第十九話
洋市は、目の前で人が殺されたことに呆然としていた。
遠目から見ているのではっきりとは分からないが、鎧のそばに兜が落ちているのが見えた。
『なんてこった……』
人の死を間近で見たことにショックを受けた洋市は、首のない鎧が倒れようとするのをスローモーションで見ていた。
そして、その次に見た光景に、一気に現実へと引き戻された。
「どぅおりゃあぁ!」
なんと、首のない鎧がオオカミに斧を振り回している!
ほどなくして、鎧の首当て部分から、坊主頭の厳つい顔が亀のようにひょっこり顔を出した!
「セミーン!無事か!?」
「ああ、何とかな!あの野郎、鎧兜ごと首をへし折ろうとしやがった!」
セミーンは、肉体を強化したオオカミが、身を覆う兜に噛みつこうとしたとき直感した。
鎧と兜のつなぎ目を壊せれば首を咬み、できなければ兜を咬んで首を折る。
そのような戦い方を本能でやっているのだと。
セミーンが斧を振り回したことで、オオカミはいったん後ろに下がり、敵の動きをうかがっているようだ。
隙が生まれたことで、ガッタとセミーンは会話を始めた。
「あいつら動き速いな、次期の親玉争いに絡んでるかもしれない」
「候補なのは間違いない、冷静に考えると魔法かどうかは分かんねえが、身体能力を高める方法は知ってるんだろうな」
ゴブリンになった洋市の耳は地獄耳になっているのか、二人の会話がしっかり聞き取れた。
『魔物だもんな。そういう戦い方もできるか。それにしても怖いな』
洋市は、木陰に身を潜めたまま、息を殺して二人の話を聞いていた。
セミーンの首がまだ残っていたことに安堵したのも束の間、状況は依然として悪いと考えていた。
ストラグルウルフたちの動きは、明らかに「野生動物の狩り」を超えている。
一匹が正面から威嚇し、二匹が左右に散ってセミーンとガッタの死角を突こうとするなど、組織的な動きも見せていた。
ある程度洋市が間引いた後も、まだ強いオオカミは数匹残っており、それらは自分自身を強化することができるという。
周囲をよく観察すると、戦線から少し離れたところに一匹だけ体毛が薄い個体がおり、ライトグレーの毛並みのオオカミが定期的に遠吠えのような鳴き声を発している。
その遠吠えに呼応するように、前線のオオカミたちの体毛が逆立ち、筋肉が膨らんでいるように見える。
『あいつがバフをかけてる?組織的な戦い方ができるのか?』
洋市は、自分の思考がどこか他人事のように冷静であることを、頭のどこかで不思議には思っていた。
目の前で、鋭い牙と爪が人間の肉を裂こうとしているのに、自分の心臓はまったくドキドキしていない。
本来、普通の人間なら足がすくむか、一目散に逃げ出す場面だろう。
しかし、今の洋市を支配しているのは、むしろ“獲物”を見定めるような冷徹な分析眼だった。
セミーンが重い斧を振り回し、ガッタが鋭い踏み込みでオオカミを牽制する。
だが、速度と数で勝るオオカミたちは、確実に彼らのスタミナを削っていた。
気が付けば、彼らの手元や鎧の隙間から流れる血が、少しずつ目立ってきていた。
『このままじゃ、多分二人は押し切られる……影に隠れながら新しいスキルを試すか』
一般的な正義のヒーローなら、ここでさっそうと登場してオオカミをなぎ倒すだろう。
しかし、残念ながらゴブリンという魔物は、見た目からして凶悪である。
自分が逆に狩られるわけにはいなかい。
洋市は右手の爪を立て、チョップできるように右手を上に構え、新しく得たスキルの発動を意識した。
『いくぞ、【風刃】!』
影の中から、洋市は勢いよく右手で空気をチョップした!
空気が鋭く裂ける音が響き、目視できない、しかし空気を裂く刃のような風が、セミーンの背後から飛びかかろうとしていたオオカミの脚を切り落とす!
「ギャンッ!?」
着地に失敗したオオカミは地面を転がり、その首にセミーンの斧が容赦なく振り下ろされる。
「なんだ……!? 今、風が吹いたか?」
セミーンが困惑の声を漏らすが、洋市は止まらない。
続けざまに左右の手でチョップを繰り出し、ガッタを囲もうとしていたオオカミたちを切り刻んでいく。
「誰だ?ノアか?それとも助けが来たのか?」
困惑するガッタとセミーンをよそに、洋市は新しいスキルの性能を試していた。
『さっきは脚を切れたが、そう上手くは当たらないか』
洋市は木陰に隠れながら、一方的にオオカミをスナイプできている状況に安堵しつつも、これを続けていればいつか存在を悟られてしまうのではないかとも考え始めていた。
さながら、かつてブログの記事がバズった瞬間に、炎上の気配を感じるときのような空気感。
その憶測は正しく、甘い状況は長くは続かなかった。
群れの後方にいたライトグレーのオオカミは、赤い目を洋市の潜む木陰に向けた。
どうやらこの魔物は、風の刃がどこから来ているのかを、その鋭い嗅覚と魔力感知で突き止めたらしい。
「ガアアァッ!!」
咆哮一閃。
そのオオカミは遠吠えを止め、地面を爆発させるような勢いで、洋市の方へと突っ込んできた。
忘れかけていた、皮膚のヒリヒリが強まってくる。
ヤバい!
