第二章 白鳥と鳩
小さなころの俺からしてみれば、都会と言うものは何でも叶えることができる夢の場所だった。おもちゃもたくさん売っているし、人もたくさんいる。なので、田舎に住んで近所の人が知り合いであることが当たり前だった俺は、都会に住んでいる人は当然のようにみんなが友達であるのだと思っていた。もし、俺が都会で生まれ育っていたのなら、いろんな友達ができていたのだろうと思っていた。
当時の俺は知らないことや、未知のものに、期待を込めて想像を膨らませていた。常に世界は明るく、期待と希望に満ち溢れていた。今となっては不安や不満を込めることしかできなくなっていた。確かにそこに希望があったとしてもそれ純粋に希望としてみることがなくなったのだ。
飛行機に揺られながら懐かしい夢をみた。俺がまだ小学生低学年だったころのある冬の夜。当時は日が暮れる前に家に帰らなければいけなくて、遊び盛りの俺たちは日が出ている時間では遊び足りずにいた。当時の俺たちなら、きっと何時間でも遊べただろう。毎日が楽しく、毎日がキラキラしていた。そんな俺たちにとって夏の昼間でも短く感じてしまうのに、冬の昼間ときたらもっと短く感じて、家に帰るのがその日の終わり告げているようでとても窮屈だった。そのせいで今ではあんなにきれいだと思える夕日が、当時の俺は嫌いでしかなかった。
そんな夜のことだった。その日も飽き足りずまだ遊びたいと思っていたが、日は逃げていくばかりで止むを得ず帰路についた。帰り道はどことなく歩くペースが落ちていた。そんな変化に気付いていたのだろうか。それとも、みんなも気持ちは一緒だったのだろうか。誰しもがまだ遊びたい気持ちを残したまま、帰宅していたのだろうか。当時の感情なんて忘れてしまっていることも多いのに、なぜかそんなことは覚えていた。次第に暗くなっていく空が怖くて、何かに吸い込まれてしまいそうな暗さに感じてしまって、そこに見える星は何の光なのかわからずに俺の恐怖心を煽る一方だった。冬は嫌いだ。冬の夜はもっと嫌いだ。
子供からしたら、田舎の隣の距離はとても遠かった。だが、子供の冒険心を掻き立てるのには充分すぎた。こっそり部屋を抜け出し、友達の部屋の窓をノックして入れてもらって、少し話しては眠気と共に家に帰って大人しく寝ていた。今思えば、親だって気付いていて容認してくれていたのだろう。子供の秘密は大抵、大人にはばれてしまっているのだ。大人もその道を通って来たので、子供のやろうとしていることは大体の予想をつけることはできる。
容認してもらっていた子供の秘密の時間、いつもは俺が彼女の家に行っていた。俺の近くに住んでいたのは、今の彼女だった。言う間でもなく、当時はただの友達で恋愛感情なんてものすら知らずにいた。ただ、遊びの続きがしたくて、彼女の元へ向かっていた。その日は、彼女が俺の家の窓をノックしてきた。初めてのことではなかったが、珍しかった。窓を開けて家に入れようとすると、彼女は外に出てくるように手招きをした。
外に出てみると、彼女は空を見上げて「今日のお月様はまんまるなの」と教えてくれた。その日の月は今まで見たことない程にまん丸で、俺らの元へ近づいてきているようにも感じられた。二人横に並んで、空を見上げていると月に虹が架かっていることに気が付いた。気が付くのと同時に「あ、虹」と声が漏れていた。その声を聴くと、彼女はこれを俺にみせたかったようで、今までで一番の笑顔を見せてくれた。あの時の彼女の笑顔も、あの大きな月も、綺麗に架かっていた虹も何も忘れることができずにいた。当時の自分は気付いていなかったが、忘れられない。あの笑顔に俺は恋をしていたのだと思う。
定期的に、昔の夢を見るがほとんどが彼女と一緒に見た月の思い出だった。その過去に記憶に何が込められているのだろうか。ただ、懐かしい思い出として何度も俺の中で繰り返されている。その一件以来、空への怖さは軽減されたような気がする。
