第百四十一話 想いの対価
喫茶『ブランコ』のカウンター。
洋市、亜希、マスターそれぞれの人生を、それぞれの言葉でぶつけ合った時間が終わり、店内には再び静かな時間が流れている。
マスターは、久しぶりの心通ったコミュニケーションへの感謝として、洋市と亜希にコーヒーを出していた。
「亜希さん、こちらのコーヒーはブラックで飲めると思います。飲んでみてください」
普段はカフェオレを嗜む亜希も、コーヒーを愛飲する洋市の意見に従い、黒の絵の具を溶かしたような液体を口にする。
「……おいしい! ぜんぜん苦くないし、ほんのり甘いし……」
亜希は酸味への耐性が強いのか、酸味に対する感想こそ言わなかったものの、その上質な味わいをコメントした。
マスターが、少々腫らした目を細めてニッコリと笑う。
「それはよかった。このブレンドはキリマンジャロベースなので、酸味が気になる方は気になるんですが、大丈夫そうですね」
「全然! 私グレフルとか大丈夫な人だから、まったく気にならないです!」
亜希の正直な感想を聞き、マスターは嬉しそうにドリッパーの方へと向かうが、洋市がそれを察して止める。
「マスター、こちらの都合でお時間を取らせてしまって申し訳ありません。そろそろお暇したいと思うのですが、その前に一点ご相談を……」
洋市は、ようやく本題である『妖精像の譲渡』について切り出すことにした。
しかし、マスターは気付いていた様子で、食器棚を見上げる。
「これが気に入りましたか?」
そう言って、マスターは時計を抱いた妖精の像を手で指す。
洋市は、あらかじめ拵えていた理由を述べる。
「実は、とある団体からの依頼を受けていて、施設のモニュメントに添える“妖精”の像を探していたんです。私たちも色々なお店を探したんですが、クライアントの希望に沿わず、そのような中で偶然に見つけたのがこちらの像だったんです」
マスターは“団体”と聞いて怪訝な顔をする。
「……差し支えなければ、それはどのような団体なのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
答えは用意していたものの、一瞬戸惑い間が空く洋市。
亜希は、おそらく洋市が言葉に詰まることを予想して助け舟を出す。
「森林保護団体です。海外の団体で、正式名称は日本語で『アサンの水源』といいます」
マスターは、いったん安堵したように頷く。
「ああそうですか。もし宗教団体とかだったら、お断りしようと思ってたんですよ。プレゼントしてくれたお客さんがそういうの嫌いだったから」
続けて、簡単な事項を確認するように亜希に質問する。
「ホームページのような、何か活動を紹介しているようなものはありませんか?」
やんわりと“活動の証拠を出せ”と言われた気がして、逆に言葉が詰まる亜希。
洋市が会話を引き継ぐ。
「歴史自体は古いのですが、過去に内戦があった経緯もあり、ホームページの整備が進んでいない状況なんです」
内戦、と聞いて、遠い異国の戦地を思い浮かべるように皺を寄せるマスター。
洋市は、悪い感触ではないと判断し、頭に一つ提案を思い浮かべる。
「まだアポは取っておりませんが、連絡が取れれば代表と話してみる、というのはいかがでしょうか?」
洋市は、亜希のスマホアプリ『アルトヤ界観光ガイド』経由で、ノアとマスターとで話し合ってもらうのも一手だと考えた。
しかし、マスターは両手を振って遠慮する。
「いえいえ、そこまでは申し訳ないです。通訳の手間もあるでしょうし。どのみち、プレゼントしてくれたお客さんも昨年に亡くなりましたし、私も老い先短い身ですから、これも何かのご縁ですし、お譲りしますよ」
何の対価もなしに、“譲る”という言葉が出てきたことに驚く洋市。
「いえ、それは申し訳ございません。言い値で、といっても限度がございますが、私たちの限界の範囲で、対価はお支払いします」
いやそれは、いえいえ、という、日本人独特の譲り合いが洋市とマスターとの間で始まる中、亜希は異世界仕様ポシェットに手を差し入れ、二人の間にそっと白い封筒を置いた。
「あの……こちら、先方から予算として預かっている分です。よかったら、受け取ってもらえませんか?」
えっ、と言葉を切り、分厚い封筒を見て絶句するマスター。
洋市もまた、亜希がいつの間にお金を用意していたのかと驚く。
「いや……さすがにこれは……人からもらったものを譲って、それでこんなにお金をいただくというのは……」
亜希はマスターの言葉に頷きつつ、しっかりとその大きな瞳でマスターを見据える。
「誰かの想いがこもっているからこそ、タダで受け取るのは違うと思うんです。もしよかったら、お墓にお酒やお花を添えてあげてください」
孫ほどの年齢の娘から諭され、思わずうーん、と唸り腕を組んだマスター。
十数秒の沈黙の後、少々お待ちください、と言って、レジの方へ向かう。
戻ってきたマスターの手には、領収書が握られていた。
「……売上とは違うので、本来なら領収書を出せばよい、というわけではないのですが、あいにく今はレシート以外に“これ”しかないものですから、せめて受領書代わりに書かせていただきます」
あらためてもよろしいですか? と洋市、亜希に質問するマスター。
二人はどうぞ、と手のひらを上に向ける。
商売人らしく、封筒から出した札束を器用に扇子状にした後、左手の中指と薬指で札束をまとめてはさむ。
そのまま親指で繰り寄せながら、右手で素早くお札を数えていく所作に、洋市と亜希はプロの仕事を見ているようで惚れ惚れしていた。
「……五十万円、確かに受領いたしました」
領収書にペンを走らせ、途中でマスターが洋市に質問をする。
「但し書きは……?」
「ああ、『置物代』で構いません」
「かしこまりました」
一通り書き終えた後、マスターは切り取った原本に200円印紙を貼り付け、割印を押す。
「印紙なんて使ったの、本当に久々ですよ」
亜希がうんうんと首を縦に振る。
「私、昔は経理部で働いてたことありますけど、それでもあんまり機会がなかった気がします。バイトだったからかな?」
最近ではWeb上で明細が出ますからね、と笑い合う亜希とマスター。
そういえば、Web明細には印紙を貼っているのを見たことがないな、と洋市は思った。
「ありがとうございました、失礼します」
「ありがとうございました! また来ます!」
「ありがとうございました。お気を付けて」
三者三様に、同じ感謝の言葉を述べた後、洋市と亜希は喫茶『ブランコ』を後にする。
駐車場まで辿り着き、洋市は車に積んでいたマジックバッグの中に妖精像をしまおうとして、いったん躊躇する。
『現代日本の品を入れた実績はあるから大丈夫だとは思うが……一応壊れないように固定しておきたいな』
結局、車内に入っていたランドリーバッグに妖精像をくるみ、後部座席に安置する。
「このサイズ感なら、シートベルトで固定できるか?」
一応試してみたところ、ランドリーバッグの取っ手を通すとバランスよく固定できた。
「バッチリですね!」
「何とかなりそうです。では、お土産を買いに行きましょう」
こうして洋市と亜希は、無事ミッションをこなし、スーパーで“異世界の仲間たち”への土産物を見繕うことにした。
次回の更新は、10/23(金) 21時頃を予定しております。
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