第三十三話
ノアが洋市たちを見送った後、マンナは二人の姿を目で追っていた。
バルカスから依頼を受けた通り、二人の秘密について把握するためだ。
『……森の少し奥にある岩を目指してる、ってことは、何かするならあの辺かな』
マンナの勘が騒ぐ。
昨日からさりげなく会話を交わし、ヨウイチ、アキを観察し続けてきたが、彼らの行動にはどうしても隠し事の匂いがする。
悪人ではないと判断したものの、バルカスから二人の秘密を探るよう依頼も受けているマンナは、故意でないがゆえのトラブルに発展するリスクについて考えていた。
『ノアは大丈夫だって言ってたけど、本当にそうか? もし、別の異界の魔物を呼び寄せるような状況に発展したら?』
マンナがバルカスの依頼を受けた背景には、斥候としての職業的危機感と、バルカスから汲み取った将来への不安があった。
文献で知ったことが、実際の現実として正解とは限らない。
頃合いは十分うかがったと判断し、マンナはパーティーの残り三人に『ヨウイチ追跡』の意思を伝えた。
「ノア、ガッタ、セミーン。じゃあ、これから行くわ。陰蛇の対処はよろしくね」
「うん……本当に一人で大丈夫?」
「危なくなったら逃げるから。ノアよりは足は速いはずよ」
「鈍足って言いたいのか?言いたいんだな!」
「違うって、とにかく、本当に危なくなったらすぐ帰ってくるから」
単独行動で洋市たちの足取りを追おうとするマンナを、ノアはとても心配していた。
なぜなら、自分自身も油断からヒュージウルフに命を奪われそうになったからだ。
しかし、マンナは斥侯が持つ【隠密】スキルの恩恵もあり、これまで命にかかわる致命的なミスを犯したことはない。
そして、ノアもそれを知っている。
そんな二人は少しだけ軽口をたたき合い、自身に課せられた本来の任務へと頭を切り替えた後、スキルを発動させ森へと消えた。
マンナの姿が消えた後、ノアたちは湖の様子を観察しつつ、周囲を警戒している。
今のところ、聞き慣れた魔物の鳴き声が聞こえるだけで、特に大きな変化はない。
『……ヨウイチをマンナだけに追わせたのは、本当に正解だろうか。やっぱり私たちも追いかけた方が良さそうな気がするけど、もし陰蛇が出たら魔法なしだと戦う以前の問題だしな……』
ノア自身は、陰蛇を倒す方法について検討済みである。
エビルスクワロルが持つ爬虫類に効く毒を水に溶かし、それを水魔法を使って飲ませるか、風魔法で打ち込むかすればよいと考えていた。
仕込むための毒はすでに用意している。
もちろん、それで討ち取れるとは考えていないが、少なくとも自分たちを脅威に感じさせ、陰蛇をその場にとどめることは可能だと思っている。
実際、洋市が陰蛇をやっつけたときは、まさにその方法がドンピシャだったわけで、その意味でノアの判断は間違っていない。
弓が打てる兵を連れて、口の中に打ち込んでもらう方法もあるが、練度の問題でそれは難しいだろうと思っている。
剣や斧に毒を塗り込んで切り付ける方法もあるが、相応の数のエビルスクワロルを倒し、多くの毒を集めなければならない。
そもそも、湖から出てこなければ、戦う必要もない。
今回は、三人で陣を組んだ段階で、蛇や魔物が嫌がる香木を焚いている。
大丈夫、大丈夫だと、ノアは自分に言い聞かせる。
その様子を見ていたセミーンが声をかける。
「ノア、今回はこの方法が妥当だと俺も思う。砦から小魔時計も借りているから、予定通りの時間になっても戻らなかったら捜索を開始する形で、今は湖に集中しよう」
「ありがとう。きっとそう……なんだけど、どうも吹っ切れなくて。私はやっぱり、仮にヨウイチが秘密を持っていたとしても、それはその、律義さからきてるような気がするのよね」
「どういうことだ?」