夢を見終えた頃には、もう大都会が見え始めていた。今まで過ごしていた地とは違い、建物が土地を分け合う様に隙間なく、高さを競うかのように似たような高さで建てられていた。俺が今まで住んでいた地と、これから住む地。どちらも同じ世界だと思うことは難しかった。その景色はあまりにも違うことが多すぎた。特に視覚的に感じられる相違は一目瞭然だった。見慣れた緑色も、土の茶色も見当たらなかった。唯一、目に見える緑は不自然なほどにグレーの間に付けられているようだった。それは俺が知っている伸び伸びと育っている緑ではなく、人によって作られたような自然では有り得ないような配色であり、育ち方だった。
都会の人になってしまえば、このようなことも景色のうちのひとつだと感じられるのだろうか。ここに住み慣れた頃には、これが普通だと思ってしまうのだろうか。この地でも、あの時のような綺麗な月を見ることができるのだろうか。
地面が近くなってくると、着陸の合図の音が鳴った。離陸の時と何ら変わりのない音。シートベルトの装着を促され、思い出したようにシートベルトを締めた。離陸も着陸もスムーズで、想像より衝撃は少なかった。特に急ぐ必要もなければ、誰かを待たせているわけでもないので、乗客がある程度出てしまって、落ち着いた頃に席を立った。結局、地に足を付けていない間も、新しい生活のことよりも。昔の故郷のことを考えてしまっていた。
飛行機を降りて、電車のホームに向かった。ほとんどの人が、飛行機から電車に乗るようで、人の流れに身を任せるだけだったので、難なく移動することができた。ここから、新居まではある程度距離はあるが、都会とは便利なものについての普及は充分すぎるほどで、電車をいくつか乗り換えるだけで、移動手段に困ることもなかった。電車だって何十分も何時間も待つ必要がない。そんな少しの時間でさえ、ホームに居る人々は退屈そうで、電車が来るまでの微かな待ち時間であっても、長く感じているようだった。この人たちは何をそんなに急いでいるのだろうか。これから時間に追われるほどの用事があるのだろうか。ホームに居る人も、電車に乗っている人も、携帯を片手に画面を見つめていた。そこで、ふと飛行機が離陸する前に確認していた、メッセージの存在を思い出した。
飛行機に乗ったときに切った電源を点け、誰から着ているか一通り確認した。そこに彼女の名前もあったが、とても気が進まないこともあり、後から確認することにした。とりあえず、母親から着ていたメッセージにだけ先に返信をした。無事に飛行機が着いたことと、新居に着いたらまた連絡することを簡潔的に伝え、携帯をポケットにしまった。他の友達からのメッセージも、彼女からのメッセージも、新居に着いてからまとめて返そうと思った。
ただ電車に乗ろうとしただけだったのだが、いくつも路線があり、いくつもホームがあり、結果的に迷ってしまった。どこのホームに行っても人がたくさん居た。この人たちはここら辺に住んでいるのだろうか。どこまでが友達なのだろうか。答えがわかりきった疑問を、田舎者の代表のように、心の中で何度も唱えていた。この気持ちがなくならないように、異世界に染まってしまわないように。俺なりのおまじないだったのかもしれない。
新居に辿り着くまでの間、今朝、乗った異世界への運びものは、同じような姿形をしていても、扉のこちら側と向こう側で、世界を区切っているようには感じられなかった。開閉もただの動作であり、何の意味を成しているものと考えることすらできなかった。今朝、俺が乗ったものと、今乗っている鉄の箱は似ているようで似ていないのかもしれない。都会の電車は、いつ乗っても人が居る。次の電車もほとんど待たずに次の電車が来る。こんなに人が乗っているのに、ひとりで乗っている人が多いことに気付いた。この中にも俺の様に、望まず連れて来られた者もいるのだと思うと、なぜだか少し頑張れそうな気がした。見知らぬ誰かが俺の気持ちを分かってくれているような、そんな気がしたのかもしれない。
都会の乗り換えとは案外難しいものだ。電車の名前も路線の名前も多すぎて、目まぐるしく文字を追っていなければ、自分の居場所がわからなくなってしまう。便利なようで少し不便なのかもしれない。同じような方向に進む人はいないわけではないが、決して多くはない。自分で自分の行きたい道を進まなければ、呆気なく流されてしまう。流された先はきっと俺が望んでいる方向とは、反対なのだろう。どちらにしろ、俺が着くところは自分が知らない場所である。駅名で確認しない限り、その場で合っているのかどうかもわからない。
