第三十九話 恐怖、再来
ノアたちが、新たな戦いへの覚悟を決めていたのと同じ頃。
スキル【隠形】と【身体強化】を併用した洋市は、亜希を背負ったまま音もなく死闘の森を駆け抜けていた。
ノアたち『アサンの水源』と別れてから、魔物に遭遇することもなく、スムーズに森を駆け抜ける。
やがて、木々の隙間から、周囲の植生とは明らかに異なる、枯れ木のような異質な植物のシルエットが見えてきた。
「洋市さん、あれ……!」
背中の亜希が小声で指を差す。
観葉植物のパキラを巨大化させて枯らしたようなその木の根元には、空間が陽炎のように歪む揺らぎが存在していた。
「改めてみると、こんな形してたんだな。亜希さん、ここがワープポイント“パキラ”のようです」
洋市が変身を解かずにパキラの木陰に足を踏み入れた瞬間、亜希のリュックからブーッ、とバイブ音が鳴った。
亜希が慌ててスマホを取り出すと、画面の『アルトヤ界観光ガイド』にポップアップが表示されている。
▶通知:新規ファストトラベルポイント【死闘の森:パキラ】が登録されました。
▶※以降、本アプリから同ポイントへのワープ指定が可能になります。
「洋市さん! アプリにパキラの場所が登録されました!」
「なるほど……やはり、亜希さん自身がその場所の風景を『認識』しないと、アプリのマップには反映されない仕様だったようですね。これで次からは、ここと泉、砦を自由に行き来できるはずです」
洋市は亜希を下ろし、自身のステータス画面を空中に開いた。
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[種族]
ゴブリン(変異種)
[ジョブ]
スカウト(斥候) Lv.28
[体力/魔力]
4,800 / 2,800
[スキル]
隠形 Lv.1 : 自らの姿を隠し、人間や魔物から見えなくする(明るい場所では難しい)
夜目 Lv.4 : 光がまったくない場所でも、周囲の風景を大まかに認識できる
盗取 Lv.3 : 相手に気付かれず、モノやスキルを盗むことができる(確率30%)
毒爪 Lv.5 : 爬虫類に効果的な毒を、自分の爪から出すことができる(致死率50% / 攻撃回数)
風刃 Lv.5 : 爪を立ててチョップしたり、爪で空気を引っかいたりすることで、風の刃を飛ばせる
身体強化 Lv.3 : 筋力・瞬発力・耐久力・跳躍力などを向上させる(3倍)
マッピング Lv.1 : 過去に自分が行って命名した場所を簡単に確認できる
うわばみ Lv.2 : 陰蛇時、消化スピードが早まる
蛇睨み Lv.1 : 陰蛇時、目が合った相手の動きを止める(効きは互いの強さに左右される)
咆哮 Lv.1 : 陰蛇時、咆哮によって強烈な殺気を周囲に放ち、相手の動きを止める(効きは互いの強さに左右される)
[変身時間]
1635/1940 分
[特殊スキル]
勇気の欠片(小): 日本とアルトヤ界を行き来するためのエネルギー(11/15)
スキル解説(弱): 現在自分が取得しているスキルの概要が分かる
変化:陰蛇 陰蛇の姿に変化できる
変幻:陰蛇状態の際、体長を数十メートルから数十センチ(手のひらサイズ)まで、魔力を消費して自在に伸縮・変化させることが可能になる。一回あたりの消費魔力「200」
人間離れ:魔物や怪異、神々や悪魔など、人ならざる者とのコミュニケーションが可能になる
[人間味]
60/100 : 少々人間よりの思考・嗜好
[持ち物]
毒魔法
水魔法
[ステ―タス開示状況] 8項目
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特殊スキルの欄から、勇気の欠片(小)の残量が[11/15]であることを確認する。
『移動回数の残量も問題ないようだ……よし、帰るか』
洋市は深呼吸してから、亜希に自分の身体に触れるよう伝える。
