第四十七話 取り戻した絆、そして新たな危機
首と胴が離れ床に崩れ落ちた、かつて翔だった魔物の身体は、急速に溶け出し、コールタールのようにドス黒く粘り気のある液体へと変わった。
液体は意志を持っているかのように一つに収束し、やがて両腕で抱えられるほどの大きさの黒い石へと変貌を遂げる。
洋市は亜希に駆け寄り、お互いの無事をねぎらった。
魔物が斃れたことを受けて落ち着きを取り戻した木村だったが、亜希と対等に話す新たな化け物の姿を見て「ひっ」と声を出す。
「木村さん、大丈夫ですよ、彼は噂の“ゴブリンマン”ですから」
「えっ?」
「それで……洋市さん、それは?」
亜希は木村への説明を後回しにして、黒い石について震える声で問う。
洋市はゴブリンの姿のまま、床に転がった不気味な石を見下ろした。
「おそらく、死闘の森で陰蛇を倒した時に手に入れたのと同じ“魔石”だと思われます。しかし……」
元々が魔王に直接干渉され、異常な負の感情から生まれた禍々しい存在。
それが魔石に変わったのだとしたら、石をこのまま放置するのは、あまりにも危険な判断に思えた。
ならば回収すべきだが、ここで洋市はあることを思い出した。
『陰蛇の魔石は、現代日本への持ち出しがキャンセルされた。これも持ち出せないのではないか?』
洋市がその疑問を亜希に伝えると、亜希は少し考えてから首を横に振った。
「洋市さん、私、あの大きなオオカミを倒した時にもらった魔石、ずっとバッグに入れたままで日本に持ち帰れてましたよ。あの重い石のせいで、バッグがちぎれそうでしたけど」
「……なるほど」
このことから亜希は、おそらく洋市が変身できる強力な大蛇が、他の魔物とは異なる特殊な要素を持っており、それゆえに現代日本への持ち込みが制限されたのだと推測した。
洋市もその推測に同意しつつ、頭の片隅では別の可能性を考えていた。
『……ひょっとして、俺がスキル【盗取】を使って強引に奪い取ったアイテムだったことが原因だったんじゃないか?アルトヤ界の人は、基本的に魔物を殺して魔石を奪うはず。それなのに俺はあえて魔石を盗んだわけで。もしあの時点で陰蛇が“生きていた”のだとしたら?』
どちらにせよ、この場で結論は出ない。
この石の処理や持ち込みの法則については、次にアルトヤ界へ行った際にマンナやノアに確認すればいいだろう。
洋市は石を亜希に持たせていたバッグの中に押し込み、まずは木村の娘・麻実を救出することにした。
地下室の周辺を見渡すと、壁のフックに無造作に鍵の束がぶら下がっているのが見えた。
洋市はそれを取り、鉄格子の扉の鍵穴に一つずつ合わせていく。
ガチャリと音がして、重い扉が開いた。
「麻実!」
「パパぁっ……!」
暗闇から飛び出してきた麻実を、片腕を負傷した木村がしっかりと抱きしめる。
TVなら涙ながらの感動の対面、といったところだが、洋市と亜希は感傷的になれる余裕もなく、ただ二人が無事だったことにホッと胸を撫で下ろした。
木村親子が少し落ち着きを取り戻したのを見計らって、亜希はここに至るまでの事情を聞くことにした。
「木村さん……どうして、娘さんがこんな目に?」
木村は痛む腕を押さえながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
木村は仕事柄、帰宅が遅くなることが多く、家庭内で少しずつ孤立し寂しい思いをしていたという。
その気を紛らわすために、たまたま『Cheers!』へ足を踏み入れたのがきっかけだった。
小学生高学年の娘との距離の縮め方が分からず、妻との会話も減っていた悩みを、カウンターで接客してくれた亜希にこぼしたのだ。
亜希は当時、そんな木村に対し、娘の立場に共感しつつも「無理に距離を縮めようとせず、まずは挨拶をしたり、ちょっとした家事を手伝ったりすることから始めてみては」と提案していた。
しかし、亜希のアドバイス通り、少しずつ家族のために頑張っていた矢先、急に関西の僻地への転勤が決まる。
娘は学校、妻も仕事があるから、仕方なく単身赴任を選択した。
ひどく落ち込んだ様子を見た亜希は、
『この人には、帰る前に温かい居場所が必要なんだ』
と考え、店長に掛け合って「ウチで送別会をやりませんか?」と提案した。
木村は「職場でも送別会はやってくれるから」と遠慮したが、亜希は「じゃあ二次会でもいいから顔を出してください」と返した。
送別会の夜、木村は職場の人間を誰も連れてくることなく、一人でバーにやってきた。
