第五話
ゴブリンのコスプレをした姿、と思われている男性、つまり洋市を乗せた警察車両は、周囲からそう誤解されるようなこともない、シルバーの地味な車だった。
その車がアパート入口に到着すると、洋市は運転手にお礼をいい、人目を盗むようにマンションの階段をのぼる。
夜だったことが幸いしたのか、通路に人影はまったくなかったが、どうにも照明が明るく感じられて仕方がない。
取調室が思ったよりも暗かったのだろうと思い直し、慣れた足取りで自分の部屋の玄関扉までたどり着く。
周囲に人がいないのを確認しながら、鍵を開けて玄関に飛び込むと、これでもかというほど極大かつ長時間のため息が出た。
「まったく……なんて日だ、本当に。よく留置場に入れられなかったもんだ。」
そうつぶやいた後、洋市はまず冷蔵庫にあるビールでも飲もうと、気を取り直しリビングへ向かった。
そのとき、ふいに胸が熱くなっているような気がして、何気なく窓ガラスに反射した自分の姿を見た。
すると、どうやら胸の中央が、ブラックライトのように光って点滅している。
『脱いでみるか』
洋市は、十中八九このゴブリンの皮膚から、何らかの光が漏れているのだろうと判断した。
パジャマと肌着を脱いで上半身裸になると、胸には六芒星のような、どこか幾何学的な紋章のような模様が刻まれている。
紋章は紫色に光っており、その光は規則的で、まるで『押せよ』と洋市に語り掛けるように、注目するよう促しているようだ。
『また何かあるのかよ……勘弁してくれ』
心の中でそう思いながらも、洋市自身もこのままの状態を放置できるとは思っておらず、結局その紋章に右手で触れた。
すると、一瞬視界がぐにゃりと歪み、周囲が一気に暗くなった。
『ん?どうして暗くなった?』
そう思ってリビングの電灯を見ると、洋市は電気を点けていないことに気付いた。
にもかかわらず、自分は窓ガラスに映った自分の姿を視認できていたことにも気付いた。
暗かったリビングに明かりがともり、今度はカーテンを閉め、自分の部屋にある姿見まで歩く。
部屋を明るくしてから自分の姿を見ると、見慣れた姿、つまり人間に戻っていた!
『何だこれ、どうなってるんだ?』
疑問を言語化する必要があると判断した洋市は、自分の胸に刻まれている、光を失った紋章を鏡越しに見ながら考えた。
自分はゴブリンだったとき、夜の暗さを気にする必要がなかった。
自分が胸にある紫色の光を発している紋章に触れたとき、人間の姿に戻れた。
現在、紋章は光っていない。
『紋章がヒントになりそうだな』
おそらく、紋章に触れることで、何かが変わるのかもしれない。
そう思い、再度右手で紋章に触れる。
すると、再度視界が歪み、今度は眩し過ぎて部屋の中も姿見も見えなくなった。
思わず目を閉じた洋市は、光に目が慣れるのを待ちながら、おそらく自分の姿はゴブリンへと変化したのだと推測した。
いっこうに目が慣れないため、たまらず手探りで部屋のスイッチを探し、電気を消す。
するとようやく、自分がついさっきまで変身していた、ゴブリンの姿に戻っていた。
紋章もまた、右手で触れる前の状態に戻った。
つまり、紫色に点滅している。
『なるほど、紋章に触れると人間に戻れるわけだ。左手でも同じだろうか』
左手と右手で効果が違うかもしれない。
洋市がそう考え、左手で紋章に触れてみると、今度は目の前にサイネージ状のデータ表示画面が登場した。
ウインドウと呼ぶべきなのか、その画面には、自分の姿が写ったと思われる画像のほか、以下のような情報が日本語で記されていた。
[種族] ゴブリン(変異種)
[ジョブ] スカウト(斥候) Lv.2
[スキル] 隠密 Lv.1、夜目 Lv.2、盗取 Lv.1
[変身時間] 238/240 分
