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【ゴブリンマン】~40代フリーランスが異世界でゴブリンになったら、人助けポイント稼がないと人間に戻れなくなった件~  作者: 広瀬
第一章 「ゴブリンマン」誕生編

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第四十四話 魔王に説教

時間を数分だけ遡ると、洋市は、店長から渡されたメモを頼りに、山の手に広がる高級住宅街を駆け回っていたところだった。

ゴブリンの【隠形】で夜の闇に溶け込み、【夜目】のスキルを駆使して表札を一つ一つ確認していく。


しかし、指定された番地があるはずの場所に、なぜか辿り着けない。

まるで、その家がある箇所だけが圧縮されたかのように、不自然な区画に調整されているようだ。


スマホのマップ機能で見るような、大きい敷地の家など、どこにもない。


『……おかしい。家そのものが見当たらないなんて、そんなことがあるのか……?』


立ち止まって思考を巡らせようとしたその時、洋市の腹が「グウゥ」と低く鳴った。

そういえば、夕方からまともな固形物を口にしていない。


思考をクリアにするためにも、ブレイクタイムのつもりでポケットからチョコチップ味のエナジーバーを取り出した。

以前、亜希が食べていたのと同じ、手軽にカロリーが補給できる補助食品である。


「護衛の道中で買っておいてよかったな」


包装を破り、口に運ぼうとしたその瞬間。


「……なっ!?」


洋市の真ん前の空間が、突然ぐにゃりと歪んだ。

陽炎のような「揺らぎ」が急速に拡大し、青、白、黒の三色がマーブル状に混ざり合う空間の穴へと変貌したのだ。

凄まじい引力で、洋市の身体が穴に引きずり込まれる。


視界が反転し、強烈な浮遊感に襲われる。

だが、死闘の森へのワープで慣れていた洋市は、ただちに体勢を立て直した。


空間の出口を抜け、両足がフローリングの床に着地した直後。

洋市の目の前には、腐肉を漁るハイエナと熊を掛け合わせたような、おぞましく凶悪な顔をした巨大な魔物が、大きく口を開けて迫っていた。


『——敵か!』


洋市は一切の躊躇なく、右の拳を【身体強化】のスキルで強化し、魔物の顔面めがけて強烈なストレートを叩き込んだ。

鈍い音とともに、魔物の巨体はボールのように吹き飛び、部屋の奥の壁に激突する。


緊迫した空気を完全に無視するかのように、洋市は構えた拳を下ろし、ポツリと素の驚きを漏らした。


「──ちょっと、ビックリするじゃないですか!?」


洋市が突然この場に現れた理由。

それは、数時間前、出勤前の『Cheers!』のバックヤードにまで遡る。




亜希は、自身のスマホアプリ『アルトヤ界観光ガイド』に突如追加された新機能、【召喚】の詳細画面をこっそりと確認していた。


▶【召喚】機能について

▶・使用条件:アプリ所持者が「生命の危機」に瀕しているとシステムが判定した場合のみ発動可能

▶・使用回数:日本時間で1日(24時間)に1回のみ

▶・効果:現在の空間の壁(異世界か否か)や距離を問わず、対象者を強制的に使用者の眼前に転移させる


いざという時のための強力な命綱。

亜希はすぐに洋市にこの情報を共有しようとした。


しかし、その直後に店長やキャストたちとの警備計画の話し合いが本格化してしまい、結局詳しい使用条件を伝えそびれたまま、現在に至ってしまったのだ。


「洋市さん……!!」


ぶっつけ本番の召喚だったが、無事に洋市が駆けつけてくれたことに、亜希は安堵でへたり込みそうになった。


「テメェ……!! やる気かこの野郎!!」


壁に激突したハイエナの獣人――翔が、瓦礫を払いのけて立ち上がり、激昂して咆哮を上げる。


「亜希さん、木村さんを連れて下がって! 話は後です!」


洋市はエナジーバーを急いで口に含み、亜希と木村を庇うように前に出た。

亜希と現状確認をする間もなく、怒りに我を忘れた翔らしき魔物が、鋭い爪を振りかぶって洋市へと突進してくる。


ドス黒い殺意と、むせ返るような魔力のプレッシャー。

一般人であれば、その殺気だけで失神してしまいそうなほどの威圧感だった。


洋市は【身体強化】を切らないまま、動体視力が良くなった目で振りかぶった翔の右腕を掴み、その勢いを利用して相手の体勢を崩す。


『……速いし、重い! だが——』


洋市はそのまま、がら空きになった獣人の右脇腹に、カウンターの左膝蹴りを重く叩き込んだ。


「ガハッ!?」


右腕をつかまれた翔の巨体は行き場を失い、脇腹から鈍い音が響く。

怯んで頭が下がった隙を逃さず、洋市が右足で下から顎を強烈に蹴り上げると、翔は宙を舞い、今度は天井に激突して無様に床へと落下した。


『なんだ? プレッシャーの割に動きが遅いし、ダメージの入りも良い気がする』


拍子抜けする洋市。

しかし、その理由は実に分かりやすいものであった。


翔は、確かに魔王から強大な力を与えられたかもしれない。

だが、彼がこれまで喰らい、戦ってきたのは、ほぼ無力に近い一般人や警察官だけだ。


対する洋市は、一歩間違えれば即死する『死闘の森』で、本物の凶悪な魔物たちと命の削り合いをし、上位種である陰蛇として捕食を行い、レベル28のゴブリンスカウトとして実戦経験(経験値)を積んできた。


