第百三十七話 昭和のサ店
アンティークショップ、ガーデニングショップの両方に振られた洋市たちは、二時間の移動と探索で何も得られなかったことに、少なからずショックを受けていた。
現代日本での買い物、というだけならよくある失敗談かもしれない。
しかし、なにぶん二人は異世界を行き来する身であり、蓄積した心身の疲労が容赦なく腹の虫を鳴らす。
はじめはグゥ、と一鳴き。
少ししてグゥー、と伸び。
やがて唸るようなグゥ~~という響きに変わる。
辛抱たまらん、といった様子で、亜希はお腹を押さえ洋市に泣きつく。
「ダメです……洋市さん……何か食べないと、私、もちません……」
ゴブリンの姿から人間の姿に戻って車を運転してきた洋市も、我慢できない様子でその塩顔を歪ませる。
「このままだと品探しどころの話じゃなく、行き倒れそうな勢いですね」
二人はうん、と頷き合い、洋市は現在地からもっとも近い下町エリア・須往町へと車を走らせる。
助手席に座る亜希は、何か食べ物はないかと異世界製のポシェットを漁るが、あいにく携行食は食べ尽くしていた。
『今度ハンスルに行ったら、絶対食べ物詰め込んどこう……っていうか、何でコンビニで買い込むとかしなかったの私!?』
自分の浅はかさを後悔する横で、洋市が亜希の気持ちに寄り添うように一声かける。
「必要なものって、思い出してから次は絶対用意しとこうって思うのに、気がついたら頭から消えてるもんですよ。車にエナジーゼリーでも積んどけばよかったのに、って、こういう時はいつも思います」
似た者同士ですね、と、洋市と亜希は笑い合う。
非常識な出会いをした二人。
死線を越えて時間を重ね、ようやく世間話ができるほどの関係になれたのは、まさに『運命の逆再生』とでもいうべき皮肉であった。
須往町のコインパーキングに車を停め、洋市と亜希は当てもなく周辺の飲食店を探す。
普段ならスマホのマップアプリでお店を探すのだが、二人ともそれを忘れるほどに空腹だった。
ふと、洋市の目に『喫茶ブランコ』と書かれた、いい意味で古めかしい電飾看板が見えた。
『こういう喫茶店、今でもどっこい生きてるんだな』
昭和の時代、多くのサラリーマンがタバコとコーヒーで時間をつぶしたであろう、ノスタルジックな雰囲気が漂う。
「うわぁ……ガチで昭和、エモっ! こんなお店知らなかった!」
カフェが主流の時代に生まれ育った亜希にとって、喫茶店はレトロ感漂う“エモい”空間に感じられた。
亜希は洋市の方を見て、目線で『ここにしますか?』と確認する。
洋市は無言で頷き、重厚なガラス戸を開け、カランコロンと乾いた鈴の音を鳴らした。
洋市と亜希が店の中に入ると、そこはまるで映画の世界のように、時間が切り取られていた。
照明で輝く艶々のカウンター。
有線で流れる緩やかなジャズBGM。
えんじ色のベロア調ハイチェア。
年季の入った座り心地が柔らかそうなソファ。
今なおコインを入れればゲームが遊べるテーブル筐体。
1970~80年代に生まれ育った人はもちろん、2000年代以降に生まれた人にとっても、現実世界とかけ離れたような空間がそこにはあった。
『驚いた……まさか令和の時代に、こんな喫茶店が須田市で生き残っていたとは』
『エモさカンストしてるんですけど……写真撮ってTalkerにあげたいけど、こういうところは許可いるよなぁ……』
二人が心の中で感想を抱いていると、カウンター奥から、つるんとした頭で白髪髭を蓄えている、ダンディズムを体現したマスターが顔を出した。
「いらっしゃいませ」
飾り気のない挨拶に、隠せない気品が漂う。
洋市と亜希の心は、一瞬で釘付けになった。
「カウンターになさいますか?」
洋市は亜希に目を遣り、亜希はただちに頷く。
「お願いします」
洋市と亜希は、マスターの前にある、座高が高い人にはつらいであろうハイチェアに腰を下ろした。
ほどなくして、マスターが二人に一冊のメニューを配る。
「ごゆっくりお選びください」
“二人がそれなりに深い仲”だと瞬時に判断したマスターが、あえてメニューを一冊だけ持ってきたところに、洋市は心の襞を揺らされた思いだった。
『こういうのは、やっぱり昭和って感じなんだよなあ』
一方、亜希は特段感想を抱くこともなく、洋市と一緒にメニューを眺める。
「洋市さん、ガッツリ食べます? 私はサンドイッチプレートと……このコーラフロート、ってやつにします!」
そういえばコーラフロートを頼める店も減ったなあ、と、洋市は昔を思い出す。
最近では須田でも、カフェで『○×△チーノ』のような呪文を唱えなければ、フロート系の飲み物は飲めなくなってきている。
