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【ゴブリンマン】~40代フリーランスが異世界でゴブリンになったら、人助けポイント稼がないと人間に戻れなくなった件~  作者: 広瀬
第一章 「ゴブリンマン」誕生編

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第四十三話 狂人はヒーローを召喚される

※字下げを実行しました。

「――ヒィィィィィィァァッ!!」


 一階の吹き抜けの方から響き渡った、グラインダーで金属を削ったときに出る音のような、おぞましい断末魔の悲鳴。

 亜希は一瞬、心臓を鷲掴みにされたような恐怖で足が竦み、その場に立ち止まった。


『逃げなきゃ……でも、今のは……!』


 亜希はガタガタと震える両手で壁にすがりつきながら、事態を把握するため、這うようにして吹き抜けの手すりへと進んだ。

 手すりの陰に身を隠し、恐る恐る階下の広間を覗き込む。


 そこには、先ほどまでカウンター越しに話していた馴染み客らしき人物、木村が、左腕を押さえて苦しそうにしている姿があった。


 そして、その木村を見下ろすように立っているのは、間違いなく亜希の元恋人、翔だった。


「使えねえジジイだな。周りに怪しまれないように、アキを店の外へ連れ出せって言っただろうが」


 翔の声は、ひどく冷酷で、かつて亜希に見せていた外面の良さなど微塵も残っていなかった。


「っぁ……あんなに人がいる店内で、目立たず騒がずにアキちゃんを連れ出すのは、難しい……」


「だから俺がずっと()()()やったのによ。その気になればいつでもアキをこの家に呼ぶのは簡単だったんだ。説明しただろ?『内緒の話がしたいから店外に出られますか?』って聞きゃあ、人のいいアイツは外に出てくれるんだよ。それなのにいつまで経ってもモタモタしてるから、イライラして俺からワープさせちゃったじゃねえか。停電までさせてよ」


 ワープさせた?

 停電させた?


 亜希は、不思議なことを言う翔の様子を観察した。

 おそらく、嘘は言っていないと思われるが、話が見えないので続きを聞く。


「ぐっ……私は、これからやろうとしていたんだ、君が勝手に……」


 木村が言い切る前に。翔は彼の傷ついた左腕を蹴り飛ばした。

 その勢いで、木村の身体も壁まで飛ばされる。


「あぐあっ!!」


 痛みに耐えかねて倒れ込む木村を見下しながら、翔は投げやりに言葉を吐く。


「言い訳してんじゃねえよ。俺の望む通りできねぇ奴に用はねぇ」


 木村は痛みで意識が朦朧としながらも、翔に食い下がろうとした。


「っ……お前だって……終わりだぞ、俺を殺せば罪が重くなって、もう刑務所からは……」


「あ?お前ニュース見てないの?俺留置場から脱走してんだよ。そもそもワープで逃げ続けてりゃあまったく問題ねえ。捕まるどころかポリ公なんてみんな喰い散らかしてやるよ」


「な、なに言ってんだ、君は……おい!私の娘は本当に無事なんだろうな!?」


 現代人の感覚からして、まったく意味不明なことばかりを言う翔に不安を感じた木村は、亜希にとって思いがけないことを口にした。


 娘?

 麻実ちゃんが……捕まっている?

 翔に?

 どうやって?


「んあ、無事なんじゃねえの?地下室に閉じ込めてっけどよ。あいつ自身が首でも吊ってりゃ別だけどな」


「なっ……」


「あの地下室はよ、闇金のあんちゃんたちが多重債務者を詰める時に使ってたとこなんだってよ。しばらく飲まず食わずにしている横に、踏み台と首吊り用のロープ用意して、あまりにつらくなったら自分から首を吊るって寸法らしいぜ。んで、借金のカタにかけといた生命保険を親族からふんだくるんだと。つっても、もうその方法は通用しねえから、今はただの拷問部屋みたいなもんだけどな」