「亜希さん、私の肩にしっかり捕まっていてください。揺らぎに入ります」
「はいっ!」
亜希が洋市のゴブリンの肩にしっかりと両手を回したのを確認し、洋市は亜希を背負って空間の歪みへと足を踏み入れた。
その途端、身体が引っ張られ、視界がぐにゃりとねじ曲がるように感じた。
直後、森の湿った空気と土の匂いが、一瞬にして「微かな埃と柔軟剤の匂い」へと切り替わった。
「……っ、ふぅ……」
洋市が目を開けると、そこは死闘の森ではなく、見慣れた須田市にある自宅アパートの一室だった。
窓の外からは、遠くを走る車のエンジン音や、現代日本特有の喧騒がかすかに聞こえてくる。
「帰って……こられた……」
亜希は洋市の背中から降りると、そのままフローリングの床にへたり込んだ。
極度の緊張の糸が切れたのだろうか、その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
洋市は自身の胸の紋章に右手を当てた。
人間形態維持:開始
残り時間:1635分
紫色の光が収まると、緑色のゴブリンの肉体は、浅井洋市の中肉中背の身体へと戻った。
途端に、どっと重苦しい疲労感が全身にのしかかってくる。
「とりあえず、無事に帰還できて何よりです。……時刻は午後二時ですね」
壁掛け時計を確認し、洋市は短く息を吐いた。
亜希の出勤時間である夜八時までは、まだ六時間もある。ひとまずはミッション達成と言っていい。
「亜希さん、お茶でも淹れますから、少し休んでください。私はちょっと、ネットで状況を確認します」
「あ、ありがとうございます……」
洋市はキッチンで湯を沸かしながら、自室のデスクに置きっぱなしにしていた自分のスマートフォンを手に取った。
充電器に繋ぎっぱなしだったため、バッテリーは100%だ。
『あんまりバッテリーに良くないのは分かってるんだけどなあ』
充電が終わったら、スマホを充電器から取り外した方がバッテリーの寿命が延びる。
現代人にとっては当然の知識を思い出しつつ、自身のズボラさを少しだけ反省する洋市だが、この非日常だらけの状況で平凡なことを考えているのが、人間味の欠如であることは知る由もない。
スマホを手に取った洋市が真っ先に確認したのは、SNS・Talkerのトレンドである。
異世界へ飛ぶ前、洋市のゴブリン姿を捉えた動画が『ゴブリンマン』としてバズり、特定班が動くほどの騒ぎになっていた。
もし自宅が特定されていれば、帰還した瞬間からマスコミや野次馬の対応に追われることになる。
だが、画面をスクロールした洋市は、少し拍子抜けした。
『……ゴブリンマンの話題なんて、どこにもないな』
タイムラインはすっかり別の話題で持ちきりだった。
現代のインターネットの消費速度は恐ろしく速い。
わずか二日前の「コスプレかCGか分からない未確認生物の動画」など、すでに過去のコンテンツとして人々の記憶から押し流されていても、まったく違和感はないのである。
フリーランスのライターとして、ネットの熱しやすく冷めやすい性質は熟知していたが、今回ばかりはその薄情さを複雑な思いで捉えていた。
しかし、安堵したのも束の間。
現在のトレンド一位に入っている不穏なワードに、洋市は目を留めた。
【#須田市連続殺人】【#獣害?】【#奇妙な遺体】
『……連続殺人事件? しかも須田市で?』
洋市がハッシュタグをタップしてニュース記事をまとめ読みすると、ここ一、二日の間に、須田市内の路地裏や河川敷で、三件の不可解な変死体が発見されたという。
記事の詳細は伏せられていたが、週刊誌系のネットニュースやリーク情報によると、被害者の遺体は「刃物ではなく、巨大な獣の爪や牙で引き裂かれたような」凄惨な状態だったらしい。
『巨大な獣の爪……? いや、まさか……』
洋市の背筋に、冷たい嫌な汗が伝った。
