第百十九話 アンタが気に食わない理由
洋市たちが下りている階段は、踊り場もなく一直線に下階へと繋がっている。
永遠に続くようなコンクリートの天井と壁に囲まれながら、一行はゆっくりと進む。
『……これ、どこまで続いてるんだろう?』
ダンジョンという環境に馴染みがなく、かつ遺跡めぐりなどの趣味もない亜希にとって、ただ階段を下りるだけの状況は退屈なものだった。
一方、洋市はどこか既視感のある風景に、心が少しざわついていた。
『何だろう、この階段、どこかで下りたような気が……』
体感で数分。
階段を下りるだけなら十分長いと感じる時間を経て、一行はおそらく最下層へとたどり着いた。
彼らが『ここが最下層だ』と確信したのは、周囲に漂う怖気や殺意といったものが、一段と色濃くなったからであった。
突如、暗い部屋にパッと電気が点いて明かりが戻ると、洋市と亜希は驚きを隠さずにはいられなかった。
「……ここは……『Cheers!』なのか?」
「……お店が広くなってる……『Cheers!』の前に入ってたお店?」
二人、そしてパーティーの眼前に現れたのは、いわゆる『ラウンジ』と呼ばれる社交的な雰囲気の店だった。
全体的にシックなイメージのインテリアで統一され、ソファも高級感が漂うが、自分たちがよく知る店・Cheers!の内装に似た空間も存在している。
ここで洋市は、ここまで下りてきた階段が、かつて翔を探すときに使った非常階段にそっくりだったことを思い出した。
亜希は、自分が働く前、Cheers!が入っている階はワンフロアがラウンジだったことを思い出した。
確か理由があって潰れたはずだが、詳細が思い出せず、亜希が頭の中の引き出しをひっくり返そうとしたところ──。
「いらっしゃいませ」
その声とともに、心臓が止まるほどの殺気をぶつけられ、 思わず声の聞こえる方へと目を向ける洋市と亜希。
そこには、タイトなワンピースに身を包んだミナが、大人びた姿に狂気を孕ませて立っていた。
『ミナちゃん……ひょっとしてここで働いてた……?』
亜希は自分の考えをミナに確認したかったが、声を発して再度黒鞭で叩かれないよう黙って様子を見ていた。
代わりに、洋市がこの空間を最下層に作り上げた理由について、自分の推測をミナに確認する。
「……このお店は、あなたが働いていた……いや、経営していたお店ですね?」
「ああ、分かっちゃった? さすが勘がいいね、洋市さん」
ミナはその赫い瞳で洋市を真っすぐに見つめながら、妖艶に笑い過去を話す。
「そこのサル頭は知ってると思うけど、あのガールズバーができる前、Cheers!が入ってるビルの四階はワンホール全部ラウンジだったんだよ」
ミナはそう言った後、ラウンジの広さを強調するように、両手を広げながらくるりと回る。
「ベラドンナグループって知ってる? ニュークラブとかラウンジ、キャバクラなんか手広く経営してるトコなんだけどさ、この店は系列店。で、アタシ実はチーママやってたんだよね」
若くして役職に就き、実力でのし上がっていた矢先、新型コロナウイルスの影響でお店に客が来なくなったという。
ミナはわざとらしくため息をつき、朝や昼などにラウンジを開放したり、軽食を出したりしてしのいでいたと話す。
「まー激務だったよ。人少ない中で、朝っぱらから呑んでる客を相手するんだから。無駄に広いから掃除も面倒だし。それで店長が一部スペースを売ったんだよね」
そのスペースにできたのが Cheers!だとミナは語る。
「一応、会社的には利益出てたらしいんだけどさ。アタシとしてはあんまり面白くないわけ。軽食提供スペース提案して、業者に掛け合って一通り準備して、料理とか出せるようにしたのアタシだからね?」
ミナにとってさらに悪いことに、Cheers!のコンセプトである「チアガール姿(ジャージ姿)」で接客するスタイルは、人口三十万人前後・地方都市の飲み屋街では新鮮に映る。
「Talkerみたいなアプリ戦略も上手く使って、インバウンドもそうだけど、アフターコロナの時期からお客さんを集めてたみたいね」
ミナにとって今後の運命を決定づけたのは、亜希が入店した頃だった。
「店でアキは一番若かった。入店時点で二十一かそこらだったのかな? 童顔だから十代に見えるから余計に人気を集めてた。そうでしょ?アキ」
『……私だけが人気の原因じゃないよ……』
急に話を振られた亜希は反論を頭に浮かべるが、何かを言えばまた鞭でぶたれるのではないかと恐怖に震え、何も言えなかった。
「アンタTalkerで少しバズった後、確か『須田宵呑みWeb』のインタビューかなんか受けてたでしょ。そっからCheers! は一線を超えて人気が出たとアタシは読んでたよ」
結局、ミナが働いていたラウンジは撤退を余儀なくされ、ミナはそのタイミングで養父が警察のお世話になり職を失ったという。
その話をしているとき、ミナの目はどこか怪しく輝いていた。
「でもさ、さすがに当時はアタシも、入ったばかりの新人が戦力になってるなんて思ってなかった。だから顔、っていうか身体変えて、素知らぬふりしてCheers! に入店したんだ」
