第四十九話 これからの相談
一夜が明け、須田市内の総合病院。
打撲や裂傷の応急処置を受けた洋市は、個室のベッドの上で所轄の刑事から事情聴取を受けていた。
「――つまり、男が突然暴れ出し、裏口から逃げていったと」
「はい。私もスタンガンか何かで気絶させられていたせいか、記憶が途切れ途切れなんですが……とにかく、翔という男から亜希さんたちを守ろうと必死だったことだけは覚えています」
洋市は、痛む頭を押さえるような仕草を交えながら、あえて曖昧な証言をした。
これは、亜希がすでに警察へ自分の立ち振る舞いについて、ある程度は信憑性のある説明をしているだろうという算段から、矛盾を生じさせないために考えた台詞だった。
案の定、刑事の口ぶりから察するに、亜希は次のような筋書きを警察に説明しきったようだった。
まず、ボディーガードを務める洋市が、亜希が店からいなくなったことに気付き、以前から警戒していた翔の実家へと足を運んだ。
そこで洋市は、亜希と木村が翔と口論になっている場面に出くわし、暴力を振るおうとする翔の間に割って入った。
洋市が時間を稼いでいる間に、亜希と木村はその場から離脱。
その際、木村から「娘が捕まっている」と聞いた亜希が、地下へ続くハッチを発見した。
木村の娘が囚われているのを確認したところで、翔の隙を突いて逃れてきた洋市がいったん合流。
壁にあった鍵を見つけて、鉄格子の扉を開けた。
この時、亜希は『翔がすでに薬物か何かでおかしくなっていた』と証言しているはずだと洋市は踏んでいた。
その後、全員で脱出を試みた際、ガレージの方へ翔が近づいてくるのが声や物音で分かったため、洋市が自ら囮となって翔を勝手口の方へ引きつけた。
そして、警察のサイレンや突入の声が聞こえたことで、完全にパニックに陥った翔が洋市を突き飛ばし、そのまま暗闇へ逃げていった――。
よくもまあ、こんな筋書きを一気に考えられたものだ。
洋市はライターとして、亜希のストーリーテリング能力に舌を巻いた。
「……現在、全署を挙げて逃げた二条翔の行方を追っています。浅井さん、危険を顧みず被害者の方々を守っていただき、本当にありがとうございました」
刑事が手帳を閉じ、深々と頭を下げた。
『よし……これで何とか切り抜けたか』
自分が全く疑われておらず、警察の目が完全に逃走中の翔へ向いていることを確信した洋市は、内心で深く安堵の息を吐いた。
同じ頃、別の階の病室では、木村が妻子とともに穏やかな朝を迎えていた。
左腕の骨折と全身の打撲で入院を余儀なくされたが、命に別状はなく、そう遠くないうちに退院できそうだという。
「……すまなかった、麻希子。私が不甲斐ないばかりに、麻実をあんな危険な目に……」
ベッドの上で肩を落とし、妻に深く頭を下げる木村。
だが、その横から、娘の麻実が父親を庇うように口を開いた。
「違うの、ママ。パパは、ずっと私を守ろうとしてくれたの。あの怖い男の人に殴られても、ずっと私を探して……」
娘の言葉と、ボロボロになった夫の姿を見て、妻の麻希子は木村がきちんと自分たちのことを見て、命がけで守ろうとしてくれたのだと再評価していた。
かつての木村は、職場で難しい仕事を抱え込むあまり帰宅が遅くなり、妻子とのコミュニケーションが完全におざなりになっていた。
娘を気遣う余裕もなく、妻の相談に耳を傾けることもないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
そんな寂しさとプレッシャーを紛らわすため、ふらっと訪れたガールズバーで、親身になって相談に乗ってくれたのが亜希だった。
「……実は、あのお店で、麻実との距離の縮め方を相談していたんだ。無理に話しかけず、まずは挨拶や、ちょっとした家事を手伝うところから始めてみたらどうかと、アキちゃん、その洋市さんって人と一緒に私たちを助けてくれた子がアドバイスをくれてね」
そこから少しずつ態度を改善し、家族との関係をやり直そうとしていた矢先。
関西の僻地への単身赴任が決まり、ひどく落ち込んでいた。
その様子を見た亜希が、バーでの送別会を企画してくれた……という一連の経緯を、木村は妻に隠すことなく正直に話した。
それを聞いた麻希子は、少し戸惑いつつ、どこか昔を懐かしむような優しい表情を浮かべた。
「ガールズバーなんて、あなたが通うと思わなかった。昔から真面目一辺倒で、私と違ってタバコも吸わないし、お酒もほとんど飲まないのにね」