「おっ、おい……拷問って……」


「いねえよ、誰も。ここには俺とお前と、アキしかいねえ。あのガキは腹空かしてるだけじゃねえの?“魔王様”が何かやってるかも知れねえけどな」


 亜希は、立て続けに聞き捨てならない言葉を耳にして、想像ばかりが膨らんで頭が混乱した。


『麻実ちゃんが捕まってて……魔王がいて……木村さんが……もうダメだ、我慢できない!』


 見ず知らずの他人の娘を誘拐して地下室に閉じ込め、父親を脅迫し、無能であれば傷つける。

 どこまでも自分勝手で、他人の人生をゴミのように扱うその本性に、亜希の我慢は限界に達した。


「翔!!」


 吹き抜けの上から、亜希は声を張り上げた。

 翔がピタリと動きを止め、驚いたように上を見上げる。


「私が今からそっちに行く! その人には手を出さないで!!」


 足が震えても、コスチュームの場違いなスニーカーが床に擦れても構わなかった。

 亜希は怒りに突き動かされ、階段を駆け下りた。


「……ぁ、亜希ちゃん!」


 これから起こる危機を察知しつつも、亜希は一階に降りると、痛みに耐えきれず立てない木村をかばうように、翔の前に立ちはだかる。

 冷静さを失った亜希は、自分の怒りを徹底的に、自分のできる限り汚い言葉でぶちまけた。


「翔!!木村さんに一体何をしたの!?麻実ちゃんまで捕まえて、どういうつもり!?このクソ外道!!」


 亜希が睨みつけながら大声を張り上げると、翔は怒るどころか、満面の笑顔を見せて上機嫌で話し始めた。


「聞いて驚けよアキ! 俺、お前に会えなくなって家にいたとき、部屋の壁殴ってたら突然、変な世界にワープしたんだよ! 臭っせえところで、デカい化け物に殺されて一度死んだと思ったら、スゲぇんだぜ! RPGみたいに『魔王様』が、俺に力をくれたんだ。魔物になる方法を教えてくれたんだよ!」


 狂気に満ちた、どこか爛々(らんらん)とした目で、翔は嬉々として語る。


「牢屋にいた時はよ、今度は何だかスゲぇ力が湧いてきて、ポリ公なんて一発KOよ!のびてるところで腰に巻いてる鍵奪って逃げてきたんだ!」


 そう言うと、翔は長袖の黒いYシャツをまくり、自分の腕を化け物のそれに変えていく。

 色白の細い腕は、音を立てて黒い毛むくじゃらの筋肉質な腕へと変貌した。


「そんでよ、より強い力を得るためには、獲物を『狩る』必要があるんだってよ。だから俺は、鍵を奪って逃げた後、ずっとムカついてた会社の奴を夜の河川敷に呼び出して喰ったんだ」


「……え?」


「アイツの彼女もついでにヤってやろうと思って脅したんだけど、俺に暴言吐きやがったから、腹立ってバラバラにして喰った。でも、途中で腹いっぱいになっちゃってさ、上半身だけ残してきちゃったよ」


 翔の口から語られるのは、須田市を震撼させている連続変死事件の凄惨な真相だった。


「それからアキに会いたくなってさ。繁華街の路地裏で出勤を待ってたら、なんかヤクザみたいなオッサンと目が合って絡まれたから、仕方なくそいつも喰ったんだ。でも不味かったから、心臓だけ食って後は切り刻んで捨てた。やっぱハツは人間でも旨ぇよな」


「あんた……頭おかしいんじゃないの……」


「そこで魔王様がささやいたんだよ。『今のお前は警戒されているから、近しい人間とコンタクトを取って、こっち(俺の部屋)に連れてこさせろ』ってな」


 翔は、亜希の後ろに隠れている木村を見下ろして鼻で笑った。


「俺、アキと別れさせられる前から知ってたんだぜ。こいつがアキの常連客になったってのはな。最初は俺にヤキモチ焼かせるためにそんなことしてんのかな、って思ってたけど、だんだん俺という男がいるのにそういうことするのが腹立ってよ。でも違うよな、悪いのはアキをたぶらかしたこのジジイなんだよ、ごめんな」