[特殊スキル] 勇気の欠片(微)
[ステ―タス開示状況] 5項目
『……あらあらあら、これはいよいよ本物だ』
洋市は、10代から20代にかけて、テレビゲームにどっぷり浸かっていた人間である。
ゆえに、ゴブリンが映画やアニメ、ゲームに登場するキャラクターであることは何となく知っていた。
ステータスと呼ばれるものが、自分や他のキャラクターの状態や称号などを表示する場所であることも。
そして、いわゆる“異世界”におけるモンスターであることも。
ゆえに、現状の理解は早かった。
周囲に事情を説明しなければならない家族がいなかったことも、洋市の事態に対する順応を助けた。
『とりあえず、そんなにスキルは多くなさそうだ。夜目ってのは、暗くても目が見えるスキルなんだろうな。それにしても“盗取”って、いつ使って、いつ成長させればいいんだ?』
盗取を簡単な言葉にすると“盗む”となるわけだが、要するにスリとか忘れ物を盗むとか、そういったことがしやすくなるというスキルだろうか。
洋市はそのように考えながら、少なくとも現代で使用できる場面は限定的だと考えた。
よく見ると、ステータスの開示状況という表示もあることから、レベルアップなど諸々の条件を満たせば新たな表示が確認できるのかもしれない。
そして重要なのが、変身時間という部分。
『こりゃあ、ゴブリンの状態から人間の姿に戻っていられる時間ということだろうな。どうすれば回復するのかは分からないが』
隣人を助けて聞こえた声の内容を思い出してみる。
確か“近隣住民の救出”とか何とか言っていたはずだ。
そこから考察すると、おそらく今回は人助けが変身ポイントとして入ったものと考えられる。
一通り状況を整理していると、隣の部屋が急に騒がしくなった。
おそらく、警察の現場検証や、業者による窓の応急処置などが行われているのかもしれない。
隣人として様子を見に行くことも考えたが、洋市は疲れていたし、何だか恩の押し売りみたいな感じになってしまうような気がしてやめた。
ビールを飲むのはシャワーを浴びてからにしようと思い直し、浴室へ行こうとしたとき、部屋に置いてあったスマホが鳴った。
洋市が、普段使用しているSNSからの通知を見ると、現在自分が住んでいるS市の近隣情報まとめアカウントからだった。
その内容を見て、洋市は疲れも吹っ飛んで通知をタップした。
「S市○○区のマンションに緑の怪人出現!」
「羊パジャマのシュールなゴブリン見参!」
「コスプレマニアが暴漢を現行犯逮捕」
いかにも、ネットの住民が好みそうな見出しが並んでいるのを見て、洋市は戦慄した。
『これはバレるのも時間の問題だな……』
そう思いながら、洋市の中にも、上手く言い表せない形の期待感が生まれていた。
『要は、ゴブリンのコスプレをしていることに正当性があれば、別にバレてもよいのでは?』
一見すると、ゴブリンになってしまうという、この異世界の呪いは絶望的。
しかし、万一に備えて人間への変身回数を抑えていれば、人間社会に溶け込むことは可能かもしれない。
『人助けが人間に戻るための方法なのか、それとも根本的な方法が他にあるのかは分からないが、バズるのは間違いない!』
ジリ貧だった自分のキャリアに、新たな光が差した。
洋市はなぜかポジティブにこの状況を考え始め、さっそく現在運営中のブログの管理画面を開く。
新しいカテゴリの作成。
タイトルは……
『“ゴブリンマン”とかでいいんじゃないか』
正義の心と悪の姿を持つ、ゴブリンマン。
その直球かつ、ひねりのないネーミングを、洋市は気に入った。
そんな風に、洋市の中で、新たな飯のタネが生まれるという期待感が育っていく中。
リビングの片隅に置いてある観葉植物、パキラの姿が少し揺らいでいた。




