第百二十六話 何も知らなかった
ミナとの戦いは、亜希の笛の音と、セミーンの機転により終わりを告げた。
ほぼ全員が満身創痍の中、セミーンは自身がマンナから受け取った『呪い除けの札』を使い、動けなくなったメンバーたちを回復していく。
セミーンが淡々と救護を続ける中、亜希はミナとの対話が成立しなかったことを静かに悔やんでいた。
『……結局、ミナちゃんとは分かり合えなかった。でも仕方ない。私だって同じ立場だったら……』
同じ父を持ちながら、最後まで姉妹であることを意識できずに終わった二人。
つまるところ、亜希には信じあえる人がいて、ミナにはいなかった。
たったそれだけのこと、運と巡り合わせによるものだったのかもしれない。
『……ごめんなさい……』
最後まで、ミナを憎み切れないまま、亜希は静かに黙祷する。
そして、パーティーの面々が互いを労り合う言葉をかけ始めたころ、重苦しい感情を切り裂くように、亜希は無理やり顔を上げた。
プレッシャーと脅威がいったん去り、各人が落ち着きを取り戻したとき、一行は次の課題を目の当たりにする。
「ヨウイチ……どうしようか……」
ノアは、真っ黒に皮膚が変色した洋市の姿を見ながら、彼の今後について考えていた。
そこで亜希は、解決策のヒントを提示する。
「洋市さんが言っていた『フランクフルト』というのは、ええと……食べ物の一種なんです。お祭りなんかで売られているもので、細長くて丸い棒のような肉、腸詰肉なんかを串に刺して焼いて食べるんです。それを食べたいって言ってるから、食べさせれば何かが変わるのかも……」
亜希の詳細な説明に、ガッタがバツの悪そうな顔をして正直な反応を示す。
「まあ……その、旨そうではあるけど、それを食べたいってだけで暴れてたのか?」
トゥイが自身の推測を述べる。
「魔王が幻覚を見せていたとするなら、おそらく『トリガー』の一つだろうね。フランクフルトっていうものを食べさせることが、ヨウイチくんの回復につながるのかも……」
ここで亜希がパーティーに協力を申し出る。
「そうだと思います……それで、皆さんにお願いがあるんです」
ダンジョン最深層、ラウンジのホールを模したその空間の端には、現在はガールズバー『Cheers!』として運営されているスペースがあった。
ミナが話していた通り調理場も存在し、冷蔵庫・冷凍庫もほぼ同じ場所に置かれている。
亜希は自身の推測を話す。
「普段、私が働いている場所と同じような構造なら、ここにある大きな箱・冷凍庫に、フランクフルトが凍った状態で保管されているはずなんです」
ただちに意味を把握するのは難しい面々。
しかし、宿屋の娘として働いていたことがあるマンナは、食品提供用の保管庫的なものだといち早く理解して亜希に確認する。
「要するに、アキちゃんはフランクフルトがどういうものか知っていて、調理もできるっていうことなのね?」
亜希は素早く頷く。
「はい。ただ、ここを開けてしまったとき、空間がどうなるのか、新しい敵が出てくるのかが不安で。もちろん、フランクフルトが都合よく置かれているとも限りません」
アメリカンダイナーを意識しているCheers! であれば、フランクフルトもアメリカンドッグも置いてあるが、ミナがラウンジをやっていた頃はどうだったか分からない。
もし、洋市がフランクフルトを求めていることそのものが”罠”だった場合、パーティーに予期せぬ災厄が降りかかるおそれもある。
話を聞いていたバルカスは、周囲の不安をよそに、力強いトーンの声で方針を述べる。
「とりあえず開けてみればいい。良い材料があるんだったら、それに賭けるべきだ」
バルカスの方針を聞いたトゥイは、どこからか花の種のような小さい実を取り出し、短い詠唱の後で冷凍庫に貼り付けた。
しかし、特段変化は見られない。
「罠の可能性はないよ。開けたからといって、何か特別なことが起こるリスクはない。あの子がどうしてここまで再現しようとしたのかは分からないけど、アキちゃんの国ではそんなに重要な食べ物なのかい?」
亜希は戸惑いを隠せず、目を大きくしてトゥイに回答する。
「……うーん、好きな人は好きだし、最近ではコンビニでも売られてますけど、食べられなくて暴れるほどの美味しさかというと……」
コンビニ、が何なのか気になるトゥイだったが、話の腰を折らないよう亜希の発言を汲み取る。
「要するに、宗教的要素や希少品かどうかを知りたかっただけなんだ。ありがとう。んじゃ、開けてみよっか」
トゥイは亜希の前に立ち、冷凍庫の扉を開けた。
果たして、特段の環境の変化が起きることもなく、庫内には様々な冷凍食品のストックが残っていた。
「アキちゃん、調べてみて」
なぜこのようなことが異世界で成立するのか、その不思議を無視して、亜希はフランクフルトのパッケージを探す。
すると、さらに不思議なことに、封が開いたフランクフルトの袋があった。
『……これって、職場の環境をそのままワープさせた? それともコピーした? ミナちゃん、こだわって作った空間だって言ってたけど、実は料理とか好きだったのかな』
亜希は、冷気が漂う冷凍庫の中に手を入れながら、かつて同じ職場で働いていた頃のミナの様子を思い出していた。
当時のミナは、ジャージ姿で接客しつつも、バックヤードの作業は率先してこなしていた記憶がある。
ドリンク作りの手際もよく、フードの盛り付け、料理のサポート担当を任される場面も多かったように思う。
『ミナちゃん……バックヤードで仕事してる方が楽しかったのかな……』
冷凍庫の棚に入っていたのは、封の開いたフランクフルトの袋だけではなかった。
ハンバーガー用の厚切りパティ。
フライドポテト。
オニオンリング。
『裏メニュー用デミソース』と書かれたファスナー付のポリ袋。
これら業務用の食材は、几帳面に整理されて並んでいた。
よくよく考えると、Cheers! で冷凍庫や冷蔵庫がいつも整理整頓されていたのは、誰のおかげだったのだろうか、と亜希は改めて思う。
きっとミナだったのだ。
そう亜希は確信した。
自身の発言通り、ミナはこのラウンジの調理スペースに並々ならぬ思い入れがあった。
彼女が小さい頃暮らしていた家は、アメリカのカントリー調で統一されており、家には巨大なオーブンや冷蔵庫もあった。
父と母がまだ関係を保っていた頃、ハンバーグ作りを手伝ったり、レモネードを飲んだりすることも多かったのである。
『ミナちゃんにとって、ここはただの調理場じゃなかったんだ。きっと……』
辛い人生を歩んできたミナにとって、ようやく自分の城となる場所を手に入れたのも束の間、お気に入りの空間は別のオーナーに奪われてしまった。
ミナが亜希やCheers! を憎悪していたその根底には、父親の問題だけでなく、自身の居場所をことごとく奪われたという絶望感もあったに違いなかった。
『私……何も知らないまま……だったね……』
亜希は、封の開いたフランクフルトの袋を手に取った後、どこかやるせなさを感じながら、冷たい銀色の扉をそっと撫で、扉を閉めた。
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