まー驚いたよね、と静かに言葉を吐きながら、段々と声のトーンのボルテージが上がっていく。
「なぁアキ、お前さ、ただ笑ってるだけだったよな? 人の良さそうな笑顔だけだったよな? 色気のかけらもねえし話術も磨いてねえし。それだけであんなにちやほやされてるのなんで?」
急激にトーンが激情を帯び、その場にいたパーティー全員が強いプレッシャーに襲われる。
「アタシさ、ジャージで働いてバックヤードで、ずっとお前のこと観察してたよ。まあ言ってくれたよね」
ミナの背中から、黒鞭がまるで九尾の尾のように膨れ上がり、ヒュンヒュンと空気を刻み始める。
「『前のラウンジのお客さんも来てくれるんですけど、ここは”肩がこらない”からいい、って言ってくれるんです。私、接客なんて初めてなんですけどね』だって?」
黒い稲妻のようなオーラがミナの周囲を覆い、バチバチと音を立て、その音も次第に大きくなっていく。
「テメェはよ、人の親も、笑顔も、幸せも!! 全部無自覚に奪っていく!! アタシが死に物狂いで生き延びて手に入れたものを、無邪気にあっさり手に入れていく!! それがアタシはとにかく気に食わねぇんだよ!!!」
亜希に向けられる真っすぐな憎悪と殺意に、亜希は何も言えず口をパクパクと開けながら、目に涙を溜めている。
アサンの水源メンバーは、ミナの強烈な邪気に当てられてしまい、次の一句が継げない。
バルカス、トゥイは、詳しくは理解できない異世界の出来事とは知りつつも、ミナの悪運を呪うように顔をしかめる。
そんな中、洋市は無意識に亜希の盾になりながら、ミナの次の一手に備える。
ミナはそんな洋市に、ぽつりと質問を投げかけた。
「洋市さんはどう思う? 」
「……」
「別にいいよ。好きなように感想言って」
洋市は、これまで自分が生きてきた人生の経験をもとに、自分でも驚くほど冷静に素直な感想を述べた。
「ミナさん、あなたは人生の捉え方を根本的に間違っていると私は思います」
空気がさらに緊迫する。
それでもなお、洋市は続ける。
「あなたの生き方に私がどうこう言えることはありません。100%同じ立場で考えることは不可能ですし、性別の違いもあるでしょう」
洋市の後ろにいる亜希は、洋市の次の言葉がミナを傷つけないよう、思わず両手を祈るように組む。
「しかし、私は他の誰かになろうとは思わない」
人の気も知らないで、という態度を前面に出すミナ。
洋市は、あえてその憤怒の表情を無視し、過去に働いていた不動産会社での激務と報われない日々を思い出しながら語る。
「朝七時出勤、午後十一時退社。周囲は役職者の自分に仕事を振って定時で帰る。社長に言えば『能力が足りないから』とどやされ、部下からは指示を出せばパワハラだとからかわれる。かつての私はそんなでしたよ」
さすがのミナも「おぅ……」と声が漏れる。
「それでも、私は社長のようになりたいとは思わなかった。社長になれば、なった分だけ辛いことがあると分かっていたから。だから私はフリーランスになったんです」
「「………」」
洋市の独白を黙って聞いている面々。
「当時は散々な人生だと運命を呪いましたが、あの出来事がなければ今はありません……もっとも、ゴブリンになる人生など想像だにしませんでしたが」
洋市は自分の感情を乗せてさらに続ける。
「あなたの苦しみは、基本的に『亜希さん』が存在する限り続くでしょう。それは致し方ありません。でも、意図的に『忘れる』ことくらいはできたんじゃないですか?」
ミナは歯ぎしりの音を隠さず、その勢いは長くて鋭い爪を噛み切るようだった。
そして、とうとう洋市は決定打となる一言を放つ。
「あなたに亜希さんのことを思い返す瞬間がある限り、あなたは永遠に幸せになれません」
自らに飛んでくる殺気に怯え、亜希は洋市の腕を掴んで『もういいから』と訴える。
しかし、洋市の口は止まらない。
「あなたはきっと、亜希さんの身体を手に入れても、やがてそのこと自体に憎しみを覚えるでしょう。あなた自身が幸せになる道を模索しなければ……」
洋市が言い終える前に、目の前に黒鞭が飛んできた!!
洋市はとっさに亜希を抱えて横に跳び退く!!
「よく分かったよ、洋市さん」
能面のような表情になったミナは、まっすぐに洋市を見つめる。
「アンタには、アタシの苦しみは永遠に分からないし、アタシが アキニ ナリタイ 理由モ ワカラナイ」
ミナの身体から発せられる黒いオーラ。
それはかつて洋市が教会で見た、花魁のような姿へとミナを変貌させる。
教会の時と違うのは、ミナの顔に黒い仮面が装着されたこと。
今の彼女には何の表情も見られず、呼吸音や感情の揺らぎらしきものも感じられない。
ボイスチェンジャーを通したような、無機質な声へと変わったミナの声。
「アンタタチ ゼンイン コロシテ シモベニ スル」
それは亜希に対する憎しみの咆哮なのか。
それとも、自らの運命に向けた狂気なのか。
黒鞭の奔流が、ミナ以外の全員に襲い掛かった!!
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