◆ 先触れ要員
首都アルカディア東部区域
数年前の東部大教会崩壊、及び東部教会ネットワークの瓦解により、東部区域の市民の多くは北方区や中央区へと移住した。
とは言え、かつて東部区域だけでも20万近い市民が居住していた。
加えて、移動が出来るのは身元のはっきりした者や、資産を持っていた者に限られた。
なので、実際に移住出来たのは貴族や一部の上層国民のみ。
平民・貧民は依然として不便を強いられながらも東部に留まり、昼は鍛冶場や工場、農場、処理場等で働き、家ある者は暖炉の熾火、ない者は路傍の竈で煮炊きをしつつ暖を取り、夜を凌いでいた。
現在の東部の街は、下層市民の飲屋街や貧民街・貧民窟の方が活気が良く、夜中まで酔っ払い達の喧騒音が響き渡っている。
対照的に、大通りを挟んだ高級住宅街や区画壁奥の貴族街は空き家の割合が多く、夜になっても各家庭の魔導灯の明かりも点灯せず、死んだ様に静まり返っていた。
整備されていない貧民通りに街灯は無いが、路傍の竈火や家々の火の光が通りまで漏れる事で道は明るく、飲屋街では真夜中でも多くの労働者が行き交っている。
対照的に、高価なガス燈と綺麗な石畳が敷かれている通りに人は居らず、ガス燈の明るさが際立つ所為で余計に影の濃さが増し、寒々とした暗さを強く印象付けた。
貧民窟に人が多く、高級住宅街に人が居ない。
当然、犯罪率は急速に高まった。
国は応急処置として、高級住宅街には防犯、空き巣、金品金属窃盗を防ぐ為、各家門前と道路各所に警備兵を配置した。
だがこれは、応急処置としての効果すら、限定的にしか果たせなかった。
人通りの無さと暗い豪邸群が、高級住宅街・貴族街全体の薄気味悪さを助長していた。
加えて、警備範囲に対しての配置人数の少なさ。
当然、警備兵も仕事に身が入らず、勤務中にも関わらず地べたに座り込んで暖を取る者、カードゲームで賭け事をしている者、空き家や通りではなく売春宿の警備をしている者まで出る始末。
不審者がガス燈の当たらない暗がりを彷徨いても発見される事は稀で、露骨な事をしない限りは見つかってもお咎め無し。
露骨な事をして捕まったとしても、袖の下で見逃される。
今、東部区域の高級住宅街・貴族街は不審者が出入りし易い環境になっていた。
そんな夜の貴族街。
舗装された綺麗な道を、一台の豪奢な貴族馬車がゆったりと走っていた。
◆
「北区と比べてザル過ぎるだろ……
俺みたいなのが出入りし易いのは助かるけどな」
「…か、格好さえ整えれば、身分証明も身体検査も無く、と…通れるなんて、北区では考えられません……」
「人手もやる気も無いんだろうな」
下働きの格好をしたペトラが手綱を握り、一定の速度でゆっくりと馬を走らせる。
目立たない様に慎重に。
馬を操るペトラの横には、貴族令嬢の格好をしたシャラが。
彼女は、羽根付き帽子を抑えながら夜風に当たっていた。
「灯りの点いている家が少ないから、対象の建物も特定し易くて助かるわね」
ドロシーが、ペトラの操縦する馬車の中で大きく欠伸をする。
「…シャラちゃんはお留守番してても、良かったのよ?」
「…ドロシーもお留守番してても良かったのに…」
「あん?このアタシが手伝ってやるって言ってんのに、文句あるわけ?」
御者席にはペトラとシャラ、キャビンの中にはドロシーを含めて三人の人間が居た。
「中央の連中に蹴り飛ばされる程度の腕で、役に立つの?」
「地面に寝かされて放置される程度の腕で、何の役に立つの?」
声を揃えてドロシーを罵倒する少年と少女。
ペトラやシャラより大人びてはいるが、ドロシーに比べればだいぶ子供。
青年には満たない程度の、顔の似た男女。
銀髪碧眼の兄、トルート。
銀髪赤眼の妹、ディルーティア。
トルート・ディルーティア双子兄妹。
富豪令息令嬢の様な綺麗な衣装を纏っている二人だが、口調はスラム産まれ下町訛り。
髪色眼色はともかく、浅黒い肌色と南方人的特徴の骨格故に、正教国の貴族に擬態する事は難しい。
落とし所として、富豪子息に化けている。
「…アタシはサポート要員だ。戦闘は門外漢なんだよ。
そ…それに、もしアタシが居なかったら、ガキどもだらけの高級馬車になっちまうだろーが!」
ドロシーは額に青筋を浮かべて興奮しだした。
「どうみてもオカシイだろーがよ!怪しまれるわ。
うちらの中で、マトモな貴族の振りが出来るのはアタシとシャラくらいじゃねえか!」
「ドロシーが貴族…?」
「結構厳しくない…?」
「「お里が知れるよ??」」
怒る彼女を、ニヤニヤしながら煽る二人。
「こんの……!オメーらにだけは言われたくねぇんだよ!!」
「アハハハ…」「キャハハハ…」
馬車の中から楽しそうな笑い声が響く。
「おい…!こら、静かに!怪しまれるぞ!!」
ペトラが壁を叩きながら、キャビン内に向けて小声で注意をした。
ディルーティアが御者席に通じる小窓を開けてペトラに話し掛けた。
「こんなに動きにくい格好までして、こんなに大人数で来る必要あったの?」
トルートも顔を覗かせた。
「俺達だけで潜入した方が早くねぇか?」
トルートの言葉にディルーティアが頷いた。
俺達の中に入っていないシャラは、申し訳なさそうに小さく縮こまり、ドロシーは頬を膨らませて不機嫌さを露わにした。
「今回は何時もの潜入とは訳が違うんだよ。
二人の力が必要なんだ」
ペトラが言うと、トルート・ディルーティア兄妹は同じ方向に首を傾げ、二人同時にドロシー達に視線を向けた。
「着いたら説明する。
今は……立哨の連中に不審がられない様に大人しくしてろ…お願いだから…!」
納得していない顔で見つめてくる二人を視界から遮断するかの様に、ペトラは小窓を閉めた。
「……ただでさえ難しい任務だというのに、大丈夫かなぁ…」
ペトラが小さく愚痴ると、シャラは困った様に微笑んだ。




