を向けたまま尋ねた。
「……ぇ゛ぇ゛…ぞ…ょ゙」
答えるドロシーの声は酷い濁声だった。
途切れ途切れで聴き取れない。
「声を犠牲にする波形魔術か?
可聴域外の振動で相手の脳を揺らしたのか…?
…なかなかに有望だな」
男は、失神している女の上半身を持ち上げ、座る姿勢をとらせる。
そして、ゆっくりと女の背中に手を置いた。
「ふん!」
男は息を吐き出しながら女の背中を強く叩いた。
直後、女は激しく咳き込む。
「がはっ…!ゴホゴホ…うぇぇ…」
暫く咳き込んだ後、ようやく女の瞼が開いた。
「…え?」
「やっと起きたか。この未熟者が…」
女はキョロキョロと周囲を見渡した後、黒装束の男の顔と、ナイフを構えたままのペトラの顔を交互に見た。
僅かな沈黙の後、女の顔は見る間に青褪めていった。
そして文字通り、女は跳ねた。
瞬く間に数歩飛び退き、両膝をついて座る。
そして男に向けて両手をつき、頭を地面に擦り付けた。
「も…申し訳ございません…!」
掠れる様な小声での謝罪。
女の様子を見て、男はひとつ溜息をついた。
「よい…。不用意に近づかせ過ぎた私の失敗。
貴様の落ち度ではない。許せ…」
「いえ!油断して、不用意に耳をそばだてたわたくしの落ち度で御座います故…!」
男が女に向けて謝罪すると、女は、より深く頭を地面に擦り付けた。
二人の謝罪合戦が始まったのを見て三人は毒気を抜かれ、武器を下ろした。
◆
黒装束の二人が謝罪合戦をしている間に、ドロシーは懐から取り出した丸薬を口に含んだ。
「う゛ん゛…あ゛あ゛あぁぁ…うん…あ〜」
先程迄ガラガラだった彼女の濁声は、少しづつ元に戻っていく。
「う゛ん…まだ…痛むけど…こほ…」
二、三度咳をする頃には、ほとんど元の声質にまで戻っていた。
頭を下げ続ける女と、向かい合う様に正座をしている男。
ドロシーは、その二人の間に割り込んで口を開いた。
「キビシュの蒐集家…つまり、アンタ達はアタシ達を監視していたが敵ではない…という事で合ってるわよね?」
「う…なん…」「うむ。その通りだ」
慌てて口を塞ぐ女とは対照的に、男はあっさりと認めた。
「キビシュ殿は、ルブラム家の調査、及び接触に関する具体的な方法は全て白獅子殿に一任した。
とはいえ、ルブラム家が一筋縄ではいかない事は想像に難くなかった…つまり…」
「私達を餌にした?」
男は黙って頷く。
「否定はせぬ。
キビシュ殿自身はそこまで言及しなかったが、我々はそうだと判断し、その様に行動した」
「あ…若、それでは我々の…」
「先程まで倒れていたのだ。無理をするな」
じっと女の目を睨む男。
言外に、『余計な事を言うな』と威圧を掛けていた。
元より予想されていた答えではあったが、男の言葉を聴いてシャラが怒り出した。
「酷い…私達はキビシュの為に動いているのに…!
私達は囮なの?…そんなのっ…裏切りじゃない…」
いつもの大人しい雰囲気とは変わり、慟哭する彼女。
ペトラ達の心の中も、彼女に同調するかの様にささくれ立った。
「あくまで、キビシュ殿の考えでは無い事を言及しておく。
我々蒐集家は彼女の手足として、最良と考えた行動をとっているだけだ」
「若…!」
「無理して喋るな。貴様は監視任務に戻れ」
黒装束の女が喋ろうとするのを止め、一方的に命令する男。
「お主達がキビシュ殿の依頼を続けるか否かはお主達の判断に任されているし、我々が口を挟む道理は無い。
我々の任務は、ただ観察して報告するだけだ」
「つまり今後も手伝わないし、仕事から降りても構わない…のよね?」
男は黙って頷いた。
「だってさ。どうするよ?ペトラ」
「止めようよ…ペトラぁ…
私達、囮なのよ…。使い潰されるよ…」
ペトラの顔を覗き込むシャラ。
ペトラは迷い、逡巡した後、おもむろに口を開いた。
「仕事は続ける。
キビシュの依頼かどうかは関係ない」
彼は男を睨み付けながら宣言した。
「俺達の為ではない。
チャプラ姉の信用と信頼と家を護る為。
一度受けた仕事はやり遂げる。
ガキだと思って舐めるな…!」
そう言い切った彼の目は、子供とは思えない位に肝が座っていた。
男はペトラの目をじっと見つめた。
「…その年若に似合わぬ素晴らしき胆力と覚悟。
ペトラよ。もう一つだけ情報を与えよう。
我が名はアズマ。
お主には、我が名を使う事を許そう」
それだけ言うと、黒装束の男女は林の闇の中に消えた。
立ち去る際に一切の足音が無く、既に気配も感じ取れない。
「…しょうが無い。宣言したからには作戦続行ね」
ドロシーは腰に手を当て身体を回し、強張った筋肉を解している。
シャラは不服そうにしながら横を向いた。
「…その前に、お前が昏倒させた双子を起こしてくれないか?」
ペトラは、未だに目を回して倒れているトルート・ディルーティア兄妹を見下ろし、ドロシーは黙って視線を逸らした。




