第十四話
結局、亜希は洋市にすすめられて、カロリーバーを少しだけ口にした。
お互いに歩けることを確認し合い、二人は煙の方向へと歩き出した。
夜が明けるとともに、地球と変わらない空色の下、二人は湖の対岸を目指す。
下を向けば、地球とは明らかに異なる植生が、洋市と亜希の好奇心を刺激する。
だが、二人の間に会話はない。
事前に『魔物に見つからないよう会話は最小限にしよう』と決めていた。
亜希の歩幅に合わせ、洋市は【隠密】スキルを意識しつつ、ゆっくりと進んだ。
その道中、洋市は気になったことがあり、亜希の様子を見た上で声をかけた。
「まだ先は長いですから、何だったら荷物を持ちましょうか?」
亜希はその親切な言葉を素直に受け入れつつ、断った。
「ありがとうございます。でも、自分の荷物ですから、これくらいは」
亜希としては、確かに荷物を持ってもらった方が楽なのだが、それは同時に洋市の対応力を下げてしまうだろうと容易に予想できた。
もし洋市が死ぬようなことがあれば、当然自分の命も危うい。
言葉にこそしなかったが、亜希は感謝よりも打算を優先した。
しかし、その打算は決して責められるものではない。
「そうですか。もし疲れたら言ってくださいね」
そう返す洋市だが、洋市も純然たる親切ではなく、打算があった。
決してうら若き女子と仲良くなろうとしたわけではなく、自分のステータスに対しての打算であった。
『こまめに親切な行動を起こすことで、人間味が回復すればいいんだが』
人間味がゼロになり、完全な魔物になってしまった場合、最悪、自我が失われるリスクもあると考えていた。
洋市としても、ゴブリンから人間に戻りたいとは思っているので、色々と行動は模索すべきだと思っている。
体感で三十分ほど経過した頃、ようやく二人は煙の上がっていた場所を見つけることができた。
「これは……砦?基地?高い塀の中に人が滞在できるようになっているのか」
「見張りの人もいますね。でも……人間には見えない」
煙を追って歩いていくと、やがて二人は崖に辿り着き、その下には砦があった。
砦の先は開けていて、さしずめ平野といったところだろうか。
森側と平野側には、それぞれ大きな入口があり、頑丈そうな門もある。
それらの入口を四角形で結ぶように塀が設けられ、中央には人が過ごせそうな三階建ての建物がある。
砦の入口となる門には、黒い革のようなものでできた鎧を着た、二人の門番がいる。
一見、人間のように見えるが、一人は耳が少しとがっており、もう一人は頭の上に毛でおおわれた丸い耳が見える。
『耳が尖っているのは、いわゆるエルフってやつだろうか。弓は持っていないようだが、やっぱり魔法とか使うんだろうか』
洋市は、自分の頭の中にある貧相な異世界知識を持ち出し、どんな戦い方をするのか想像した。
『あの耳カワイイなあ……触りたい、なんていったら怒られるのかな』
亜希は、ケモミミのコスチュームを想像し、丸耳の人と友達になることを想像していた。
すぐそばには緑色のゴブリンがいるわけで、みんなで集まったらハロウィンで注目の的だろうな、とも思った。
それぞれ、想像の方向性は異なるが、このまま想像を膨らませるだけでは何の進展もないことは、二人とも正しく理解していた。
まずは崖を下りなければならないが、見張りに気付かれるのは避けたい。
洋市は、亜希をおぶった状態で近くの木の幹につかまり、ゆっくりと地面に向かって下りていった。
【隠密】スキルが仕事をしてくれているので、洋市の姿も、亜希の姿も、周囲の生き物から悟られることはなかったようだ。
そのまま、砦の入口近くまで草むらに身を隠しながら進んだところで、洋市は亜希に提案を切り出した。
「亜希さん、門の前まで一緒に行ったら、ちょっと一人で話をしてみてもらえませんか?」
「えっ!?無理です!いきなりどうしてですか?」
「私がゴブリンの姿のままでいると、おそらく亜希さんも仲間だと思われるでしょう。いったん変身を解いてもよいのですが、残念ながら私はパジャマ姿で、結局怪しまれるかもしれません。」