「あの人、私が貸したローブを『洗濯して返す』って言ったの。最初は単に律儀なだけだと思ってたんだけど、あれってさ、すぐに帰ろうと思えば帰れる場所がある、って意味だったんじゃないか。だから少し待っててくれって言いたかったのかな、とか」
「まあそんな風に邪推もできるか……ゴブリンなわけだし。だが、あの森では非現実的だぞ」
「“魔王の呪い”を持たないただの人間ならね。でもヨウイチについては異世界転移者の可能性もあるから、ひょっとしたら世界をまたぐ方法を知っているのかもしれない。あと、アキちゃんもいつの間にか私の話の意図を汲めるようになってて。言葉が分からないはずなのに。それも気になるといえば気になるし」
会話に集中している二人をガッタが諫める。
「……お前ら、湖面に集中しろ。何か来るぞ」
『『!!』』
二人は注意を湖面に戻し、そこから出てきた魔物の姿を見て驚愕した。
「……ウソ……」
「こいつぁ……」
「あの時よりヤバいぞ!」
ガッタとセミーンが遭遇したときより、はるかに強いオーラを放つ大蛇は、じろりと三人を睨みつけた。
洋市たちを追い、岩の裏手に回り込んだマンナは、すぐに自分の目を疑うことになった。
『……いない!?』
足跡すら残さず、二人の姿が完全に消え失せている。
マンナは焦って周囲の土や草の匂いを嗅ぎ、痕跡を探したが、何も見つからない。
『【隠形】スキル……! いくらなんでも、ここまで完璧に気配を消せるなんて。ヨウイチって一体何者なの!?』
想定外の事態に思考が乱れ、マンナが焦燥感に駆られたその時。
普段の彼女なら絶対にしない、周囲の警戒を疎かにするミスを犯した、まさにその瞬間だった。
頭上の太い木の枝から、音もなく黒い影が落下してきた。
「――ッ!?」
マンナが殺気に気づいて見上げた時には、すでに遅かった。
硬い漆黒の毛並みと鋭い牙、空気すら切り裂く爪を持つ凶悪な魔物。
隠密行動と奇襲に特化した森の暗殺者、『シャドウパンサー』が、マンナの無防備な首筋目掛けて飛びかかってきていた。
死闘の森を駆けながら、洋市はスキル【隠形】の効果を実感していた。
本来なら、人間の気配や匂いに敏感な魔物たちがうごめく危険地帯のはずだが、周囲の風景と完全に同化した二人に気づく魔物は一匹もいないようだ。
『いいぞ、このままいけばあと半分もしないうちに、ワープポイント“パキラ”に到着する』
肉体的な疲労はほとんど感じない。
【身体強化】の恩恵によって、ゴブリンである自身の筋力は大幅に強化されているのが感じられ、亜希を背負っての移動も苦にならない。
背中にしがみつく亜希の体温を感じながら、洋市は『亜希の護衛ミッションは完璧に遂行できる』と確信し始めていた。
しかし、その確信は一瞬で崩れ去ることになる。
――ヴーッ、ヴーッ。
突然、背中越しに亜希のリュックから、聞き慣れた電子的な振動音が響いた。
身体強化された洋市の耳は、それを耳聡く拾っていた。
「……亜希さん、携帯のバイブが鳴っています」
「……えっ、全然気付かなかった!確認しますか?」
「その方がいいでしょう、多分、あのアプリですよ」
洋市は念のため足を止め、亜希のスマホが震えていることを伝えた。
亜希はいったん背中から降り、リュックのポケットからスマホを取り出す。
圏外の異世界で、強制インストールされた『アルトヤ界観光ガイド』が、画面いっぱいに赤い警告を表示して点滅していた。
亜希の顔が、スマホのバックライトに照らされてサッと青ざめる。
「洋市さん、これ……!」
亜希から差し出された画面を見て、洋市も息を呑んだ。
【アルトヤ界観光ガイド:緊急警告】
▶アラート①:『命の泉』にて、強大な魔力反応(陰蛇の同位体・変異種)を検出。
▶アラート対象者:ノア、セミーン、ガッタ
▶全滅リスク:70%
▶アラート②:シャドウパンサーによる致命的な奇襲
▶アラート対象者:マンナ
▶全滅リスク:90%
「なっ……!?」
洋市は四白眼の目を限界まで見開いた。




