第六十三話 朝の営み
一仕事終えた翌日の朝。
洋市は、ザックに入った歯磨きキットを使い、水場で歯を磨いていた。
宿屋の女将はバルカスから事情を共有しているため、ゴブリン姿のままで牙を磨く格好である。
『これは歯ブラシがすぐ広がるな』
ドラッグストアで揃えたばかりの歯ブラシの寿命を気にするくらいには、洋市はアルトヤ界での現実に慣れてきていた。
しかし、亜希はそれ以上に異世界を満喫しているようで、「寝汗をかいてしまいました」と言って、なんと朝からノアの精霊水によるシャワーを浴びに行った。
洋市も人並みに清潔感は気にするが、さすがに異世界の住人に「シャワー貸してくれ」と言えるほどの図太さはない。
『ああいうところは見習うべきなのか、それとも反面教師にした方がいいのか』
まあ俺は男だしな、と、なかなか気安さを演出するのは難しいと思いつつ、人間の姿に変化して朝食を食べることにする。
宿は砦の中心にある建物内にあり、宿泊客が食事を摂れるスペースはない。
したがって、多くの冒険者は中央広場にある屋台で何か買うか、自前の保存食を食べるかすることになる。
洋市はお腹が空いていたため、今回は屋台で食べようと思い立ったが、レゾルグ王国の通貨を保有していないことに気が付いた。
ハンスルではマンナが諸々の買い物を立て替えてくれていたので、お金の心配をする必要がなかったのである。
美味しそうな匂いが漂うテラス席で、洋市が一人寂しく冒険者たちの食事風景を見ていると、後ろから気安い声が聞こえてくる。
「おっはよーう!ヨウイチくん、朝飯を食べに来たんじゃないのかい?」
冒険者登録の実務テストの監督者である、吸血種のトゥイが気安げに声を掛けた。
「おはようございます。実は今、私、1メルも持っていないことに気が付きまして」
洋市の返答に、高らかにあはははは、とトゥイが笑い、洋市は頭をかいた。
「あんだけ仕事できるのに、無一文っておかしくない?そうかそうか、じゃあ僕がおごるよ」
いえそんな、と恐縮する洋市に、トゥイはニコリと微笑んだ。
「ギルドに後で請求するから問題ないよ、好きなもの食べよう!僕も何かつまむかな」
二人は屋台に行き、どんなメニューがあるのか目を通す。
「豆スープと塩漬け肉は定番でしょ、マタンゴとワイルドエッグの衣焼きもいいねえ、あっ、肝串もあるじゃん!僕は肝串!ヨウイチくんは?」
屋台では、数種類のメニューが提供されており、トゥイは血のしたたるレバーを食べるようだ。
このあたりは、バンパイア、もとい吸血種の血がそうさせるのか、と洋市は邪推した。
「……では、お言葉に甘えて、ワイバーン肉の香草焼きサンドをお願いします」
ハンスルで食べた、ピロウリザードの香草焼きの旨さに引きずられる形で、洋市は香草焼きサンドを頼んだ。
「うえー、僕苦手だなあ。もっと素材の味を楽しみたいんだけど、ヨウイチくんは健康的ねー」
トゥイは、香草が好きな洋市を健康志向の人間と捉えたのか、皮肉をつぶやきながら屋台の店主にオーダーした。
洋市は、多様な人種が存在するアルトヤ界でも“野菜は健康”という意識があることに驚いた。
ただ、トゥイの場合は野菜というより、強い香りがする植物が苦手なのかもしれないと思った。
出来上がるのを待っている間、好奇心を抑えられず、洋市はトゥイに質問する。
「お気に障ったらすみません。トゥイさんはニンニク好きですか?」
トゥイは即座に反応する。
「んーん、苦手。僕はバンピールだから食べても問題はないらしいけど、あんな臭いもの食べる人の気が知れないね。でもヨウイチくんは好きそうだなあ」
トゥイはバンピールという種の希少さから、洋市がそのような質問をしたのだと誤解した。
しかし、洋市は現代日本における教養が通用するのかどうか、確かめる意図で質問していた。
やっぱりダメなのか。
洋市が納得しつつ、吸血種の生態について妄想を膨らませようとしたところ、さっそく肝串が三本出てきた。
「じゃあお先に、死神の慈悲に感謝を!」
さっそく一本目の肝をほおばり、じっくり味わうように噛むトゥイ。
不思議な挨拶を聞いたが、おそらく日本でいう“いただきます”だろうと洋市は思った。
洋市もよだれが出そうになるが、そこで自分の分も店主から受け取る。
「どれ、いただきます」
両手でつかんだワイバーン肉の香草焼きサンドに軽くお辞儀をして、かぶりつく。
『……うーん、旨い。肉はジューシーながら脂っこくなく、牛肉のような……場所によっては鯨肉のような食感だ。そこに香草が加わって臭みは消え、爽やかな後味が残る』
風通しの良い空間で、朝の空気を浴びながら、洋市は心の中で食レポを行う。
ハンスルの宿でピロウリザードを食べたときに比べて、どこか人間味を取り戻したような感覚があった。
