第七十七話 悪い予感
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ミナの話題を出した瞬間、エミは顔を歪めたが、その後すぐ亜希をいたわるように声をかけた。
「……アキちゃん、あの子のことは……考えなくていいよ」
エミの表情から不穏なものを感じた亜希は、事情を聞こうと前のめりになる。
「えっ?何か……あったの?私が嫌われてたとか?」
「そんなレベルじゃない!」
急に怒り出したエミ。
しかしそれは、亜希の無神経さをとがめるというよりは、ミナに対する怒りが暴発したかのようなトーンだった。
「……このままずっと話さないでおこうと思ったんだけど……もうあの子、出勤することもないだろうから言うね」
エミは、そのチャーミングな顔が醜くなるほど怒った理由を話し始めた。
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エミは、ガールズバー『Cheers!』において、役職こそないもののリーダー的立場であり、新人に対して先輩として仕事を教える機会が多かった。
亜希のサポート後は、新しく入ってきたミナに対して指導することになったのだが、ミナはさすがキャバクラ出身ということもあり、ドリンクの作り方やフード提供など、基本的な仕事はすぐに覚えた。
そこまではよかった。
しかし、ミナは残念ながら、周囲を盛り上げる協奏型の適性を持っていなかった。
ある日、ミナとエミは、亜希が指名でテンパっているところで静かにぶつかり合っていた。
「ミナちゃん、アキちゃんがお客さん付いてるから、ドリンクヘルプしてあげて」
「……私、あの端の人から声かけてもらってたんで、そっち行きます」
「ああ、あの人は私が対応するから大丈夫」
「なんでエミさんがヘルプに入らないんですか?私のお客さん奪うつもりですか?」
「いや、そういうことじゃなくてね?前にも説明したけど……」
「ヘルプでも10%バック入るんですよね?それは分かってます。でも私のお客さん無視するわけにいかないんで」
分かってない。
エミは、ミナが『声をかけてもらった』と話している客が、そもそも別キャストの指名客であると知っていた。
そのキャストは短時間勤務で帰ってしまったので、まだ残っているだけの指名客に対して、後からミナが対応してもヘルプ扱いにならない。
ミナは、あくまでもそのお客さんからドリンクを頼まれただけであって、彼女自身が指名されているわけではなかった。
そこで少しでも新人にバックをプラスしようと、エミは自分が貧乏くじをひく代わりに、亜希のヘルプでお金を儲けてもらおうと思っていたのである。
それなのに、エミは自分の話を全然聞かないミナに苛立っていたが、すぐにプロとして意識を切り替え「じゃあそっちについて」と早々に話を切り上げ、亜希のヘルプに入った。
亜希がエミや他のキャストのサポートに感謝しているその陰で、ミナはいつも他のキャストとも要らぬ衝突を起こしていた。
そして、その不満はエミが愚痴として聞く格好になった。
「何なんすかアイツ!こっちが親切でヘルプお願いしてやってんのに!」
「コスチュームも着ないで、ずっとジャージの癖に偉そうにして、ホンット腹立つ!」
「キャバ出身のくせに、この店のルール理解できないとか頭悪すぎ……」
不満をいなしながらも、何とかチームとしてお店を盛り立てようとしていたエミだったが、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
客の態度に一方的に腹を立て、勤務途中で店を出て行ってしまった、ある日のことである。
これ以上わがままは見逃せないと、店長とエミ、そしてミナの三名で面談を行い、ヒアリングを行う。
「ミナ、昔働いていたお店では、客をほっといて帰ることなんて許されたのか?」
店長が厳しめのトーンでミナに詰め寄る。
「はい、あからさまにジンゲンシンガイな奴がいたら、ボーイさんに引っ張ってもらってたんで」
スマホを見ながら、悪びれずにミナが回答する。
それにエミが反論する。
「あのお客さんが何かした?私が見る限り、別に悪いことしてるようには見えなかったけど?」
ミナがふう、とため息をついた。
「何見てたんすか?アイツ『私がコスチューム着てるとこ見たいな』とか、『チアガール姿きっと可愛いよ』とかセクハラ発言ばっかだったっすよ」