異界の魔物が、日本に入り込んでいる? あるいは、自分と同じように『魔王の呪い』を受けた人間が、この街にいるということか。
「っ……いやぁぁっ!!」
ネットの情報を分析しようとした洋市の思考を、背後からの悲鳴が切り裂いた。
振り返ると、床に座り込んでいた亜希が、自身のスマホを両手で握りしめたまま、ガタガタと激しく震えていた。
「亜希さん!? どうしました!」
洋市が駆け寄ると、亜希は青ざめた顔でスマホの画面を洋市に向けた。
「翔が……翔が……逃げたって……!」
「逃げた? 警察からですか?」
画面には、亜希が働くガールズバーの店長や、友人たちからのメッセージアプリの通知が滝のように並んでいた。
『アキちゃん大丈夫!? 翔のやつ留置場から逃げたらしいよ!』
『警察から店に注意喚起の電話きた! 絶対一人で出歩かないで!』
『なんか、警察官から鍵奪って逃走したとかニュースで言ってるんだけど、あいつそんな強かったっけ?』
洋市は思わず眉間にしわを寄せ、悲痛な面持ちで亜希を見た。
亜希の元カレである翔は、洋市がゴブリンの姿でボコボコにした後、その後駆けつけた警察に逮捕されたはずだ。
それが、警察署の留置場から、たった一人で脱走するというのは普通のことではない。
『……ひょっとして、あの翔という男も、俺と同じように「何か」に変化する力を得たのか?あるいは、死闘の森の砦で見た衣服……』
洋市は、砦の近くに散乱していた現代日本の衣服を思い起こした。
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火事に巻き込まれたかのように焼け焦げたダウンジャケット。
スウェットのパーカー。
カクテルドレスとパーティーバッグ。
泥と血にまみれたビジネススーツのジャケットと、ネクタイの切れ端。
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『例えば、あのスウェットのパーカー……あれがもし、翔の着ていたものだったとしたら?』
……分からない。
殴った顔は覚えているが、服装まで鮮明には思い出せなかった。
どうしても思い出せない洋市は、亜希に翔の普段着を尋ねようとする。
しかし、亜希は質問に答えられるような普通の状態ではなかった。
「どうしよう、洋市さん……! あいつ、絶対に私を探してる! お店に行ったら、殺される……!」
亜希は完全にパニックに陥り、洋市の目を見ながら、すがるように泣きじゃくっている。
異世界で巨大な陰蛇や魔物に遭遇した時よりも、遥かに生々しい「現実の恐怖」が彼女を支配していた。
洋市は小さく息を吐き、亜希の両肩にぽんと手を置いた。
「亜希さん。落ち着いてください」
「でも……っ!」
「深呼吸して。……大丈夫です。今日の夜、お店には私が同行します。もちろん、出勤も退勤もです。事情は亜希さんに説明してもらわないとなりませんが、そばから離れないようにします」
洋市の冷静で、事務的ですらあるトーンに、亜希は戸惑いつつも頼りがいを感じた。
ゆっくりと深呼吸をしている間、洋市が続ける。
「私のクライアントは亜希さんです。ミッションはまだ終わっていません。……異世界のオオカミや大蛇から亜希さんを守り抜いたんです。日本のストーカー、たった一人くらい、どうとでもなりますよ」
それは、怯える彼女を落ち着かせるための、フリーランス仕込みのハッタリ交じりの営業トークだった。
だが、ゴブリンとしての【危機本能】なのか、皮膚がチリチリと微かに疼いているのを、洋市は確かに感じていた。
> クエスト【契約・隣人の盾】継続中
> 受託条件:倉橋亜希の身辺警護(48時間継続)
> 報酬:42時間経過。人間形態維持+420分(1600/1990分)
日常に帰還したはずの二人に、闇に潜む悪意が、すぐそこまで迫っていた。




