第九十五話 祭りのあと
午前三時はとうに過ぎ、もはや早朝に近い時間となっていた。
熱狂の中で場を回した亜希はすっかり疲れ切っており、少しウトウトしているようだ。
ガールズバー『Cheers!』での打ち上げが終わった後、洋市は銀色の愛車を運転しながら、アキや他のキャストから言われたことを反芻していた。
「ヨウイチさん、アキちゃんいい子だから大事にしてね!」
「泣かせたらゴブリンだって許さないから!」
「困ったことがあったら相談して!」
どういう話の流れでそうなったのかは知らないが、いつの間にか自分もメッセージアプリのグループに追加されてしまい、将来的にイベントなどに呼ばれるのだろうかと不安になった。
『俺は別に、夜の街は得意じゃないんだが……』
どちらかというとインドア派で、しかも仕事中は自宅から出ない、悪く言えば内職型の仕事をしているため、夜のテンションにはどうも馴染めない洋市であった。
もっとも、かつての亜希もそうであったのかもしれない。
助手席では、亜希がとうとうスースーと寝息を立て始めた。
『……相変わらず、図太いというか、隙だらけというか』
異性の前で見せる相変わらずの図太さに、洋市は亜希の将来が心配になった。
もっとも、四十代男性は、今や二十代女性にとって異性ですらないのかもしれないし、自分はゴブリンだからマスコット扱いなのかもしれないと洋市は自虐した。
自分自身も慣れないイベントに参加し、相応の気疲れをしている。
今はとにかく安全運転で自宅に帰ろうと、洋市は気を引き締めてハンドルを握り直した。
自宅マンションの駐車場に到着した洋市は、ぐっすり寝ている亜希を起こそうと声をかける。
「亜希さん……亜希さん……起きてください」
しかし、亜希は寝息を立てるだけの生き物と化していた。
仕方なく、洋市は自身の特殊スキルである【隠形】を発動させ、姿を隠した。
そのまま亜希を抱きかかえ、周囲を見渡して人目を確認してから、中庭から自宅の部屋へと静かに素早く移動する。
『このままだと鍵を開けられない』
洋市は、ファイアーマンズキャリーの要領で亜希を肩に担ぎ、鋭い爪がある手で何とか鍵をポケットから探し当て、ドアを解錠する。
ドアを閉めて内側から鍵をかけたら、洋市は自分の部屋のベッドに亜希を仰向けに寝かせた。
『さて、あとは自分のことをするか』
洋市は、昨日途中で終わってしまった仕事の続きに取り掛かる。
普段、洋市が仕事をしているとき、自宅には他に誰もいない。
しかし、今回は亜希が起床するとパソコンの画面を見られてしまう可能性がある。
『……あれがあったな』
洋市は、昔キャンプの案件向けに購入した銀マットを、物置代わりに使っているクローゼットから取り出す。
それをデスクの椅子後ろに立てて、いわゆる衝立のようにした。
疲れから、ゴブリンから人間の姿になるのも忘れた洋市は、緑色の肌と鋭い爪のままキーボードを叩く。
違和感がすごかったゴブリン姿のキーボードタッチも、異世界での事務作業を経験してから次第に慣れ始めたのか、精度が上がっている。
ふと、洋市は自分が、人間の状態と比べて著しく疲れにくくなっているような気がした。
『……いや、昨日は昼寝したから、そのせいもあるだろう』
自分が魔物化しているリスクを頭の中で打ち消すように理屈をつけ、洋市は画面と向き合い続ける。
カタカタとキーボードを叩く音が部屋に響く中、やがて窓の外から朝日が差し込んできた。
洋市はその光の異様な眩しさに、自分がゴブリン姿であることを再確認し、キッチンへ向かいブラックコーヒーを身体に染み込ませるように飲む。
結局、午前八時には三記事のドラフト作成を終え、あとは最終確認を終えるのみとなった。
「……朝日を見たか、もう駄目だな。熟睡はあきらめよう」
洋市は、深夜零時を過ぎてしまうと、途端に寝入りが悪くなる性質であった。
しかし、ずっと起きたままでは、おそらく人間に戻ってからの体調に支障が生じるだろうと考える。
いったんパソコン画面のロックをかけると、洋市は風呂に入るのも面倒になり、リビングへ移動した。
そのまま床に転がり、熟睡ができないことを覚悟して、座布団を枕代わりに仮眠をとることにした。
午前十時。
車の中から熟睡状態だった亜希が目を覚ますと、いつの間にか自分が洋市のベッドで眠っていたことに気付く。
『……うわ、これ……完全にやっちゃった……』
家の主である洋市を差し置いて、堂々とベッドを独占した亜希は、目覚めとともに後悔に襲われた。
枕カバーを見ると、化粧が少しついてしまっており、後で洗うか弁償するかしなきゃ、とため息をつく。
ふと横を向くと、ベッドから見て本来ならパソコンやデスクがあるはずの場所には、なぜか銀マットが立てかけられていた。
『……そっか、私がパソコンの光で目を覚まさないようにしてくれたんだ』
洋市の意図を誤解し、大人の男の余裕、あるいは良識といったものを感じた亜希は、さらに洋市の評価を上げた。
亜希が起き上がってリビングへ向かうと、そこにはローテーブルの下で横向きになって寝ているゴブリン姿の洋市がいた。
もはや恐怖などなく、亜希にとって日常と化した風景で、むしろ洋市を床で寝かせたことの申し訳なさが先に立つ。
亜希は、洋市の邪魔をしないよう、そろりそろりとトイレに向かった。
用を済ませた後、当たり前のように洗面所で手を洗い、リビングに戻ってきた亜希は、この時点でも自分の図太さに気付いていないようだった。
洋市の隣に座って自分のスマホをいじり始めるうち、ふとアプリ『アルトヤ界観光ガイド』の画面を見て思い出す。
『そういえば、洋市さんに新機能のこと、説明してなかった』
つい最近、亜希のスマホには、異世界で得た資金を日本円に換金できる機能や、ノアたちとおしゃべりできる新機能が実装されている。
洋市が起きたら、改めて時間をもらって、一通り説明しよう。
亜希がそう思いながら緑色の寝顔を見守っていると、人の気配を感じた洋市は目を覚ました。
「おはようございます」
ゴブリンの鋭い目のまま、ベッドから起きた亜希に挨拶をする洋市。
「あ、おはようございます! ごめんなさい、ベッド独占しちゃって……」
謝るのもそこそこに、亜希は急なイベント参加への感謝を伝えつつ、アプリの新機能について説明を始めるのだった。
──────────
「この役立たずどもが!! きちんと仕事してから帰ってこい!!」
「ア、アヒイ……」
「ヘグッ……」
「モホァ……」
バンパイアワイバーンの巣穴、だったダンジョンの第二層。
教会を模した建物の中で、かつてミナと呼ばれていた地雷系女子は、自分の駒として使っている三体の屍を蹴りながら悪態をついた。
彼らは不思議なことに、明らかに骨と皮だけの姿でお洒落なスーツを身に着けている。
もはや、彼らには必要なさそうにもかかわらず。
『やっぱり生かしたまま利用した方が便利だった!あの毛むくじゃら、適当なこと教えやがって!!』
歯で右手親指の爪を噛み、駒の失態と自分の失敗に後悔しながら、次のプランを練る。
『多分、あの化け物は私を放置しない。仲間と一緒にまたやって来る。そのときまでに準備を進めて……絶対殺す!!』
自分を追い詰めた緑色の化け物と、その化け物が守る女に対する殺意を研ぎ澄ましながら、地雷系女子はその赫い瞳を爛々と輝かせていた。
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