人の流れに流されながら、抵抗しながら辿り着いた先は、なんとも都会の中心だった。きっと都会の人からしてみると、中心とは言い難い、少し外れの方なのかもしれない。だが、田舎者に都会を感じさせるには充分なほどの場所だった。隣との間が狭い。建物の一つ一つが高い。お店に行っても田舎のような、アットホームな会話が聞こえることがない。都会の便利さと不便さと、温かさと冷たさを一気に感じた。
今日はいつもより、感情が忙しい。新しい環境に身を投げ入れ、常に五感をフル活動させている。なんとなく、いつも通りと言うような、感覚的なものが通用しない世界で不安な気持ちがより、感覚を尖らせているのだろう。
家に着いて、ベッドに身を沈めたかった。だが、作業はこれからだった。これから荷物が届く。そこからが今日の本番なのかもしれない。締め切られた部屋の空気はどこか居心地が悪く、一目散に窓に向かい網戸にした。外から流れ込む風も清々しいものではなかった。どことなく淀んでいるような気がした。
荷物が届いてから、どうしても作業をする気にはなれなかった。大きい電化製品とベッドは指定した場所に置いてもらい、段ボールは無造作に置いてもらった。業者の人が部屋から出て行くのを確認すると、鍵を閉め、カーテンを取り付けて、最低限のことだけ済ませて、寝る準備を始めた。
ベッドに身を委ねると、やっとこの部屋が俺だけの空間であるような気分を感じることができた。ゆっくり目を閉じると、夢の中へ一気に引き込まれていく感覚に陥った。その時に、ポケットに入れていた携帯がブルブルと振動した。連絡すると伝えていたことをすっかり忘れていた。
携帯が振動したのは、母親からの返信だった。「気を付けて」とそれだけの温かさの無い文だったが、機械が苦手な母親がこうして送ってきてくれることすら、俺にとって温かく感じられる。きっと一文字一文字打ち込むことですら、大変なのだと思う。
着ていたメッセージに一通り目を通した。ほとんどが、見送りに来る事ができなかった人からのありきたりなメッセージと、見送りに来ることができた人の暇そうなメッセージだった。そして、彼女からのメッセージも開いてみたが、これといった内容ではなく友達が送ってきた内容と何ら変わりはなかった。着ていたメッセージを全て返し終わるのに、それほど時間はかからなかった。
そのまま寝てしまおうかとも思ったが、さすがに部屋着に着替えることにし、段ボールをいくつか開けた。都会の空気に触れたと思うと、なぜか唐突にそのまま寝てしまうのが嫌になり、シャワーを浴びて洗い流したくなった。シャワーから出てきても、都会の空気に常に触れているのには変わりがないのに。この状態に慣れる日は来るのだろうか。疲れも軽減される日がくるのだろうか。
暗闇に身をまかせていた。どこまで流れていくのだろうか。どこかに辿り着くのだろうか。元の道も先の道も見えずに、流れのままに抵抗をしなかった。抵抗をする意味もなかった。まるで俺の人生の様に。
流れに乗っているだけでいいのはとても楽で、何も考えなくてよかった。これからのことも、今までのことも。流れる景色の中、何回も季節が過ぎていった。春、夏、秋、冬。それが過ぎれば、また春。少しずつ変わりゆく景色とは対照的に、何も変わることのない自分がいた。ただ流されていくだけで、入れ物の体積と月日、それなりの経験だけが自分の意志とは無関係に、増えていっているようだった。
目を覚ました時には、もうすでに外は暗闇だった。俺が身を任せた暗闇とは違った暗さだった。どことなく青さが残るような、田舎では見られない空。何がこんなにも違うのだろうか。人の多さなのか、建物の明るさなのか。空にどことなく、見知らぬ今まであったことのない誰かを映し出すのは初めてかもしれない。