メニューを眺めると、どうやらカレーがあることに気付く。
『喫茶店のカレーといえば、ビーフカレーだよなぁ』
これからもう少し店を回ることになるだろう。
洋市は運転のスタミナをつけるため、ビーフカレーとブラックコーヒーを頼むことにした。
洋市が亜希の分も注文を伝えると、マスターはニッコリと笑う。
「かしこまりました」
無駄のない、それでいてホスピタリティを十分に感じさせる返事の後で、マスターはカウンター裏へと消えた。
それを見てから、亜希は小声で洋市に話しかける。
「……メッチャエモくないですかこのお店? 洋市さんの若い頃って、こういうお店ばっかりだったんですか?」
昭和生まれとはいえ、サ店文化全盛の時代、洋市は幼少期だった。
どう返答すべきか戸惑いつつも、自分なりの意見を述べる。
「昔、喫茶店は『サ店』と略されていて、私よりも大人の世代がよく通っていた記憶があります。亜希さんから見れば、おじいさん世代にあたる人たちが、ある種の社交場として使っていたんです」
「社交場って……ゲーム置いてますけど、ゲームしながら話すんですか?」
「“インベーダーゲーム”って聞いたことありませんか? 砲台で宇宙人を打ち落とすゲーム。プレイ自体は今のゲームと違って短時間で終わるんですよ」
「……あっ、待ち合わせで時間潰してたとか?」
「そういう使い方もあるでしょうね。あとは、お金なりコーヒーなりを賭けてスコアを競うとか……」
二人で少し話し込み始めたタイミングで、マスターが飲み物をテーブルに置く。
「お待たせいたしました。ブレンドコーヒーとコーラフロートです」
ブレンドコーヒーからは、ほのかな甘みを含んだスモーキーな香りがふわりと立ち上る。
グラスの中のコーラは弾ける炭酸の音を響かせて爽やかさを伝え、その上にのったソフトクリームは完璧な形に整えられ、コーラフロートは至福の味わいを予感させる出来だった。
『……いい香りだ。あとは飲んで酸味があれば完璧なコーヒーだが……!!』
一口目で、洋市はコーヒー豆の素性の良さを実感する。
キリマンジャロベースのコーヒーは、爽やかな酸味とわずかな甘みを残し、苦味なく澄んだ余韻を残して消えていった。
『まさかとは思うが……コールドブリューを温めているのか?』
自宅のドリップパックでは絶対に出せない味に、洋市の右脳は次第に全開となり、逆に左脳は少しずつ感想を言語化するのを放棄した。
その隣で亜希は、満面の笑みでソフトクリームとコーラのマリアージュを楽しんでいる。
『メッチャ美味! ソフトクリームは優しい甘さでコクがあって、それをコーラのシュワシュワが流してくれるから……マジで止まらん!』
気が付けば、二人ともメインを迎える前にドリンクを飲み干していた。
そのタイミングで、右手にカレーを、左手にサンドイッチプレートを持ったマスターがやって来る。
「お待たせいたしました。ビーフカレーと、サンドイッチプレートでございます」
粒の立った白米と、黒色のカレーが同居する銀色の皿。
均等な三角に切り分けられたサンドイッチ六個に、付け合わせのソーセージとサラダが乗ったプレート。
その見た目は、空腹の二人の舌を強烈に刺激する。
カウンターに置かれるや否や、二人はただちに食器を手に取り食べ始める。
『……スパイスをじっくり炒めているからこそ、この味が出るんだ。濃厚な旨みと豊潤な香りが口いっぱいに広がり、粒立ちの良いご飯の食感も素晴らしい……』
言語化を放棄したはずの左脳を再びフル回転させ、心の中で食レポを続ける洋市に対して、亜希は素直な感想をつい口に出す。
「……うっまぁ!」
飾らない感想を傍で聞いていたマスターが笑う。
「ありがとうございます」
「えっ!? あっ……美味しいです……ごめんなさい……」
「いえいえ。ごゆっくりどうぞ」
再びカウンターの影に消えていくマスターを見送りながら、亜希はコンビニで食べるサンドイッチとは違う温もりを感じていた。
あっという間に空になったそれぞれの皿。
ふと、二人が何気なくカウンターに目を遣ると、食器棚の上に置き物が置いてある。
「洋市さん……あれ……!」
「これは……!」
二人が見たのは、羽根の生えた美しい女性がドレスに身を包み、時計を抱えている姿の置物だった。
次回の更新は、10/15(木) 11時、または21時頃を予定しております。
もし、それよりも早く投稿できるようであれば、活動報告にてお伝えする予定です。
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