第三十四話
アプリが表示した情報を見て、洋市は戸惑っていた。
自分たちは日本という異世界から来た異質な存在であり、それゆえに自分たちをサポートするアプリだと思っていたのだが、それ以外にも様々な機能がある。
しかも、ノアたちのことを、なぜかアプリ側が認識している。
おそらく、亜希もいわゆる“ともだち登録”のようなものはしていないはず。
『……いや、自力で入力したのか?亜希さんが』
気になったので、念のため洋市は亜希に質問した。
「亜希さん、ノアさんたちの情報を、アプリに登録できる機能とかありました?」
「あっ、はい。電話帳みたいなのがあって、何かあったら役に立つかなと思って、洋市さんが寝てるときに入力しておいたんです!」
なるほど、それでか。
洋市は、原因が分かって納得しつつも、恩人たちを放っておくのはまずいと感じていた。
『全滅リスク90%っていうけど……これ、アプリの運営者はどうやって把握してるんだ?いや、そんなこと考えている状況でもないか!』
洋市は、フリーランスとしての純粋な疑問について考えることをいったん打ち切り、まずはマンナのサポートに向かおうと判断した。
「亜希さん、このアプリは何らかの方法でマンナさんの存在を把握しています。色々検討したいことはありますが、まずはマンナさんの救出に向かいませんか?それとも、無視して帰還を優先しますか?」
合理的な判断を優先するなら、異世界の人間を見捨てて帰還するのも一手ではある。
しかし、人間としての良心は捨てることになるので、おそらく人間味は大幅に減るだろうと洋市は考えていた。
ただ、今のミッションでは亜希の帰還および護衛を優先している状況だ。
それゆえ、当座のクライアントでもある亜希に確認を行ったのだった。
もっとも、亜希にとっては聞くまでもないことだったようだ。
「助けて欲しいです!私は何もできないですけど……できるなら」
気持ちが先に、そして申し訳なさが後に出てきたような回答を聞いて、洋市は亜希をフォローした。
「大丈夫ですよ。私も同じ気持ちです。でも、亜希さんをここに置いてはいけないので、おぶったまま一気に駆け抜けます。しっかり私の身体につかまっていてください」
洋市は亜希を背負い直し、走る準備を始める。
「亜希さん、場所を教えてください」
亜希は、右手に持ったスマホを見て、位置と方角を洋市と共有する。
「アプリではこの方角と距離なんですけど、分かりますか?」
「南側……森の中に一人?」
パーティーに何かあって、助けを呼ぶために単独行動を?
『いずれにせよ、生きてないと話も聞けないか』
洋市はいったん考察を止め、亜希にチャック付ポケットにスマホを収納したことを確認してから、一回だけ深呼吸した。
「いきますよ、亜希さん、しっかりつかまっていてくださいね!」
身体強化で得た地面を爆発させるような脚力で、洋市は今来た道を引き返した。
頭上から襲いかかってきた漆黒の影、シャドウパンサーの爪を、マンナは反射的に身を捻って回避した。
しかし、シャドウパンサーは爪で風を起こすことができる。
ゴブリンの洋市が使用する【風刃】と同じようなスキルによって、飛んだ見えない刃がマンナの右腕に傷を付ける。
「っ……あぁっ!」
傷は決して浅くはなく、利き腕の自由は奪われた。
致命傷こそ避けたものの、手にした短剣が地面に転がり、ただちに反撃するのは難しい状況にある。
『……信じられない。痕跡を探してる間、警戒が完全に解けてた……クソッ!』
マンナは荒い息を吐きながら、左手一本で予備のナイフを抜く。
しかし、目の前の魔物は森の暗殺者として知られるシャドウパンサー。
砦の近辺では、追い払ったものはいても、自力で退治した者は少ない。
傷ついた獲物をいたぶるように、シャドウパンサーは音もなく次の跳躍の姿勢に入った。
そのとき。
マンナの耳が、背後の森から響く「地鳴り」のような轟音を捉えた。
木々をなぎ倒し、大地を震わせながら、とてつもない質量がこちらへ向かってきている。
パンサーもその異常な気配に気づき、獲物から目を離して森の奥を睨みつけた。
「シャアァァァ!!」
咆哮一閃。
森を割って現れたのは、かつてマンナたちが命からがら逃げ出した、あの陰蛇だった。
しかも、以前遭遇したときと違い、全身から禍々しいほどの殺意を立ち昇らせているように見える。
「……あ……」
絶望がマンナの心を塗りつぶす。
手負いの状態でシャドウパンサーと、さらに大蛇。もはや逃げ場などどこにもない。
だが、その大蛇の頭頂部に見えた存在に、マンナは目を見開いた。
「マンナさーん! 伏せて、早く!!」
大蛇の頭の上に、必死に角(のような突起)を掴んでしがみついているのは、フードのついた短いローブを来た女性であった。
『……は? アキちゃん!?』
混乱するマンナの目の前で、大蛇はパンサーに向かって信じられない速さで飛びかかった。
パンサーも応戦しようとしたが、陰蛇となった洋市の圧倒的な巨体と、獲物を逃さない【蛇睨み】の視線に囚われ、わずかに動きが止まる。
その隙を、陰蛇の顎が逃さなかった。
バキリ、と骨の砕ける嫌な音が響く。
洋市は一切の躊躇なく、シャドウパンサーを頭から丸呑みにした。
> スキル【うわばみ】発動。
> 魔物【シャドウパンサー】を捕食中……。
> 消化スピード:上昇。
『……悪いな、こっちは急いでるんだ』
大蛇の姿のまま、洋市の意識は冷徹に状況を俯瞰していた。