田舎の夜空はどことなく孤独を連想させられる。小さなころ、彼女と見た夜空もそうだった。彼女が隣に居るのにも関わらず、夜空は俺に孤独を連想させていた。孤独は寂しくもあり、悲しくもあり、そんな感情を持っても仕方がないと思わされていた。そんな孤独を感じていたのがおれだけだったのか、他の人もそう思っていたのか、俺はわからない。少なからず俺はそう感じていた。
数日経ち、ようやく会社での仕事が始まった。都会の電車は頻繁にやってくるのにも関わらず、どう言うわけだか人が絶えなかった。そして、入りきらないほどの人が毎回押し寄せてくる。それほど広くない土地に、そんなに多くの人が住んで居ることが信じられずにいた。通勤の苦痛をこのような形で味わうのは初めてだ。パーソナルスペースなどということを言っている暇もなかった。
会社に着くころには、一日の仕事を終えたかのように、ぐったり疲れ切ってしまっていた。人混みの大変さを初めて知った。あれは、異世界への運びものではない、まるで人を魔物にするための容器なのではないのだろうか。そんな現実世界では一層ありえない、漫画のようなことばかり考えていた。
新しい職場での仕事は想像以上に順調だった。まるで、元からそこに居た人の様に扱ってくれるのも早く慣れることができた要因のひとつだったのだと思う。変に気を使われてしまえば、どことなくぎこちなくなってしまうのが事の典型だからだ。
ただ、ひとつだけ外部から来た人としての扱いを受けたことがあった。歓迎会をすると言われたことだった。当たり前のことかもしれないし、通過儀礼としてやらなければいけないことなのかもしれないが、俺からしてみれば、異世界に来たことを目の当たりにしたくなかったと言う意味も込めて避けたかったのかもしれない。嫌だ、と言うわがままが通用しないのもわかっているし、何かと理由をつけて飲み会を開催したいのも、社会人ならではのことなのかもしれない。俺のために開催してくれるのにも関わらず、俺が欠席するわけにもいかない。仕方ないと言う気持ちと、断れないと言う気持ちを胸に、飲み会が始まってから、どのような振る舞いをすべきか考えていた。
子供のころはここまで他人の事情を考えていたのだろうか。そんな子供はあんまりいないだろう。もう少し自由に生きていたような気がしてならない。相手の人を思いやれる人が大人な人と思っていたあの頃、実際に大人になってみると本当にそうなのか、考えさせられてしまう。相手の人を思いやるということは、少なくとも自分の意志を殺さなければいけないと言うことだ。自分の気持ちと、他人の気持ち、どちらを優先すべきか、その場に応じて考えて瞬時に行動しなければいけないのである。そのふたつのバランスの調整が上手くいってこそ、大人なのかもしれない。
仕事が終わると「行きますよ」と飲み会の声をかけられ、俺はそれに笑顔で対応していた。「ありがとうございます」「楽しみにしていました」「まだ引っ越してきたばかりで、まだ何もわからないんです」そんな他愛もないことや、人当たりの良いフリをしている。本当の俺は、あの地似た俺はどのような感じだったのか。どのような性格で、どんな言葉を発していて、どのような感情表現をしていたのか。どうであったのか、何も思い出せないような気がするが、何も変わっていない気がする。
飲み会の間、可愛い女の子が隣に座っていてくれた。すごく気遣ってくれていた。どうやら、幹事をやってくれたらしい。横顔を見ると、いかにも東京の女の子と言う感じがした。甘い香水を身に纏い、綺麗に化粧をしていて、飲みの席で然るべき行動をしていた。何事にも慣れているように見えた。そんな女の子が、隣に座ってくれているのは多少なりとも違和感と緊張感があった。
「楽しめてますか」
俺が見ているときに話しかけられたので、観察してしまっているのを気付かれてしまったのかと思ったが、先ほどからあまり話をしていない俺に気付き、気遣って話しかけてくれたようだった。
「楽しいですよ。ただ、少し緊張してしまっているだけです」
これもまた、俺自身からすんなり出ないような言葉だった。この場の空気を乱さないための決まり文句。緊張をほぐしてくれようと、様々な質問を投げかけてくれていた。「慣れましたか」「休日は何をするんですか」「嫌いな食べ物とかありますか」様々な質問は、当たり障りのないものばかりで、そんな質問ばかりで楽しくなるわけがなかった。女の子の質問に答えていると、数人ほど同僚や上司が合間で話しかけて来てくれたが、その人達ともそこまで話が盛り上がることもなかった。