『人間らしいこと、例えば仕事をして人の役に立つことも、人間味の回復につながるのか』
洋市は、自身のステータス変化について考察しつつ、旅行ブログの執筆時代を思い返し、久々の食レポを楽しみながら最後の一口を終えた。
「ごちそうさまでした」
日本人として、美味しい食べ物に対する感謝の言葉を述べたところ、トゥイも同じく三本目を食べ終えたところだった。
「審判のご容赦を」
洋市は、トゥイの発した興味深い一言について質問した。
「質問ばかりですみません、先ほどの言葉は……」
トゥイは一瞬考えるそぶりを見せたが、ああ、と一言発して説明を始めた。
「僕たち、といっても僕の場合は母親だけど、吸血種の信仰対象は死神なんだよ。死神は悪い魂を自分のもとで矯正するといわれていて、生き物の命を奪い生き長らえることは、基本的に悪いことと考える」
トゥイは続ける。
「吸血種は、その気になれば生血だけで生きていけるんだけど、やっぱり栄養は十分じゃないんだ。だから自分の犯した罪、今の場合は肝串を食べたことについて“どうかお許しください”って意味でつぶやくのさ」
だから『慈悲』と『容赦』なのか。
洋市はアルトヤ界においても、神への信仰が生活様式の形成につながっている点に改めて感動した。
「僕からも質問していい?さっきの『いただきます』と『ごちそうさまでした』って、どういう意味?」
洋市は、日本におけるごく一般的な解釈を述べた。
「食材の命とか、生産に携わったすべての方々とか、調理してくれた人とか、自分が生きる糧をいただいたこと“そのもの”への感謝ですかね」
「深っ!!」
トゥイは挨拶が持つ意味の深さに驚き、洋市たちが暮らす世界への興味を強めた。
「あのさ、ヨウイチくんは昔、断食修行した経験とかないよね?」
「ええ、ありません。さっきの挨拶は、子供の頃から叩き込まれます」
「どういう国から来たのアナタ……」
遠い世界の、深淵ながら普遍的に思えるマナーに、トゥイは強烈な刺激を受けた。
二人が異世界間の文化交流を行っていると、後ろから声が聞こえてきた。
「あー!!もうご飯食べてる!洋市さんズルいー!」
「そうだーズルいぞヨウイチー……あっ、おはようございます!」
「香草サンド食べたろヨウイチさん、俺もそうしようかな」
「ワイバーン肉入ってんな、誰か討伐したのか?」
さっぱりした様子の亜希とノア、お腹を空かせたらしいガッタ、仕入先を気にするセミーンが合流する。
洋市も挨拶する。
「おはようございます皆さん、亜希さんすいません、お腹が空いてしょうがなかったので……マンナさんは?」
洋市は、朝の挨拶の中にさりげなく亜希への謝罪をからめ、マンナの所在を確認した。
質問にはノアが答える。
「マンナは今日は朝食べないみたい。あとで保存食で済ませるんじゃないかな」
パーティー同士が自由に振舞えている様子を見て、洋市はまるで家族のようだな、と思った。
こうして、昨日一緒に戦った仲間たちは、楽しく朝の時間を過ごした。
──その頃。
バルカスの執務室。
遠方の人物と通話ができる、水晶型の魔道具の前で、バルカスは上司である辺境開拓軍第三部隊長・ゴルドーに“異世界転移の疑い”について報告していた。
「……これまでの経緯も含めると、この衣服を着用していた人物は、おそらく異世界転移者の可能性が高いんじゃないかと考えてます」
バルカスの報告を聞き、ゴルドーは事態が深刻化している可能性に言及する。
「現認できた例はこれで五件か。偶然にしては多すぎるからな。実際に異世界人には遭遇したか?」
「……魔物化した異世界人に遭遇した可能性は考えられますが」
バルカスは、洋市の実情を気取られないよう、嘘を絡めて報告した。
「ふむ、人間種の魔王の呪いなら、その線が強いな。して、なぜ魔王が生きていると考える?呪い持ちでもいたか?」
「アサンの水源、ノアから報告が上がっています。内部から魔物に食い散らかされた跡があると」
「その“服の穴”がそうか」
「ええ。可能性は高いとこちらでは踏んでます」
老練に言い回しを工夫し、ゴルドーの言及を避けるバルカス。
ゴルドーは納得した様子で、バルカスに指示を出す。
「分かった。引き続き変化があれば報告せよ。本日の定時報告は以上とする」
バルカスの目の前にある、水晶型の魔道具からゴルドーの顔が消えた。
『──いつまでも誤魔化せねえな、ヨウイチ、アキちゃんと腹を割って話さんとな』
執務室の椅子から立ち上がり、バルカスは外の空気を吸いに出かけた。
バルカスが執務室を出たタイミングで、部屋の隅に隠れ、スキル【隠密】で気配を絶っていたマンナが、ふう、と一息ついて警戒を解いた。
『そろそろ国も遭難者問題に本腰を入れるか。早いうちにこっち側にヨウイチさんを取り込まないと』
関係者それぞれの思惑が、少しずつ、洋市と亜希の間近に迫りつつあった。