そんな孤独な自分を、亜希や店長たちが温かく送り出してくれたことに、木村は心から感謝していたという。
「……そうして僻地での単身赴任が始まったと思ったら、妻から『麻実が学校から帰ってこない』と泣きながら電話があって。慌てて警察に連絡させ、私も会社に事情を話して新幹線にでも飛び乗ろうとした」
木村は続ける。
「その瞬間に、あの化け物にワープで拉致されたんだ。そこは……よく分からない路地裏だった。そこで数発腹を殴られた後、翔から『アキちゃんを店から連れ出せ』って指示を受けて、一人でバーに向かったんだ」
しかし、恩人である亜希に危害が及ぶような真似はしたくなく、どう切り出していいか迷っていたところ、停電とともに亜希と一緒にこの家に引きずり込まれたのだという。
「……ごめんなさい、木村さん。私のせいで、ご家族をこんな目に」
「いや、謝らないでくれ亜希ちゃん。私が不甲斐ないばかりに……娘を守る力もなくて、本当にすまない」
互いに庇い合う二人。
ふと、亜希が木村の腕の中で震える麻実の方を見ると、麻実はただの恐怖から泣いているのではなく、どこか自分の態度を反省するような言葉を口にしていた。
「……パパ、ごめんなさい……。いつも遅くまで働いてるのに、私、パパのこと避けてて……」
亜希が理由を聞くと、地下室に閉じ込められていた間、翔から徹底的に罵られていたのだという。
「三食きちんと食えて、学校行けて、パパもママも優しくて、それ以外に何が欲しい」
「テメェ一人じゃ何もできないくせに、パパに悪態つける立場かよ」
「テメェみたいなゴミは、そのまま腹でも減らして死ねばいい、クソが」
翔は、麻実の記憶が読めたのだろうか、恐怖と不安で押しつぶされそうな麻実の心を、ひたすら言葉でへし折った。
その話を聞いて、亜希は翔の激情の裏側に触れた思いだった。
『……アイツは、愛されたくても愛されなかった自分と、愛されているのにその愛に気付けない麻実ちゃんを比較して……嫉妬して……』
もちろん、翔のやったことは愚かであり、許されることでもない。
だが亜希は、翔がなぜそこまでこの少女を憎悪したのか、その複雑で歪んだ心情の一端を、痛いほど理解してしまった。
「パパ……パパぁ……」
「大丈夫だ、もう大丈夫だよ」
父に抱きついて泣いて謝る麻実と、それを優しく受け止める木村。
この事件をきっかけに、この二人はきっと以前よりも良い関係を築けるだろう。
亜希は、翔が残した最悪の時間の中で、わずかに生まれたその絆を、どこか救われるような思いで見つめていた。
一方、洋市は感傷に浸ることもなく、状況を冷静に分析していた。
『魔物が消滅した今、この家も元の世界に戻ったんじゃないか?だとしたらこの家には……今……』
現状を確認するため、洋市は三人を地下に残し、単身で一階の玄関へと向かった。
そっとドアの覗き窓から外の様子を覗き込む。
外の景色は見えた、そして――。
『マズいな』
洋市の背中には、自分の予想が当たったことによる冷や汗がにじんでいた。
翔の実家の門の前には、赤色灯を回した警察車両が複数台、すでに到着して包囲の陣形を敷き始めていたのだ。
十中八九、連続変死事件の重要参考人(脱走犯)として翔の行方を追っていた警察が、何らかの手がかりを掴んで踏み込んできたのだろう。
もし、このままゴブリンの姿、あるいはボロボロの服を着た人間の姿で自分が発見されれば、間違いなく須田市の連続殺人事件に深く関与しているとみなされ、容赦ない取り調べを受けることになる。
指紋も隠していない状況で、下手な言い訳は通用しない。
洋市は音を立てずにドアを閉め、大急ぎで地下室へと戻った。
「亜希さん!家の外は警察に囲まれています。どうやら踏み込まれるのは時間の問題です」
その報告に、木村親子は安堵しつつも、状況をどう説明すべきか困惑している様子だった。
残念ながら、翔が死んだことでワープゾーン(揺らぎ)は完全に消滅しており、ここから脱出する魔法的な手段はない。
かといって、一般人である木村親子をここに放置して、自分たちだけ隠れて逃げるわけにもいかない。
洋市が、止まらない冷や汗を放置しながら解決策を模索していると。
「……私に考えがあります」
亜希が、何かを吹っ切ったような、決意を秘めた顔で立ち上がった。
「洋市さんは今すぐ変……コスプレをやめて、人間の姿に戻ってください。そして、このまま四人で……警察のところへ行きましょう」