Cheers!では、接客に慣れるまでの間、チアガール姿ではなくジャージ姿での接客が認められている。
しかし、もしお客さんから応援を受けて気持ちが固まり、ジャージを脱いでチアガール姿になったら、その日が記念日となりミニボーナスがもらえる。
その際、励ましてくれたお客さんをジャージを脱いだキャスト(チアガール)が指名すると、そのお客さんは“120分間”所定のドリンクがタダで飲める。
かなりの大盤振る舞いになるので、多くのお客さんがジャージ姿のキャストを見かけると、つい応援のつもりで声をかけようと積極的になる。
だが、それがミナには気に入らなかったようだった。
「いやそれがウチの方針だからね?ジャージの接客は当たり前じゃないし、あくまでもお店に慣れるまでのことで……」
「着るか着ないかはこっちで決めていいんすよね?だったら別に強要されたくないっす」
「……だから!あのお客さんは応援してるだけなんだって!水商売やってきたなら分かるでしょ!?あんたの格好がこの店では変だってことぐらい!」
ミナがイライラを爆発させながら、店舗のシステムにも触れつつ、お客さんの意図を説明する。
「コスチュームボーナスの話も聞いてるよね!?ジャージ脱いだらお客さんがタダになるシステム!だから声掛けしてるだけでしょ!!」
店長も、つとめて冷静にミナに声をかける。
「お店のシステムが少し複雑だから、分かりにくかったかもしれない。でも、それなら覚えて欲しい。入店からもう三ヶ月が経ってるけど、アキちゃんは同じ頃、未経験だけどバックいっぱいもらってたよ」
亜希の名前を聞いて、ミナはたちまち不機嫌になる。
「……素人と一緒にしないでもらえますかぁ?私はキャバの『お客様が気持ちよくなってくれる』会話を意識してるんでぇ……なんか頑張ってるだけって感じの、あんな誰にでも胸触らせそうな女とぉ……」
無神経かつ利己的なその発言に、とうとうエミがブチ切れた。
「あんたが高慢に接客してるその横で、ドリンク作って場を繋いで、あんたの不機嫌フォローしてるの誰だと思ってんの!指名のないあんたにヘルプが付くのは、アキちゃんがあんたの100倍頑張ってるからだろ!ふざけんじゃないよ!」
ミナも負けてはいない。
「誰も頼んでないし。何ならヘルプなしでもいいっすよ。自分でドリンク出して自分で稼ぐんで」
ここで、採用責任も考慮して、店長が場を締める。
「ミナの言いたいことはよく分かった。じゃあ、実際に一人でやって売上出してみ?それで納得するんだったらいいよ。カウンターの端っこ使っていいからそこで接客してな」
「はーい」
無気力、かつロ―トーンの返事をして、ミナは事務所を出て行った。
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ミナの最近の様子を知った亜希は、仕事にただ一生懸命だったこともあり、ミナの不機嫌や悪意にまったく気付いていなかった。
愚直に、エミから教わったことを自分なりにやっていただけで、忙しい時も最低限ドリンク作りはサポートしてくれていた印象があったのだ。
亜希は素直に、今の気持ちを吐露する。
「そんなことが……あったんだ……だからミナちゃん……ずっとカウンターの端っこで……」
エミは少し潤み声になりながら、亜希とミナを比較して怒りをぶちまける。
「ただでさえ、アキちゃんあの男のことで滅入ってるって思うとさ……やっぱりみんなほっとけないんだよ。それでも気丈にしてるアキちゃん横目に、アイツ大して面白い話もしないでのんびりやってて……アッタマくるよ誰だって!!」
亜希は、自分が必死にやっている間に、周囲でそのようなことがあったのを知らなかった。
なぜSNSで自分を貶めていたのかについても理解した。
だが、亜希には『なぜ彼女がそこまで性格悪い振る舞いをしていたのか』については、まったく見当がつかなかった。
夜のお店で働いているなら、絶対にやってはいけない振る舞いということくらい、経験の浅い亜希でも分かる、にもかかわらず。
思い悩み始めた瞬間、ある一つの仮説が浮かんだ。
『……翔と……同じ……?』
かつて魔物になり、心を狂わされた元カレの翔。
ミナもまた、魔王の犠牲者の一人なのだろうかと、亜希の頭の片隅で妄想が少しずつ加速していた。
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