胃の中に落ちたパンサーが、みるみるうちに養分へと変わっていくのを、自分の身体が暖まっていくことで感じる。
ゴブリンの時とは違う、捕食者としての全能感が脳を支配しようとする。
しかし、今は会話ができないので周囲を怯えさせる動きはしたくない。
自分の頭の上に乗っている亜希が、洋市の身体が動かなくなったのを確認して、翻訳アプリを介して大声で叫ぶ。
「マンナさん、大丈夫ですか!?」
無理もない話だが、マンナは突然の状況に完全に戸惑っていた。
しかし、このままでは別の魔物に襲われる可能性があると判断した洋市は、いったん尾の部分からとぐろを巻くようにして、マンナの周囲を囲った。
『……洋市さん、多分、マンナさんを守ってるつもりなんだよね。私も降りた方がいいか』
大蛇がその巨体をマンナの周囲に、護衛するようにとぐろを巻く。
亜希はスルスルと蛇の背を滑り降り、右腕を押さえて座り込むマンナに駆け寄った。
「な、なに……これ、どういうこと……?」
「説明は後です!助けに来ました!この蛇さんは洋市さんだから大丈夫!」
「え……今なんて、ヨ、ヨウイチさん? これ、陰蛇じゃ……でも、以前とは違う雰囲気ね……」
マンナの視線が、天を突くような大蛇の瞳孔とぶつかる。
洋市は蛇の瞳で静かに瞬きし、そしてゆっくりと頭を下げるように首を動かした。
>【シャドウパンサー】の消化完了。
> レベルアップ:Lv.26 → Lv.28
> スキル【咆哮】を取得
>【人間味】 70 → 65 にダウン。
> 緊急クエスト『シャドウパンサーによる致命的な奇襲』の終了
> マンナの洋市、亜希に対する信頼度アップ
>【人間味】 65 → 68 にアップ
『食べて下がって、人助けで上がる……忙しいシステムだな』
洋市は内心でツッコミを入れつつ、周囲に強力な敵の反応がないことを確認した上で、大蛇の胸のあたりにある紋章に舌で触れ、変身を解除した。
赤い光とともに巨大な質量が霧散し、そこに現れたのは、少し肩で息をする緑色のゴブリン姿の洋市だった。
「お待たせしました、マンナさん。……間に合ってよかったです」
「ちょ、ちょっと待って、どういうこと?ヨウイチさん、あなた私が追ってきてること……」
「追ってきてる?助けを呼びに来たんじゃないですか?」
「?」
「?」
洋市は、マンナが『ノアたちの危機を知らせるために自分たちを追いかけてきて、その途中で襲われた』のだとばかり思っていた。
一方のマンナは、『秘密を探るための尾行がバレていた』と勘違いしている。
少し話が噛み合っていないと感じた洋市を、それぞれの意図を理解した亜希が、アプリの翻訳機能を使って割って入った。
「マンナさん、黙っていてごめんなさい。私、この機械を使えばこちらの言葉が話せるみたいなんです」
亜希がスマホの画面に向かって日本語で話しかけると、少しのタイムラグの後、スピーカーから流暢なレゾルグ王国の言葉が流れた。
魔法の道具のようなそれにマンナが目を丸くしている間に、亜希は要点を説明する。
「この中の機能の一つで、パーティーの皆さんが危険な状況にあることが分かって、急いでやって来たんです」
スマホを見せながら、パーティーの動きと危機的状況を把握したと亜希は説明した。
そこに、洋市が補足を入れようと試みる。
「マンナさんと他三名の状況を比較して、マンナさんの方が急を要すると判断して、急いでやって来ました。ゴブリンの姿のまま走ることもできたんですが、敵が単体なら、勢いのままに敵を丸呑みした方が都合がよく、今回は途中から蛇の形を……」
「ちょっと待って、ノアたちも危険ってこと!?じゃあそっちに行かないと!」
自分の尾行のことなどどうでもよくなるほどの衝撃に、マンナは今、自分のことよりもノアたちの安否の方が重要だとすぐ判断した。
「私たちも一緒に行きます。私の身体のことや、亜希さんが持っている機械についても、改めて説明した方がよいかもしれません。こちらの都合に巻き込むような形になってしまって……」
「洋市さん!今は細かいことはいいから、早く泉に行かないと!」
ビジネスマナーとして、一言お詫びの気持ちを伝えようとした洋市を亜希が止める。
洋市はそれもそうだと、ノアから借りていたローブを羽織り直し、鋭い目で泉の方向を見据える。
自らの力で一匹殺したはずの陰蛇が、再び現れた?
それが何を意味するのかは分からないが、今の自分なら、あの時よりも確実に「効率よく」狩れる。
「マンナさん、走れますか?」
「やられたのは右手だけよ。案内は任せて」
マンナは痛みを堪えて立ち上がり、落ちていた短剣を拾い上げた。
その目は、もはや洋市を護衛対象ではなく、共に戦う“戦友”として、あるいはそれ以上の畏怖を込めて見つめていた。
「亜希さんは背中に。……行きますよ。では、マンナさん、お願いします」
洋市は再び【身体強化】と【隠形】を起動させ、亜希を背負った姿を風景に同化させる。
マンナもまた、傷の痛みを押して斥候の【隠密】スキルを発動させ、見えない洋市の気配を感じながらパーティーのもとへ駆け出した。
一刻も早く、泉へ。
日本への帰還というミッションの前に、自分たちのアルトヤ界における“居場所”を護るための戦いを、洋市と亜希は始めようとしていた。
> クエスト【契約・隣人の盾】継続中
> 受託条件:倉橋亜希の身辺警護(48時間継続)
> 報酬:37時間経過。人間形態維持+370分(1040/1340分)
> 緊急ミッション:【アサンの水源】の救出
> 成功報酬:人間形態維持+600分