理不尽なまでの暴力に晒され、生き抜くための戦い方を身体に叩き込んできた洋市から見れば、翔の攻撃など「力が強いだけのチンピラの大振り」でしかなかったのだ。


「クソッ! 殺す、殺してやる!!」


「ボディがお留守ですよ」


突っ込んでくる翔の懐に素早く飛び込み右ボディを食らわせ、がら空きになった顎に左手でアッパーを突き上げる。

数発、格闘ゲームをイメージして適当に殴る蹴るのラッシュを叩き込むと、いよいよ翔は向かい側にある厚い壁に深くめり込み、白目を剥いて動かなくなった。


「ふぅ……意外と何とかなるもんですね。亜希さん、見ないでください。首を刎ねます」


洋市が爪に【風刃】の魔力を込め、とどめを刺そうと一歩踏み出した瞬間。


「待って、洋市さん! 殺さないで!!」


背後から亜希の叫び声が響いた。

洋市が振り返ると、亜希は首を横に振って言葉を続ける。


「あいつは確かにもう魔物だけど、日本の戸籍上はまだ『人間』の翔のままです! もしここで死体が人間に戻って残ったら、洋市さんや私が殺人犯として追われることになっちゃう! それに……」


亜希は、痛みに耐えている木村の方へ視線を向けた。


「木村さんの娘さんが、まだこの家の地下室に囚われているはずなんです。あいつを殺した後、もし娘さんが見つからないようなことになったら……」


亜希の冷静な指摘に、洋市はピタリと動きを止めた。


「……そういえば、ここに来てから詳しい話を全然聞いていませんでしたね」


洋市は手を下ろし、軽くため息をついた。


「分かりました。生かさず殺さずの状態にするため、両手両足を物理的に折って無力化します。それで地下室の場所や脱出方法を吐かせましょう」


洋市が壁にめり込んだ翔に近づき、その腕を掴もうとした、まさにその時だった。


——ゾクッ。


部屋の温度が、急激に氷点下まで下がったかのような錯覚。

気絶しているはずの翔の腹に開いた「大穴」から、突如として強烈なタールのような闇のオーラが噴き出した。


「なっ……!?」


洋市はとっさにバックステップで距離を取る。

闇のオーラに触れた緑色の皮膚が、火傷をしたかのようにヒリヒリと焼け焦げるような痛みを訴えていた。


【……使エナイ 駒ダ】


その場にいる全員——洋市、亜希、そして木村の脳内に、鼓膜を通さず直接、あの禍々しい声が響き渡った。

第二話で洋市が夢の中で聞いた、あの底冷えするような絶対者の声だ。


洋市は、この声が魔王のものと直感し、とっさに会話を試みた。




「あなた……魔王だったんですね」


【アルトヤデハ ゴクロウダッタナ】


「……私に対して、感情を揺さぶるようなことを言っていたのは、あなたで間違いないですね?」


【アアデモ シナイト オマエハ スグ アキラメル】


「なぜ私を魔物に?」


【オマエモ コイツト オナジヨウニ スルハズダッタ】


魔王の言葉に、洋市は息を呑んだ。

一歩間違えれば、自分も翔のように理性を失った怪物になっていたということか。


【ダガ オマエハ 小心者デ 臆病】


「……」


【ソシテ キホンテキニハ オヒトヨシ】


「……余計なお世話だ」


【コイツハ 自己顕示欲ト 暴力性ガ 激シイ 魔物ニ スレバ マチガイナク 破壊的ニ ナル】


「……他の日本人にも、同じようにした奴がいるな?」


【オマエタチノ シッテノ トオリダ】


「なぜそうする?」


【スベテハ ジッケン ダ】


「実験?」


【人間 ト 魔物 ノ ハザマデ ユレロ】


「……」


【イズレ ワカル】


「……俺たちを何だと思ってるんだ!俺は仕事があるし、それぞれの人にはそれぞれの生活が……」


【魔王ニ 説教ノ ツモリカ 聞イテ アキレル】


底冷えする声が、洋市の小さな正義感を一蹴する。


【オマエニ トッテモ 悪イ コトジャ ナイ ゴブリン ダカラ スクエタ 命モ アル】


「……それは……」


洋市は反論できなかった。

実際、この緑色の身体がなければ、死闘の森で亜希を護り抜くことはできなかったからだ。


【ジッケン ヲ ツヅケル セイゼイ ガンバレ テイヘン】




洋市が「テイヘン」という言葉に怒りを覚えるのと同時に、闇のオーラに包まれた翔の身体が、バキバキと異様な音を立て始める。

折れたはずの骨が無理やり元の位置に押し戻され、筋肉が不自然に膨張し、翔の瞳から「人間としての意志の光」が完全に消失したらしい雰囲気が感じ取れた。


そこにあるのは、もはや亜希に執着していたストーカーではない。

魔王に完全に操られ、殺戮と破壊の衝動だけをプログラムされた『凶悪な魔物』そのものだった。


「グルルルルルォォォォォォォッ!!!」


家全体を揺るがすような咆哮。

洋市は、ビリビリと肌を刺す圧倒的なプレッシャーを前に、ゴブリンの鋭い爪を立てて、両手を胸の前で平手で構え直した。


「……前言撤回です、亜希さん。あれはもう、人間の理屈が通用する相手じゃありません」


洋市の声から、先ほどまでの余裕が消え失せていた。

このままでは、亜希も、木村も、自分も全滅するかもしれない。


「全力でやります。場合によっては蛇にもなります。亜希さんは木村さんを連れて、一歩でも遠くへ逃げてください」


浅井洋市は、人生で初めて、逃げられない死闘への覚悟を決めた。

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