 亜希は息を呑んだ。

 何で知っていたのか。


 職場の人間関係はともかく、客の情報は、よほど変な人間じゃなければ翔に教えていない。

 翔が知ったら何をするか分からないと思ったから。


 そもそも、あのお店は常連客をリスト化するような営業方針じゃない。

 キャスト自身に顧客情報を管理させているし、あくまでもお店で指名があった場合だけをカウントしてインセンティブを計算している。


 だから、誰がどのキャストの常連客なのか、翔が毎日お店に入り浸ってでもしなければ分からない。

 付き合いたての頃は、まだ翔もお客さんとして店に来ていたが、暴力的になってからはお店に足を運ぶことはなかったはず。


 亜希は戸惑いつつも、上機嫌らしい翔に質問した。


「……どうして知ってるの?」


「……ある時期からよ、お前のやってること、言ってることが頭に浮かぶようになったんだ。んでカマかけたら本当ってことが多かったからな。最初は俺のこと考えてくれてて本当に嬉しかったし、俺もちゃんとしようと思ってたのに、だんだん俺から離れようとしてたからな。そりゃ腹立つだろ普通に」


 交際中、翔が「俺以外の男と親しくするな」と異常なまでの束縛と怒りをぶちまけていた時期があった。

 確か、交際してから三ヶ月くらい経ってからだろうか。


 あの頃から、私の行動が読まれていた。

 ……読まれていた?


 ひょっとして、あの異常な執着と暴力も、無意識のうちに“魔王”とやらが翔の負の感情を増幅させていた可能性があったのだろうか。

 亜希は、おそらく自分を探しているであろう洋市がこの場所に辿り着くまでの時間を稼ぎつつ、事件の真相に迫るべく翔の話を聞き続けていた。


「……私の行動が頭に浮かぶようになったって、それも“魔王”がやったことなの?」


 亜希が努めて冷静な声で問いかけると、翔は肩をすくめて鼻で笑った。


「さあな。魔王様が手を貸してくれたのかもしれねえけど、要するに俺とお前が運命で結ばれてたってことだろ? 愛し合ってる証拠じゃん」


 違う。

 そんなロマンチックなものじゃない。


 何らかの呪いや魔術的な力で、一方的に私の情報を盗み見られていた?

 背筋が凍るような気味の悪さを感じながらも、亜希は次の質問を投げかける。


「じゃあ、なんで木村さんと娘さんを巻き込んだの? 私に会いたいなら、こんな回りくどいことしないで、直接私に会いに来ればよかったじゃない!」


 すると、翔は少しだけ忌々しそうな顔をして、舌打ちをした。


「俺だってそうしたかったよ。でもよ、魔王様が止めたんだ。『今のお前の力じゃ、アキのそばにいる“邪魔者”には勝てないから、アキが孤立して動くように仕向けろ』ってな。だから、このジジイの娘を餌にして、お前をこっちに呼び出させようとしたんだよ」


 邪魔者。

 それは洋市のことを言っているのだろう。


 だが洋市は、確か魔王の呪いでああなったはず。

 だとしたら、洋市は魔王の仲間になるべき存在であり、むしろ翔とは協力関係にあるべき存在なのでは?


 亜希の考えがまとまらないうち、饒舌に翔は詳細を説明し続ける。


「このジジイは山奥で単身赴任。娘と母親は須田で暮らしてるってのは分かった。んで母親を喰ってから娘を攫おうとしたんだけどよ、そん時はどうも調子が出なくて、結局娘だけ連れてきた。母親は死んでなきゃ部屋でのびてるよ。アッパー入れたから気持ちよく寝てんじゃねえの」


