第四十八話 演技派たち
「洋市さんは今すぐ変……コスプレを解いて、人間の姿に戻ってください。そして、このまま四人で……警察のところへ行きましょう」
地下室の淀んだ空気の中、亜希の突飛な提案が響いた。
木村親子が目を丸くする中、緑色のゴブリンの姿をした洋市は、無言のまま亜希の意図を探るように目を細めた。
「警察には、どう説明するつもりですか?」
「全部、翔のせいにするんです。翔が急に家に来て、私と木村さんを拉致してこの家に閉じ込めた。洋市さんは、最近ストーカー被害に悩んでいた私が雇ったボディーガードで、たまたま一緒にいて巻き込まれた……ということにします」
亜希は早口で、しかし極めて冷静に筋書きを語り始めた。
「翔は薬物か何かで錯乱していて、手製の爆発物や黒い薬品を使って家の中で暴れ回った。でも、警察のサイレンの音に気付いてパニックになり、勝手口から逃げていった……私たちはそう証言します。魔法や魔物のことは一切言いません。ただの『キマった異常者の犯行』として処理させるんです」
その提案を聞き、洋市は『よくまあこんなにスラスラと言い訳が浮かぶな』と感心した。
さっそく、案に穴がないかどうかシミュレーションを行う。
『……いけるか?』
洋市の脳内で、本件における案の正当性についてロジックが組み立てられていく。
まず第一に、最大のネックとなる「殺人」の容疑について。
先ほどまでここで暴れていたマッドハイエナ(翔)の死体は、今や一つの黒い石と化し、亜希のバッグの底に隠されている。
魔法が使えない警察にとっては、実質的にこの黒い石から翔に辿り着くのは難しい。
現代日本の司法において、おそらく「死体なき殺人」を立件することは、警察や検察にとって極めてハードルが高いはずだ。
これといった凶器もなく、遺体もない以上、警察は翔を「逃亡中の行方不明者」として扱うしかなくなるだろう。
第二に、証言の強固さについて。
刑事事件において、被害者の供述は極めて重い証拠となる。
拉致・監禁された木村、麻実、そして亜希の三人が「浅井洋市は自分たちを命がけで守ってくれた恩人だ」と完全に口裏を合わせて一貫した証言を行えば、警察もそれを覆すのは難しいのではないだろうか。
脱走、誘拐という重大犯罪の被害者が、わざわざ加害者やその仲間を庇う合理的理由も存在しない。
第三に、正当防衛の成立。
リビングには洋市の指紋が残り、この後人間の姿に戻れば、衣服の汚れや破れ、打撲痕などの戦闘の痕跡が顕わになる。
だが、それらは隠す必要がない。
「ボディーガードとして、凶器を持って暴れる脱走犯から依頼人を守るために必死に抵抗した結果」だと堂々と主張すれば、刑法上の『正当防衛』または『緊急避難』の要件を満たせるだろう。
洋市には前科もなく、フリーランスとして真面目に確定申告も行っているので、警察が強引に捜査を進めるメリットは少ない。
そして第四に、警察組織としての優先順位だ。
今、外を包囲している警察にとっての最優先事項は、不審な民間人を問い詰めることではなく、留置場から脱走した警察の面子に関わる重要参考人・翔を、一分一秒でも早く再逮捕することである。
『……やってみる価値はあるか』
洋市は、これらのロジック組み立てに十数秒を要した後、場の沈黙を破った。
「亜希さんのプランで行きましょう。ただし、警察を完全に信じ込ませるためには、『翔が自分の足で逃げた』という工作をしておきたいところです」
「工作……?」
「私がやります。木村さん、麻実ちゃん、お二人は絶対に『化け物』や『魔法』を見たと言わないでください。見たのは、薬でおかしくなって暴れていた翔という人間の男です。いいですね?」
木村は痛む腕を押さえながら、力強く頷いた。
「分かっています。恩人を裏切るような真似はしない。それに、これまでのことがあまりにも非現実的すぎて、説明のしようもない……」
麻実も父親に抱きついたまま、ゴブリン姿の洋市に怖さを感じつつも、こくりと小さく頷く。
三人の意志が固まったのを確認し、洋市は動いた。
「亜希さん、私は一階に戻り、逃走経路を偽装します。警察が乗り込んで来たら、木村さんたちを連れて一階のリビングへ上がってきてください」
