第三十五話
洋市たちがノアたちと合流しようと移動中、巨大な魔物が鎌首をもたげる“命の泉”では、静かな時間が流れていた。
「……っ、動くなよ、お前ら」
前衛で大斧を構えるセミーンの額から、滝のような冷や汗が流れ落ちていた。
隣で剣を握るガッタも、全身の毛を逆立て、本能的な恐怖に歯の根を鳴らしている。
後衛のノアは、いつでも魔法で毒を放てるよう準備していたが、杖を握る手が小刻みに震えていた。
以前遭遇した『陰蛇』とは、全く次元が違う。
その輝きが周囲の自然を一色に染めんばかりの鱗の艶、頭頂部から放たれる魔力の密度、そして森の空気を重く沈ませるような圧倒的な格の違いが感じられる。
間違いなく、この森の生態系の頂点に君臨する、主クラスの魔物だった。
だが、奇妙なことに、その大蛇は三人に危害を加えようとするそぶりを見せなかった。
最初は、その青白い瞳で値踏みするように三人をじろりと見下ろしていたが、ある時から何かを探るように舌をチロチロと出し入れしつつ、周囲を目で探っている様子だった。
「……どうしたのかしら。威圧感はとんでもないけど、私たちに対する殺意は……薄らいだような気がする」
「……そうだといいけどな。どっちにせよ、ここまで圧をかけられちゃ、こっちからは動けない」
何かを探しているのか。
それとも、自分に対して恐れおののいている小さな存在を、憐れんでいるのか。
三人は、各々頭の中で対処法を考えようとするが、強烈なプレッシャーで身体が動かない。
そんな永遠にも感じられる数分間が過ぎたころ。
背後の茂みが揺れ、マンナと洋市、亜希が現場に到着する。
「ノア、ガッタ、セミーン! 無事!?」
「マンナ!? その右腕の怪我……それに、ヨウイチとアキまで!」
茂みを抜けて現れたのは、右腕を血に染めたマンナと、彼女を庇うように立つローブ姿の洋市、そして洋市の背中にしがみつき、言葉を失っている亜希だった。
仲間が合流したことでノアたちは一瞬安堵したが、状況の絶望感は変わらない。
「ヨウイチ、下がれ! こいつはヤバい、前に話した陰蛇よりはるかに……!」
セミーンが叫ぶが、洋市はその場から動かなかった。
正確にいえば、初めての感覚を覚え、動けなかったのだ。
『……なんだ、これ』
洋市の胸の奥底で、何かが激しく脈打っていた。
それは、何かを恐怖したかのような鼓動だったが、同時に『自分には関係ない』という意識も同時に存在するという、非常に奇妙な脈動だった。
かつて洋市自身が取り込んだ『陰蛇の魔石』が、目の前の巨大な存在に対して強烈なシンパシー(共鳴)を起こしつつも、恐怖を抱いているような、それを第三者の視点から見ているような感覚。
湖から頭を出している大蛇の青白い瞳が、ノアたちから洋市へとスライドする。
その瞬間、洋市の脳内に、威厳のある声が響いた。
『――我の同胞を喰ろうたのは、其方か』
このとき、洋市は直感的に“正しく話せば戦いには至らない”という確信が生まれた。
後ろにいる亜希と、緊張状態にあるノアたちを振り返り、静かに告げる。
「皆さん、いったん武器を下ろしてください。攻撃の意思を見せないでください」
マンナは洋市が何を言っているのか分からず、ただちに反論した。
「な、何を言ってるの!?このまま何もしないで死を受け入れろっていうの!?」
「大丈夫です。……私が、対話できると思います」
洋市はそう言うと、大蛇に向かって一歩前に出た。
ノアたちは、何かを確信している洋市の様子を見つつも、強いプレッシャーの中で言葉をかけることができなかった。
> 変化:【陰蛇】発動
胸の紋章がいつものように赤黒く発光した後、その身体が爆発的に膨張し、洋市は瞬く間に漆黒の鱗を持つ巨大な蛇へと姿を変えた。
「う、嘘だろ……ヨウイチさんが、陰蛇に……!?」
「……どういうこと……」