「お前……!妻にも手を出して……」


「いやだから出してねえって、何なら今様子を見てやろうか」


 翔の話を聞いた木村が怒りをあらわにしたところで、翔は右手と左手で印を作るようにして、三人がいるリビングのテレビを起動させた。

 電源の入った画面はノイズのように歪み、やがて、警察から事情聴取を受けている女性の姿を魔法の鏡のように映し出した。


「麻希子!」


 状況は未だ何も改善していないが、妻が生きているのを知り、木村は安堵の声を出した。

 だが、亜希は娘の麻実ちゃんの様子が気になった。


「……娘さんは、地下室にいるって言ったわね。本当に生きてるの?」


「ああ? うるせえな、あいつが自分で死のうとしない限り生きてんじゃねえの」


 木村の娘が無事である可能性が高いこと。

 そして翔が洋市を警戒していること。


 必要な情報はすべて引き出せた、と思う。

 そして同時に、翔という男が、どこまでいっても己の欲求と暴力性だけで動く「中身のない怪物」になり果てていることも、完全に理解した。


 確かに翔は問題のある部分は多かったが、付き合い始めからここまでクズだったら、さすがに自分でも気付くだろうと亜希は考えていた。

 そして、ここまで狂っている状況下で無抵抗の小さな子を狙わないのは、まだ人間味が少しだけ残っている可能性もあった。


 それでも亜希は、事の次第の異常さと残虐さに、言葉を失っていた。

 そして、最後に、どうしても気になることを聞いた。


「……じゃあ、私がまた翔と付き合うことにしたら、みんな無事に返してくれるの?」


 その言葉を聞いた翔は、急に氷のような冷たい目になり、口角が三日月のように吊り上がった。


「もういいよ、俺、いいこと考えてるんだ」


 亜希はたまらず聞く。


「……いいこと、って、何?」


「魔王様に聞いたんだ。お前の存在を、俺自身に取り込めば、ずっと一緒になれるって」


 メキメキと、翔の骨格が異様な音を立てて歪み始める。

 服が破け、全身から剛毛が生え、顔が獣のように前に突き出していく。


 現れたのは、腐肉を漁るハイエナを巨大化させたような、おぞましい魔物の姿だった。

 そして、人間でいうへその部分から身体が裂けるように開き、そこには牙が生えた肉々しいフォルム、まるで第二の口のような大穴が開いている。


「ここかラ、オ前ヲ取リ込ンデ、ズット フタリデ クラスンダ」


 翔の声はいびつになり、ゴブリンになったときの洋市のように歪みはじめた。

 そこに加わるドス黒い殺意と、圧倒的なプレッシャー。


 死闘の森で対峙した魔物たちとは比べ物にならない、純粋な「悪」の質量に当てられ、亜希の足は鉛のように重くなり、一歩も動けなくなった。


 ハイエナの魔物が、腹にできた口から涎を垂らしながら、亜希を生きたまま取り込もうと近づく。


 その絶体絶命の瞬間。

 亜希の脳裏に、洋市の家で確認した、スマホのアプリの通知がフラッシュバックした。


 亜希は震える手でポケットからスマホを引き抜く。


 出勤前、念のため開いておいた『アルトヤ界観光ガイド』の機能画面。

 新たに追加された一つのボタンを押す。


 ――【召喚】。


『助けて、洋市さん!!』


 亜希は心の中で強く念じながら、そのボタンをタップした。


 直後、亜希と魔物の間に、空間がねじ切れるような激しい「揺らぎ」が発生した。


「ア?」


 魔物が思わず動きを止めた瞬間、揺らぎを内側から引き裂くようにして飛んできたパンチ。

 それを魔物はモロに食らってすっ飛ばされた。


「──ちょっと、ビックリするじゃないですか!?」


 そこに立っていたのは、これまで亜希や異世界の人々を助けてきた実績豊富なゴブリン、洋市。

 緊迫した空気を完全に無視するかのように、洋市は左手にスティック状の栄養補助食品エナジーバーを持ち、まさにそれを口にするタイミングでやって来た。

【TIPS】

かつて、1990年代~2000年代初頭の日本では、闇金業者が多重債務者を追い込んで自殺させ、保険金をかすめとる「保険金殺人」が大きな社会問題となった。

そのような事情から、日本の大手生命保険会社の自殺免責期間は、1999年までは1年間、2000年から2年間、2005年以降は3年間と延長されてきた歴史がある。


https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/download_pdf/2013/201305033A.pdf

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