第六話
洋市のリビングルームには、前に住んでいた部屋から一緒に引っ越してきたパキラが置いてある。
何度か鉢を替えて、土の量も大きくしていったところ、みるみるうちに大きくなった。
もともとは、フリーランスとして働くにあたり、金運アップを狙って購入したものである。
生き物を育てる趣味のない洋市だったが、毎日その姿が目に留まるうちに愛着が湧き、いつしか声をかけながら水をやるようになった。
要するに、人並みには大事に育てているといえるわけだが、そんなパキラの葉が不気味に揺らいでいるのに洋市は気付いた。
これまでも、エアコンから吹く風が葉を揺らすことはあったが、まるで羽ばたくように動いているのは初めてだった。
その動きに合わせるように、周囲もどこか“揺らいで”見える。
あの秘境駅・小野田で見たような、どこかに連れていかれそうな、そんな雰囲気だ。
『……とりあえず、もう一度あの場所へ行ってみるか』
このままでは、もう一度元の状態に戻ることも、ゴブリンとして力を発揮することもできない。
そう判断した洋市は、揺らぎの中に手を伸ばした。
>【勇気の欠片(小)】を使用。アルトヤ界へ移動
再び、頭の中に声が響いたことに気付き、洋市は頭を働かせながら別世界への引力に身を委ねた。
───────────
「どうなってんだよおお!!!」
現代日本における異世界、すなわちアルトヤ界と声が呼ぶその世界で、洋市はゴブリンの姿で追われていた。
パキラの揺らぎから移動した場所は、さながら野生動物、というか魔物と呼ぶにふさわしいルックスのモンスターたちがひしめく森林。
そして、おそらくはその中で自分が“最弱”であることを感じさせるオーラ。
目の前にいる、巨大オオカミのようなモンスターは、さっそく獲物として洋市を捉えた。
少なくとも、洋市はそう直感した。
声を出す間もなく、衝動的に洋市は逃げ出そうと試みた。
さすがゴブリンということもあってか、人間の頃より身軽で、走るのも速い。
しかし、巨大オオカミはそれ以上に速い。
一気に距離を詰めてくるが、そこに別の猪のようなモンスターが襲い掛かり、結果的に巨大オオカミは猪に吹き飛ばされた。
身体がヒリヒリする。
火傷したみたいな感覚が全身を襲う。
直感で分かる。
殺される、食べられる、死ぬ!!
「ヤバいよ、ヤバいよ、ヤバいよ!!」
日本における超有名芸能人もビックリのテンションで、声を上げながら洋市はその場から逃げ出した。
後ろを振り向く余裕もなく、それでも後ろから聞こえてくる地鳴りのような足音に怯え、神なのか悪魔なのか、とにかく何かに祈りながら心で叫んだ。
『助けて!どこかに隠れ!自分を!ああああ!!』
きちんとした言葉を紡ぐ間もなく、洋市は目の前に見えた茂みに飛び込んだ!
洋市は、肩で息をしながら、しかし口を抑えて呼吸音を抑えようと試みながら、モンスターたちが遠くへ行くのを待った。
茂みの緑が、うまくゴブリンの皮膚とマッチしたのか、あるいは別の理由からなのか、今のところ近くで巨大オオカミや猪の気配は感じない。
恐る恐る、洋市は枝と枝の合間から目を見張り、周囲の様子を探ってみた。
どこまで逃げてきたかは定かではないが、あの危険なモンスターだらけの空間からは、どうやら離れることができたらしい。
『これじゃ、同じ場所には戻れないな……』
日本に戻るには、おそらく自分の“ワープポイント”に戻らなければならない。
洋市はそれを直感的に理解していた。
しかし、自分の現在の実力では、隠れながら、逃げながら戻るしかない。
この状況を何とかしなければならない。
少しずつ呼吸を整え、冷静さを取り戻したところで、現状を何とかする方法を考えてみる。
『もう少し弱いモンスターがいる場所が見つかれば、例えばレベル上げみたいなことはできないだろうか?』
洋市がたどり着いた結論は、いかにもゲーム的なものではあったが、何もしないよりはマシだろうと考えた。
ひょっとしたら、レベルを上げていくうちに、ワープポイントが見つかる能力か何かが見つかるかもしれないと。
『この身体なら、木の上に登れるかもしれない。とりあえず、森の出入口を探して、近辺のモンスターの様子を探ろう』