「ノア、俺は現状が……理解できない」
唖然とするパーティーの面々を背に、洋市は、目の前の主クラスの大蛇と同じ目線まで首を持ち上げた。
『……はい。私が倒し、取り込みました』
洋市は頭の中で、マンガや超能力でいう“念話”の概念を意識して、頭の中で大蛇に意思を伝えた。
大蛇は洋市の姿をぐるりと見回し、やがて満足げに喉の奥を鳴らした。
『善き哉。我が縄張りの端で、身の程を知らぬ若造が悪さをしていると聞き、罰しに来たのだが。其方がすでに魔石として吸収しておったか』
わざわざ自分が手を下す手間が省けたと、大蛇は機嫌を良くしているようだった。
どうやら、先日洋市が倒した陰蛇は、この主の縄張りを荒らす「はぐれ者」だったらしい。
頭の中で思考を組み立てる都合上、洋市は嘘をつくのが難しく、好奇心からただちに質問してしまった。
『貴方様は、この森の主なのですか?』
その大蛇は『いかにも』と答え、続ける。
『この森は、我と森を産み育てし神よりお預かりしたもの。魔王蔓延る前は草木が育ち獣が遊び、湖では妖精が歌う森であった。今では争いが絶えぬ魔物の森。我等もまた一部はその穢れに毒され、魔物に成り果てる者もいる。嘆かわしや』
今度は大蛇が洋市に質問する。
『其方、何故小鬼の姿をしておる』
洋市は、自分の正体に気付かれたことに驚き、嘘はつけないと覚悟した上ですべて話そうとした。
『実は、私は日本という……』
『よい。視えた。魔王か、やつはなかなかにしぶといの。別世界で生き抜いていようとはな』
洋市はとんでもない爆弾発言を聞いた気がしたが、大蛇は気にすることなく続ける。
『人間と、小鬼と、蛇の器を併せ持つ数奇なる者よ。身内が暴れた詫びと、手間を省かせた褒美をやろう。其方のその姿、いささか目立ちすぎよう』
大蛇の瞳が怪しく光った瞬間、洋市の中に新たな情報が流れ込んできた。
> 通知:『死闘の森の主』よりスキル譲渡
> 特殊スキル【変幻】を獲得
> ※陰蛇状態の際、体長を数十メートルから数十センチ(手のひらサイズ)まで、魔力を消費して自在に伸縮・変化させることが可能
『!……これは!』
洋市はこのスキルの可能性を瞬時に理解した。
陰蛇の姿は圧倒的な強さを持つ反面、大きすぎて小回りが利かず、周囲への被害も甚大になるというデメリットがあった。
加えて、人類の目から見て巨大かつ獰猛なルックスは、洋市が悪い魔物として誤解を受けてしまうおそれもある。
しかし、この【変幻】があれば、小型の蛇として隠密行動をとったり、狭い場所での戦闘にも対応できる。
対人戦でのフェイントにも使えそうだと、洋市は心から感謝した。
『ありがとうございます』
洋市が頭を下げると、さらに大蛇は上機嫌となり、舌を出し入れして目を細める。
『我の姿を見て驚かず、あまつさえ感謝するとは。剛毅なのか素直なのか。我が名はジルファ。古き神々の眷属。崇めるならば水の精霊アサンを称えよ。我はその隣に置け。それをそこの赤毛の女子に伝えよ』
そう言って、大蛇はゆっくりと反転し、音もなく泉の底深くへと潜っていった。
水面が静かになり、圧倒的なプレッシャーが森から消え去る。
洋市はすぐさま変身を解除し、元の人間の姿へと戻った。
> クエスト【アサンの水源】の救出、完了
> 成功報酬:人間形態維持+600分(現在:1640分)
> 【人間味】が68→70にアップ
> 突発的クエスト【ジルファとの邂逅】完了
> 成功報酬:【持ち物】に「水魔法」が追加
> 【人間味】が70→60にダウン
> 特殊スキル【人間離れ】を獲得
> ※魔物や怪異、神々や悪魔など、人ならざる者とのコミュニケーションが可能になる
「……終わりましたよ、皆さん」
洋市が振り返ると、そこには腰を抜かしてへたり込むセミーンとガッタ、そして目を丸くして固まっているノアとマンナの姿があった。