洋市はもう一言付け加える。
「そして、可能であれば、取り乱した様子で『洋市さんは!?洋市さんは!?』と叫んでください。自分たちに危害が及ばないよう、私が翔と戦っていた、という体で」
言うが早いか、ゴブリンの強力な脚力を活かし、洋市は一息で地下室の階段を駆け上がった。
ガレージを抜け、破壊の爪痕が残る一階のリビングへと飛び込む。
『時間がない。急げ』
洋市は玄関へ向かい、下駄箱の近くに脱ぎ捨てられていた翔の大きめのスニーカーを両手に取った。
それを持ち、リビングの壁際へ戻る。
そこには、魔物が吐き出したタールのような黒い体液の残滓が、僅かに床にこびりついていた。
洋市は翔のスニーカーの靴底に、その黒い汚れと血を無造作に擦りつける。
そして、その靴を自分の手に嵌めたまま、リビングから中庭、パントリー、勝手口へと続くように、ペタペタと不規則な歩幅で『逃走する足跡』をスタンプのように床に偽造していった。
勝手口に辿り着いた瞬間。
表の玄関の方から、拡声器を通した警察の威圧的な声が響き渡った。
「――こちら須田市警だ! 建物は完全に包囲されている! 二条 翔、中にいるのは分かっている! 抵抗をやめて出てきなさい!」
『……二条 翔、ね。こういっちゃ何だが金持ちそうだな』
洋市は両手に持ったスニーカーをしっかりと握り直し、深呼吸をした。
そして、警察が表のドアを乱暴に叩き始めた音が聞こえた、まさにその瞬間。
身体強化した右足で勝手口の扉を蹴り飛ばす。
バキガシャァァンッ!!
ガラスとドアが勢いよく吹き飛ばされ、静まり返った夜の住宅街に、何事が起こったのかと住民に不安を与える轟音が響く。
そこで洋市は、持っていたスニーカーを裏庭の暗がりへと放り投げ、直ちに胸の紋章に右手を当てる。
> 人間形態維持:再開
> 残り時間:3000/3000 分
紫色の光が収束し、緑色のゴブリンの巨体が、見慣れた中肉中背の人間・浅井洋市の姿へと戻る。
着ていたワークシャツとスラックスは、先ほどの死闘の余波で所々が引き裂かれ、泥と埃、そして謎の返り血に塗れてボロボロになっている。
洋市はあえて床の木片に自身の腕を擦りつけ、少しだけ生傷を作る。
“必死に戦った傷”のリアリティを増すためだ。
「警察だ! 開けなさい!」
玄関のドアが激しくノックされ、ガチャガチャと鍵をこじ開けようとする音が響く。
その怒号を地下室で聞いた亜希は、おそらく洋市が工作を終えたのだと判断し、木村親子を促して階段を駆け上がった。
そして、一階のリビングへと飛び出すと同時に、自分にできる限りの“恐怖のどん底にいる被害者”の顔を作り上げた。
「突入!!」
物々しい音と共に玄関の重い扉が蹴り破られ、防刃ベストに身を包み、強力なフラッシュライトを構えた数名の機動隊員と刑事たちが雪崩れ込んできた。
各人は一階の複数の部屋に散開し、その隊員の一部が勝手口で倒れている洋市を見つける。
ライトを当てて、翔らしき人物ではないことを確認し、声をかける。
「警察です!大丈夫ですか!?」
眩しい光が洋市を照らす。
ボロボロの服と息を切らした姿で、洋市は絞り出すように声を出した。
「助けて……助けてください!!」
無駄な言葉はかえって言質を取られると考え、勝手口の方を指さす。
それだけで、その隊員は事情を把握し、無線で他の隊員に“翔が勝手口から逃げたらしい”ことを伝える。
洋市は、無線が終わった隊員に、口パクで何かを伝えようとしてうまくいかない様子を演じる。
「地下室……地下室……ガレージ……」
見事にそれを読唇してくれた隊員は、ガレージに地下室がある旨も無線で報告してくれた。
ほどなくして、リビングの方から「助けて! 洋市さんが!洋市さんが!」と泣き叫ぶ亜希の声と、それに呼応する捜査員たちの足音が聞こえてくる。
『俺の仕事は、とりあえず、終わった……』
極度の緊張と戦闘による疲労が、一気に押し寄せてくる。
洋市はそのまま静かに瞳を閉じ、警察の保護を受けるべく、痛みに呻く“哀れな被害者”の役を完璧に演じ続けた。