洋市は、自分のおぼろげなファンタジー知識をもとに、ダンジョン出入口近辺の敵の方が弱いと判断した。
茂みを素早く抜け、最上部が見えないほど高い木を手足でつかみ、敵に見つからないよう昇り続ける。
枝葉のあいだからは日が差し、どうやら危険を感じるようなモンスターの存在も見当たらない。
凶悪な蛇の一匹でも襲い掛かってきてもおかしくないが、そういえば樹上の生物は天敵から逃れるために樹上生活をしていることを思い出した。
無事、木の最上部に登り、周辺を見渡してみる。
太陽が見えたが、同時に洋市は驚きを隠せなかった。
『……恐竜が、飛んでる……』
小学生のときに図鑑で見た、プテラノドンのような動物が、空を飛んでいる。
それも、鳥のように集団で陣形を作っている。
まるで、すべてのプテラノドンが一つになり、巨大な翼竜として飛んでいるように見える。
この世界では、竜が鳥のような存在なんだろうか。
かと思えば、一羽がそのプテラノドンの集団に匹敵するような大きさの、鴉のような鳥も飛んでいる。
彼らは餌が競合しないのか、それとも別の理由なのか、それぞれ戦闘態勢には入っていない。
『もし、こいつらに自分が見つかったら、きっといい餌だろうな』
洋市は、頭以外を葉の中に隠すようにして、もう一度木の上から森全体を見通した。
太陽と思われる光は、頭の上で眩しく光っている。
仮に、この方位を南とした場合、北には山々があり、南には目視できる距離に湖があるようで、周囲も開けている。
東も西も、永遠とも思われるような緑が続いている。
この状況で生き延びるのであれば、まず水を手に入れるのが最良と洋市は判断した。
『時間はかかるかもしれないが、枝づたいに湖まで移動してみよう』
ゴブリンの身体は、人間の身体に比べて身軽なようで、頑丈そうな枝にぶら下がりながら移動すれば問題なさそうではある。
四苦八苦しながら、ときどき湖の位置を確認しながら、太陽に向かうように洋市は猿のように移動を続ける。
『それにしても腹減ったな……』
何も食べずにワープしてしまったため、洋市は疲れた体にガソリンを入れることもなく、アスリートでもなかなかやらないハードワークをしていた。
ゴブリンもお腹は鳴るのだろうか、などと考えながら移動を続けていると、リスのような小動物が目に入った。
瞬間、洋市はそのリスを、まるでナッツをつまむかのように、枝を持つ手とは逆の手でつかんでいた。
そして、特に意識することもなく、頭からかじってしまった!
『うまいな……って何やってんだ俺は!』
手でつかんだのは、間違いなく生物であったし、未調理である。
にもかかわらず、頭から食べておいしいと感じるほどに、洋市の味覚は変化していた。
首のないリスを見ても、心臓の鼓動は激しくないのに、頭はしきりに違和感を訴えている。
だが、この矛盾した状況について考え始めると、移動に支障が出る。
『……こういう生き物なのか、この世界のゴブリンは。生物を丸かじりしても、普通に美味しく食べられる味覚があって、しかも消化できるんだな』
洋市は、違和感を抱きながらも、移動を優先してこの現実を許容した。
リスのような生き物を、骨はらわたごと食べ尽くして栄養補給を終えると、再び両手を忙しく動かして湖を目指す。
>【モンスター:エビルスクワロル】を捕食。
> レベルアップ Lv.2→Lv.5
> 現在のレベル ゴブリン・スカウト Lv.5
唐突に、頭の中でアナウンスが流れる。
『レベルアップ?』
食事をしただけで、レベルが上がる世界ってあるのか?
それとも、あのリスはやはりそれなりに強いモンスターで、たまたまゴブリンだったから気にせず食べられただけだったのか?
洋市は疑問を抱いたが、やはり心はどこか平常心というか、巨大なモンスターに追われているときよりは落ち着いていた。
そこで、一つの仮説を立てる。
『倒せる敵、もしくは食べられるモンスターに対しては、まったく危機感を抱かないのがゴブリンなんだろうか。変な感覚だな』
とりあえず、腹が減ったら小動物を食べてカロリーを摂取すればいいだろう。
自分の身に起こった変化に疑問を感じつつも、まずは考えることを押しとどめ、洋市は湖へと向かった。




