第七十八話 変わっていく環境
ミナもまた、魔王の呪いの犠牲者の一人。
あながち間違いとはいえない、その不穏な仮説は、どんどんと頭の中を侵食していく。
「……アキちゃん?」
少し青ざめた顔をして、床を見つめながら考え込む亜希の様子を見て、心配になったエミが話しかける。
「……えっ、あっ、ごめんなさい!考え事してて!」
自分がエミを放って思考を続けていたことを詫びた後、亜希はエミの優しさに感謝した。
「あの、エミちゃん、本当に色々とありがとう。私がアタフタしてる間も色々とサポートしてくれて、私なんか全然そんなこと気付く暇もなくて……」
「クソ彼氏のこともあったし、きっと頭の中がいっぱいだったんだよ、自分のことで。私も昔そうだったから」
エミは、自分も過去にDVで悩み、そこから抜け出した過去を持つ。
だからこそ、夜の街で働く中で多少図太くはなったとはいえ、彼女にまだ残っている、何か綺麗な、純真なものを守りたいと思っていた。
「アキちゃんはいつ生傷がついてもおかしくなかったしさ……やっぱり放っておけなかった。もう友達だと思ってるから私」
エミの優しい言葉と潤んだ眼差しに、亜希はたまらず目に涙をためる。
「私……エミちゃんがリーダーでいてくれて、本当によかった。相談できる人がいなかったら、私、もっとボロボロに……」
エミが亜希を力いっぱいハグした後、背中をさすると、亜希はその胸で堪えきれずしくしくと泣いた。
怖かった。
これからどうなるのか考えられなかった。
今を生きるので精いっぱいだった。
でも、何とか生きている。
異世界の仲間もできた。
そして……。
亜希はエミの胸の中で、いつも自分のそばにいてくれた、緑色のゴブリンの姿を思い出す。
『洋市さんが帰ってくるまで、こっちはこっちで調べてみよう』
心の中で今後の方針を固めた亜希は、エミと昔を語らいながら、その日は朝まで飲み明かした。
──────────
一方その頃、アルトヤ界の命の泉では、新しい朝が始まろうとしていた。
洋市は、温かい土の布団の中で、完全に解脱していた。
『……おきたく……ない……もうすこし……』
今にも昇天しそうな顔をして、何とかしてふかふかの寝床から身体を起こす。
その様子を見たノアが声をかける。
「おはよ、ヨウイチ、寝心地よかったでしょ?」
洋市のまだ少し重そうな瞼と、どこか穏やかな顔つきを見て、ノアは自分の魔法の出来を自慢するように言った。
「おはようございます。おかげでぐっすり眠れました。ありがとうございます」
「良かったわ。装備あっちに置いてたでしょ、風邪ひかないように早く着るといいわ」
ノアの一言で、自分は素っ裸で女性と話をしていたことを思い出した。
やはり自分はペット、もしくは子供扱いなのかと思い、服と装備を整える。
魔法でできた土の家の中を見渡すと、セミーン、ガッタ、マンナはすでに起床しているようで、身支度を始めているところだ。
そういえば、今何時か分からないなと思い、スキル【タブレット】を出して時計を見る。
時刻は午前七時。
出発の一時間前になっていた。
特段他にすることもないので、スキルで登場させた銀色のタブレットを片付けるイメージで、自分の目の前から消す。
ふと後ろを見ると、ノアが鼻息を荒くして洋市を見ている。
「ね、ねえ、ヨウイチ、機会があったらでいいんだけど、今後そのタブレット? とか、両手でカタカタやってるやつも詳しく見せてくれる?」
カタカタやってるやつ……キーボードのことか。
洋市は少し悩んで、部分的になら、とOKを出した。
「クライ……いや、商売の機密に当たらない部分であれば構いません。今の状況が落ち着いたら、ということで」
「うんうん、それでいいから!ありがとう!」
新たな術理の可能性に邂逅したノアは上機嫌だった。
ふと、洋市は『ノアのお祈り』について思い出す。
「そういえば、もう朝のうちにお祈りは済ませたのですか?」
「ああうん、一応ね。最近はジルファ様から託宣もない感じだけど。だんだん周囲が落ち着いてきてる証拠なのかもね」
洋市はジルファと話したいと思ったが、それはまたの機会にしようと思い直した。
セミーンが持っている魔時計で、午前七時半になろうとしているタイミング。
洋市たちが一夜を過ごした埴生の宿と、別れのときがやってきた。