ふと、お手洗いに席を立った。やっと一人の空間に辿り着くことができたような気がして、なかなか元の席へ戻る気になれなかった。あまり話したことがない人に囲まれるのは、人生で初めてだったと思う。こんなことに慣れている人なんていないと思ったが、お手洗いですら居心地がいいと思えてしまうほど、人付き合いに疲れてしまっているのは今までになかったかもしれない。もうこのまま戻らなくてもいいのではないかと、どこか心の中で思ってしまっていた。
「お疲れですか」
そう話しかけてくれたのは、確か俺の席から一番遠いところに座っていた、同じ歳くらいの人だった。まだ話したことがなかったと思うが、もしかしたらこの賑やかさの合間に少し話しているのにも関わらず、俺が忘れてしまっているのかもしれない。いろんな人が回転寿司のように次々に話しかけられたおかげで、覚えられずにその場に合わせて返事をしてしまったのが少し悔やまれる。
「いや、いろいろ慣れないもので」
「じゃぁ、少し外の空気でも吸いに行きますか」
その人の纏っている空気感はとても居心地が良く、少し話をしてみたいと思った。もしかしたら、あの空間に戻りたくないと思ったからが故に、そう思えてしまったのかもしれない。真相はわからないが、彼に着いていく以外の答えを選ぶと言う考えは俺の中に浮上してくることはなかった。
外に出ると、涼しい風を感じられた。都会もこんな風が吹くのかとすこしばかり感情が揺さぶられてしまった。世界中どこに行っても同じ風が吹くのにも関わらず、なぜ違う空気が流れているような感覚に陥ってしまうのだろうか。同じ風と思っていても、違う風に感じてしまうのはただの心境の変化なのだろうか。心持の問題なのだろうか。
「少しは気分が晴れましたか」
自分の世界に入ってしまっていて、隣にいるのも忘れていた。居心地が良かったのか、相当疲れていたのか。いつでも地元と比較してしまう。あの地の空気は、俺の中で美化されているのだろうか。思い出は美化されればされるほど、本物と違うものになってしまうような気がしてしまう。
「おかげさまで。ありがとうございます」
そこから何となく、空気に任せていろんなことを話してみた。地元で彼女を残していること、そこで何となく変な空気になってしまっていること、都会の空気にどうしても慣れないこと、仕事上であれば会社に居やすいこと、今日の歓迎会がどこか憂鬱だったこと。いろんなことを話した。なぜそんなことを話そうと思ったのか、この人に話していいと思ったのかはわからなかった。とにかく居心地が良かったからなのか、お酒を飲んだからなのか。
いろいろ話したと言っても一方的ではない。相手の話も聞かせてもらった。その人も田舎から出てきたと話していた。より深く尋ねてみると地元の場所は、俺の地元からそれほど遠くはなかった。どこか同じような空気を感じたのは、そのせいだったのか、歳が近かったからなのか。そっと連れ出してくれたからなのか。
もうすぐ長めの休みがあるから、そのタイミングで一度帰ってみるといいかもしれない、とアドバイスをもらった。少し考え、俺はそうすることに決めた。手帳の端に「長期休みの確認」とメモをした。それを見て、新幹線や飛行機のチケットを取ろうと思った。
さすがに長く外に居ると申し訳ない気持ちが募ってきてしまうので、しばらくしてから戻ることにした。長く席を外してしまったことに少なからず罪悪感がありつつ、席に戻った。俺が居なくても盛り上がりが冷めることがなかったようだった。むしろ、どんどん盛り上がっていく空気には終わりが見えなかった。
元の場所に戻ると言うよりは、空いている空間に身を沈めた。さっきの同期のような男の人はすんなりと盛り上がっている空気に紛れ込んでいた。外で話していた時の顔とは一変していた。もしかしたら、心を開いていたのは俺だけではなかったのかもしれない、と淡い期待をしてしまった。お互いに心を開くことができたかのような、そんな風に思えてしまった。本当はそんなことないのかもしれない、そう思いたかっただけなのかもしれない。微かにそこに自分の居場所をみつけられたような気が下から。