「あそこはモクテルが美味しいんだ。基本的な組み合わせを少しアレンジしているみたいで、全然飽きなかったよ」
「あの人……アキさん、だっけ?可愛いし、人気ありそうな感じよね」
「何もないよ」
「知ってる」
麻希子は、普段の夫の生活ぶりから、その点については信頼していた。
実際、夜中に病院へ駆けつけた際、亜希からも直接事情を説明されており、今回の件は自分にも責任があると頭を下げられていた。
妻である自分の前に堂々と出られることと、その説明の誠実さから、少なくとも夫の浮気については完全に“シロ”だと判断していた。
ふと、麻希子は夫の木村、実に昔話をした。
「……麻実って名前、あなたの名前にある『実』と、私の『麻』の字から一文字ずつ取って付けたのよ。覚えてる?」
「あぁ」
「最初は『考えるのが面倒くさいから』なんて言ってたから、ぶっ飛ばそうと思ったけど、結構色々考えてたんだよね」
「メモ見たの?」
「机の引き出しなんかに入れてたら、誰だって気付くでしょ」
「そうか」
麻希子は、そんな他愛ない話を続けるうち、やがて言葉が喉に突っかかるようになり、声を潤ませて話を続けた。
「……私たち、本当は離れちゃいけなかった。……どんなに田舎でも、一緒に暮らすべきだったんだ」
麻希子が涙ぐみながらそう言うと、麻実も力強く頷き、木村の無事な右手に自分の手を重ねた。
翔という理不尽な悪意が引き起こした事件は、皮肉にも、すれ違っていたある家族の精神的繋がりを取り戻す結果となった。
『『ありがとう、ゴブリンマン』』
そして、実と麻実の心には、かつて世間を少しだけ賑わした“ゴブリンマン”が本当にいたことに対する驚きと、ヒーローに憧れを抱くちょっぴりミーハーな気持ちが芽生えていた。
これは今後、父娘のささやかな秘密になるだろう。
一方、亜希は事情聴取を終えた後、病院の廊下から店長へ事態が解決した旨を電話で報告していた。
「そうか、本当によかった……!こっちも警察が来て大変だったけど、店には何の被害もないよ。今は店を閉めてるけど、バックヤードにはエミちゃんや他の子たちも残ってるから。もし家に帰るのが怖かったら、こっちにおいで」
店長の温かい気遣いに胸が熱くなったが、亜希は首を横に振って通話を続けた。
「ありがとうございます。でも……私を助けてくれた洋市さんが怪我をして入院しているので、もう少しここに付き添うことにします」
店長に深い感謝の意を伝え、電話を切る。
怪我の処置と事情聴取が終わるまで、亜希は洋市の個室のすぐそばにある長ベンチに座って、一人静かに待っていた。
やがて、病室から出てきた警官の一人が、ベンチで待つ亜希の姿に気付き「中でお待ちになりますか」と優しく声をかけてくれた。
亜希が病室に入ると、ベッドの上で点滴を受けながらも、洋市はいつもの塩顔で横たわっていた。
「洋市さん……体、大丈夫ですか」
「ええ……ただ、結構筋肉痛が激しいですね。まあ、普段ならあり得ない動きばかりしていたから、仕方ないのかもしれません」
どんな戦い方をしたのか見てみたかった!
亜希は、アルトヤ界での巨大オオカミとの戦いを思い出し、戦闘をこの目で見られなかったのを残念に思った。
少したってから、先ほどの警官が温かい缶コーヒーとお茶を買って戻ってきた。
警官は二人に飲み物を手渡すと、雑談も交えながら労いの言葉をかけた。
「二条翔の行方は現在全力で追っています。また危害を加えられることがないよう、当面は我々の方で病院周辺の警護を続けますので、安心してお休みください」
そう言い残し、警官は病室を離れていった。
扉が閉まり、部屋に洋市と亜希の二人だけが取り残される。
窓から差し込む朝の光の中、二人はお互いの顔を見合わせ、このあまりにも“濃い数日間”のことを思い返していた。
異世界への転移、迫り来る魔物、翔の狂気、魔王の声。
警察を欺くことには成功したが、亜希のバッグの底には未だに禍々しい「魔石」が眠っており、スマホのアプリには未知の機能が存在している。
「……洋市さん」
「ええ。分かっています」
洋市はベッドの背もたれに身体を預け、真剣な眼差しで亜希を見た。
「退院したら、一度私の部屋か、亜希さんの家でじっくり話し合いましょう。……今、私たちが置かれている状況について整理する必要がある」
おそらく、しばらくは、もとの日常に戻れない。
洋市と亜希は、それぞれの人生において、過去に前例がない重要な選択を迫られていた。