ノアが杖で誰もいなくなった土の家たちを指すと、黄色、あるいは黄土色の光が土へと戻り、そこから家もまた地面に吸い込まれるようにして消えていく。
それを見た洋市は、思わずため息が漏れる。
「ああ……もったいない……あんなに快適なのに……」
あれほど過ごしやすい家が、一瞬にして消え去ってしまったことに、洋市は少なからず衝撃を受けた。
そのまま残して、休憩所代わりにでもすればいいのにと思ったが、洋市の残念そうな様子を見たセミーンが取り壊す理由を話す。
「あの家はな、ノアの魔力で維持してっから、そのまま放置できねえんだ。魔力を失い何の処理もしなかったら、土塊がそのまま残って邪魔になっちまう」
そう言うと、セミーンは洋市の肩を叩き、まるで自分の家が倒壊したかのような顔をしている洋市を慰める。
「また休憩するときは新しい家が建つんだ。次の休憩を楽しみにしてな」
「えっ?ああ、そうですよね。そうか……」
洋市は、ここは魔法で成り立っている世界だと意識を切り替えた。
その後、準備運動などをして出発を待っていると、アサンの水源メンバーと兵士たちが整列を始める。
洋市もそれにならっていると、ノアが朝の挨拶を行った。
「えーおはようございます。本日は予定通りダンジョン化が想定されるバンパイアワイバーンの巣まで向かいます。到着予定時刻は十時頃。人命第一で慎重に進むため、隠密、隠形スキル持ちの方にはご負担をおかけしますがよろしくお願いします。到着後はアサンの水源がダンジョンアタックに進みます。新人冒険者のヨウイチも同行します。防衛兵の皆さんには討ち漏らしの討伐をお願いします。万一、アサンの水源がアタック後半日経過しても戻らない場合は、ただちに砦に戻りバルカス隊長に報告してください。何か質問はありますか?」
特に手は挙がらない。
洋市も、基本的には昨日話を聞いた流れと変わっていなかったため、特段気にしなかった。
その様子を見てノアが挨拶を締める。
「では、移動開始!」
おう、という野太い声が聞こえ、一行はそれぞれに隊列を組んで移動を開始する。
マンナや兵士の【隠密】と洋市の【隠形】を使い、一行は森の奥深くへと進み、命の泉とは反対側、遠くに見える山間を目指した。
命の泉を離れ、森の中を隠れながら歩いているため、一行が魔物に存在を気取られることはほとんどない。
しかし、移動中に森の様子を観察していると、その様子は以前と明らかに違っていた。
祠を建立し、ノアが日々祈りを捧げる中で、魔物は弱体化傾向を強めていた。
洋市たちが魔物に遭遇して武器を構えることもなく、中には不穏な気配に勘付いて逃げ出す魔物さえいた。
以前の狂暴な森を知る面々は、生態の大幅な変化に戸惑っていた。
ただ一人、セミーンは周囲を警戒しながら、ある可能性について推理していた。
『森の様子が変わってきたな。ノアの祈りが水の精霊アサンに届いたとして、実際に眷属ジルファが魔物たちを平らげたとは考えにくい。凶悪な魔物たちはダンジョンに閉じ込められた……ってことか?』
急にダンジョンが発生したこと。
ダンジョンブレイクが起きたこと。
これらの事情を踏まえ、魔物の悪質性の低下、絶対数の減少の原因について、セミーンは二つのアプローチから検討した。
一つは、水の精霊アサン、その眷属ジルファによって魔物が討伐されたこと。
もう一つは、精霊たちが魔物の持つ魔石に干渉して魔力を集め、魔物たちをダンジョンの中にとどめて管理しようと試みていること。
セミーンは、森の生態系の変化から察するに、後者だと考えていた。
分厚い鎧兜の中で、眉間にしわを寄せながら考える。
『凶悪な魔物をダンジョンに閉じ込め、ダンジョンの動力である魔力を徐々に外に出させる形で、周囲の平静化を図ろうとした……のか?』
今はまだ分からない。
しかし、セミーンは確度は高いと考えていた。
もっとも、そこに現代日本・須田市からのイレギュラーが含まれていることなど、セミーンたちは知る由もないのだが。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ページ下部からの評価(☆)、ブックマーク、ご感想など、いつも大変励みになっております。
これからも『ゴブリンマン』をよろしくお願いいたします。