心に寄り添える人も、寄り添ってくれる人もなかなか見つからない。俺自身がそうしようと心がけてないからなのかもしれない。大人数周りに居るのにも関わらず、孤独を感じていた。どこかで居場所を探していたのかもしれない。みんなに会って他愛もない話をして、意味のないことをしてあの場所で生きていたかった。
都会に慣れている人の中で、居場所を見つけられずにいた。まるで白鳥の中に鳩が投げ込まれたような気分だった。周りは綺麗に自分を繕っている。周囲の人との変わりがないが故に上手く溶け込むことができる。俺はまだそれができない。まだ鳩のままだ。まるで公園で餌を探し求めている鳩のようだ。自分が醜く見えて仕方ない。いつまでこのまま、自分に負い目を感じているのかはわからない。自分の魅せ方を知っている人に太刀打ちすることなど、まだ考えられずに、自分が居てもおかしくないような空間を求めてしまっている。白鳥と並んでみようとすら思うことができない。
次の日も仕事があるので、二次会は控えて各自家に帰ることにした。実際、何人かは自己責任と自己判断で二次会に行っていると思うが、俺は誘われることもなければ、行くと言う選択肢もなかった。
家に着いてもシャワーで一日の纏わりを洗い流し、ベッドに身を任せ眠りに就くだけだったが、ふと同期くらいの男の言葉が耳に、脳に残っていた。地元の話を口にするまで、リアルに思い出すことはなかったが、久しぶりに過去にあった現実として思い出すことができた。携帯を見ると相変わらずのメンバーからの連絡のみだった。何をどのように連絡していいものか迷ったが、何となく彼女に一番に話すべきだと思った。
これまで、それとないことしか話していなかった。本当に友達のような話題しかしていなかった。本当にお互いに話さなければいけないことは何なのか、本当に話したいことは何なのか、実際わかってはいるもののわからないフリをしなければいけないような気がしてしまう。
書き慣れたはずのメールを書いては消して。消しては書いた。何かを伝えたいようで、何も伝えてはいけないようだった。一歩踏み出そうとしてみても、何か踏み出せずにいた。何度も書き直して、書き直す度に自分の感情を言葉から削っているような、特別なであるような言葉を抜き取っているような文になってしまう。近くに居た時、俺は彼女にどのような言葉をかけて、どのようなことを聞いて、どのような感情を注いでいたのだろうか。何度思い出そうとしてもそこに現実味が感じられない。思い出そうとしてみても、そこにリアルさが掛けていくだけだった。
何回書き直したのかは思い出すことができない。何回、何十回書き直したことか。最終的に出来上がった文章は必要事項だけを当たり障りなく書いた、まるで友人や家族に送るかのような文章だった。
仕事は順調です。もうすぐ、少し長めの休みがあるので、そこで一度帰ろうと思います。お仕事は順調ですか。予定が合いそうであれば、会いたいですね。
そのような文を送った。友人にも家族にもそのような変哲もない文になった。俺の中で彼女と友人の差は一体何なのだろうか。次に携帯が鳴るまでにその答えは出ているのだろうか。携帯が鳴るたびに、少し憂鬱なような、彼女からの文面に自分への特別な言葉が込められていないかと微かに期待してしまっているような、不思議な感情が浮かび上がっていることに気付いた。
自分からそのような言葉を送ってみたらよかったのかもしれないが、そんなことをする気が起きなかった。飲み会で気疲れしたのも少なからず影響しているのだろう。そう思いたい。そう思うことで、自分の弱さを隠してしまいたかった。そうやって言い訳することで、自分の弱さを見ないことにできるようなそんな気がしていた。
ただの気休めかもしれないけれど、今は自分に嘘を吐いて逃げてしまっているとわかっていながら、後に少なからず後悔が残るとわかっていながら、そうした。そうしてしまう自分の弱さを遠回しに自分で自覚させられてしまっているのに。