こいつ、それなりに強い!
洋市は久々の感覚に怯える。
『バレた! クソ、やっぱり動き回れば【隠密】にも限界はあるか!』
洋市は反射的に木陰から飛び出し、背後の森へと走り出した。
茂みが音を立てたとき、ガッタとセミーンはともに群れの後ろから強い魔物の気配を感じた。
「おい!あいつ!」
「ああ、あれが親玉候補の一匹ってわけだ!」
ガッタは直感的に、この個体を狩れば群れは勢いを失うと考えた。
しかし、ガッタたちの方に親玉候補は向かうことなく、茂みの奥へと走っていった。
「……援護してくれた魔術師のところへ向かってるのか?」
「おい、援護……うわっ!」
親玉候補を追おうとした二人だったが、他のオオカミたちはケガをしながらも戦う意思を捨てていない。
結局、ガッタとセミーンは群れを一掃することを選択せざるを得なかった。
ゴブリンとなった洋市の身体能力は、全力疾走すれば人間を凌駕する。
もし、走る速さに効果があるスキルを得られれば、自転車どころか二輪自動車くらいの速さで走ることは十分可能だろう。
しかし、ストラグルウルフは足場の悪い森林の中でも、スピーディに走れる柔軟性と筋力がある。
後ろから迫る、競馬場でレース中に聞こえる地鳴りのような足音は、洋市に確実に近づいていた。
『クッソ、追いつかれた!』
洋市は、目の前に見えた大木を使って急旋回し、相手の突進をかわそうとする。
しかし、相手はオオカミ、木々の間を縫うように走り、しなやかに洋市の首を狙ってくる。
『そっちがその気なら、来いよ大将!』
洋市は走りながら足場を確認して振り返り、立ち止まって両手を×字に交差させて振った。
クロスした風の刃は、勢いよく親玉候補の顔面に直撃する。
だが、身体強化を施された親玉候補は、顔から血を流しながらも速度を落とさない。
それどころか、血の匂いでさらに凶暴性を増したようにも見える。
走りながら【風刃】を使い続けるうちに、洋市は行き止まりの巨木に追い詰められた。
振り返れば、薄暗い森の中、ぎらぎらと光る赤色の瞳が、すぐそこまで迫っている。
『……やるしかないのか』
洋市の脳裏に、かつて湖で巨大な蛇になった時の感覚が蘇る。
多分、蛇になってしまえば、このヒリヒリ感は収まるような気がする。
そして、この親玉候補も食べられるかもしれない。
あの時、自分は迷わず獲物を丸呑みにした。
そのことに、何の罪悪感も抱かなかった。
しかし、人間らしさは失われる。
そのことに一抹の不安を抱く洋市は、皮膚に疼きを覚えながらも、変身することを躊躇していた。
「グルルゥ……」
親玉候補が低く唸り、跳躍の機会をうかがっている。
敵の喉元を一気に噛み切るつもりなのだろう。
決断するなら、今。
『……死んだら元も子もない、変身するか!』
そう洋市が意思を固めると、胸の紋章が赤く光った!
ただちに右手で触れ、陰蛇へと変化を始める。
「グオッ!?」
親玉候補が危険を感じてのけぞり、様子をうかがっているほんの十数秒のうちに、洋市の身体は再び巨大な蛇へと姿を変えていった。
身体が赤く輝くとともに、体高は一気に木々のてっぺんに届かんばかりに伸び、それから素早くとぐろを巻く。
大蛇の身体が触れて起こった木々のざわめきは、まるで凶獣の鳴き声のように周囲を威圧する。
変身というよりも、やはり自分が大蛇の着ぐるみを着たような感覚になっており、身体自体が変化したという感覚はない。
まるで、大蛇の体内に膜があり、そこで自分が守られているような安心感である。
洋市は身を低く沈め、今度は逆に親玉候補のオオカミの目を、蛇の縦長の瞳孔で睨む。
親玉候補は、その刺すような視線に囚われ、身震いしている。
今、全力で呑み込んでしまえば、戦うことなく勝利できるだろう。
『……いただきます』
せめてもの人間らしい感情を、心の中で表現しながら、洋市は口を開けたまま親玉候補に飛びかかった。
睨みを効かせて恐怖を与えていたことも幸いし、結局親玉候補は何の抵抗もなく胃の中に収納され、ほどなくして洋市の“養分”となった。
> 魔物【ストラグルウルフ・エリート】を討伐。
> レベルアップ:Lv.20 → Lv.23
> スキル【うわばみ】がLv.2にアップ
> スキル【蛇睨み】を獲得
> スキル【身体強化】を獲得
>【人間味】 70 → 65 にダウン。