「それはそれで……何か言い訳を考えれば大丈夫なんじゃないですか?例えば寝ているときに襲われて着の身着のまま逃げてきたとか」
「そうなると、どうして亜希さんは旅人の姿をしているのか、逆に疑問に思われるのでは?」
「そこは……うーんと、道中で知り合ったとか何とか言って……とにかく!私一人じゃ何を話していいか分からないです……」
洋市は、亜希は意外と言い訳を考えるのが上手いな、と思った。
その一方で、亜希は洋市の提案に突き放された気持ちだったが、その後洋市が納得した様子を見て安心した。
「分かりました。それでは、人間に戻ってコミュニケーションをとってみましょう」
ゴブリンの状態で紋章に触れると、洋市は久しぶりに人間に戻った。
すると、自分の目の上の方に“968/970”という数字が見える。
『これは……人間でいられる時間ってことか!』
ずいぶん親切な機能だが、どうしてこんなことが自分の身で実現できるのだろうか。
当然のように洋市は疑問に思ったが、そんなことを気にしている場合ではない状況のため、亜希の方を向いて声をかけた。
「私は人間に戻っていますか?」
亜希は口を開けたまま呆然としていたが、すぐに気を取り直した。
「は、はい、戻っています。すみません、お隣にいたはずなのに、きっと初めまして、ですよね?」
人間の姿の頃、亜希は洋市に会ったことはなく、洋市も同様だった。
だから、人間同士としては、これが事実上の初顔合わせだった。
「こう言ったらなんですけど、洋市さんって“塩顔”なんですね」
「えっ?ああ……まあ……特徴はあまりないかもしれませんが……」
こんなときに、人の顔の感想が言えるとは!
洋市は亜希の図太さに驚きつつも、本来の目的を達することにした。
「と、とりあえず、まずは門番の人に話をしてみましょう」
二人は周囲を警戒しながら、自分たちとは耳の形が違う門番のところまで歩いて行った。
「おい!どうしたんだお前、そいつは寝間着か?何があった!?」
洋市の奇抜な、もとい違和感だらけの格好を見て、耳の長い見張りが声をかけた。
不審に思うというよりは、何かトラブルに巻き込まれて逃げてきたのかどうかを確かめたいようだった。
「すみません、魔物から命からがら逃げてきて……ここはどこでしょうか?」
洋市はつとめて丁寧に言葉を紡ぎ、相手が抱いているであろう違和感を何とかして和らげようと努力した。
「ここは“死闘の森入口”の砦だが……一体どこからここに?」
丸耳の見張りが洋市に尋ねる。
洋市は亜希の方をちらっと見て、何か良い言い訳が思い浮かんだか聞こうとしたが、亜希は横にブンブンと首を振っている。
「私にも分かりません。気が付いたら森の中にいて、水を探して湖に辿り着いたところ、煙が見えたのでこちらに……」
洋市が、事実の一部を嘘にならない範囲で話すと、耳の長い見張りが答えた。
「お前らもか……一時期、変な格好をした奴の死体がよく見つかってたんだが、お前らの服はまた違うみたいだな。そっちの子はあんたの娘か?」
「えっ、ええと、娘ではないのですが、家族のような存在です」
洋市はとっさにそう取り繕うと、丸耳の見張りはうなずいた。
「言葉が分からないところを見ると、結構遠くから来たんじゃないか?といっても、まずはここがどこか分からないと話もできんか。武器らしいものも持っていないし」
言葉が分からない?
そういえば、なんで自分は言葉が分かるんだろう?
さっき、自分たちと似たような境遇の人たちの死体があったとも言っていた。
色々な疑問が頭の中に渦巻く中で、洋市は亜希に尋ねてみた。
「亜希さん、私たちが話していることが分かりますか?」
「いえ!何かよく分からない言葉を洋市さんが喋っているように聞こえました!なんで会話できるんですか?」
これは……どういうことなんだ?
洋市は、自分が置かれている複雑な状況に頭を抱えつつも、この見張りたちが悪い人間でないと判断し、コミュニケーションを続けることにした。




