第百十六話 急な交渉
禍々しい殺気が漂う中、ミナは洋市に自分の半生を告白していた。
世間話のような軽いトーン、しかし、その内容は狂気と自己愛に満ちていた。
相棒を素材のように扱われ、心の中で何かがくすぶり始めた洋市だったが、頭は何とか冷静さを保とうとする。
『考え方はクソだが、現時点で戦闘に至るのは避けるべきだ……こっちはフルメンバーじゃない』
バルカス・トゥイという頼れる先人がいない中、全力投球でラスボスと当たるのは危険だと洋市は判断する。後ろに目を向けると、ノアに両肩を抱かれながら、亜希は遠目からも分かるように震えが止まらない様子だった。
『……交渉……できるか分からないが……』
クライアントに向けた誠実な態度を意識して、洋市はミナに語りかける。
「……ミナさん」
何か考えがまとまったような、洋市の凛とした顔を見て、ミナが興味を示す。
「なに?」
「あなたの過去が事実であるなら、あなたが亜希さんを憎む理由は、私もすべて、とは言いませんが理解できるつもりです」
すべてを理解できるわけではない、という謙虚な姿勢に、ミナは洋市への評価を少し改めた。その一方で、現代日本の闇を知らないガッタ、セミーン、マンナ、ノアの四名は苦悶の表情を浮かべる。
「続けて、いいよ」
嬉しそうな顔をするミナに促され、洋市は自身の立場を説明しつつ、交渉を持ちかける。
しかし、洋市のトーンは冷ややかだった。
「しかし、私はフリーランスとして、亜希さんの身辺警護の契約を結んでいます。護衛の任がある以上、ミナさんの希望をすべて受け付けることは難しい状況です」
ミナの眉がピクリと動く。
「……なんか材料あんの?」
洋市の行動や性格についてもある程度リサーチしているミナは、おそらく何らかの交渉があるものと推測し、興味本位でさらに話を促す。
洋市は、半分ブラフのつもりで交渉材料を出した。
「私が魔王によってこの姿になったことは……ミナさんもご存じでしょう? 私は人間に戻りたいと思っています。もし、ミナさんが今からでも魔王に反旗を翻してくれるなら、私は亜希さんの“護衛を止めても”いい」
『『!!!』』
突如自分の護衛を止めると言い出したパートナーに対し、亜希は困惑の色を隠せない。
その様子を見ていたノアは、これが洋市のアドリブなのか、それとも真意なのかを図りかねた。
『『『………!!』』』
一方、セミーン、ガッタ、マンナの三名は、洋市が『魔王の被害者』という体で大胆なブラフをミナにぶつけたものと理解した。
徐々に、洋市の発言が頭に浸透するにつれて、亜希はかつて自分たちが戦ったハイエナの魔物・翔の様子を思い出し、少しずつ発言の真意を少しだけ汲み取ることができた。
『ミナちゃんの力を、魔王の力を失わせようとしてるんだ、洋市さんは、きっと。……私が嫌いになったんじゃ……ないよね……』
希望的観測と、相棒が自分を裏切るわずかな可能性の間で揺らぎつつ、洋市の真意を推し量る亜希。もっとも、もはや冷徹な殺人鬼に近いミナにとって、その裏切りの発想は容易に看破される。
「ダメ。魔王サマに逆らったら、アタシの力は全部失われちゃう。洋市さんとは立場が違うの。裏切れないや」
逆に、今度はミナが提案する。
「じゃあこっちからも提案ね。もしアタシについて一緒になってくれたら、洋市さんが叶えられなかった欲望の全部、満たしてあげる。そこのサル頭じゃできないような……」
亜希との関係を誤解されていると考えた洋市は、即座にミナの提案と認識を否定する。
「私たちは恋人関係ではありません。また、その交渉は本筋から外れています。再検討をお願いできますでしょうか」
冷徹なトーンを崩さず、まるでビジネスチャットのように『交渉のテーブルについてくれ』と促す洋市。
さらに追加で、一般的な良識を持つ日本人からすれば、およそ考えにのぼらない禁断の提案を行う。
「私が知る限り、あなたの悪事は『あなたに害をなす人間』に限定されているものと理解しています。その想定で、こちら側としてはあなたの過去について完全に口を閉ざすことも、あなたの経歴を偽ることも理論上は可能です。普通の人間として生きる気はありませんか?」
嘘ではなかった。
洋市個人のレベルであれば、別にミナの過去についていっさい語らず、経歴も本人が言ったことを信じればよいだけ。つまりは、意図的に拡大解釈を匂わせる言い方をしているだけである。
ミナは、洋市が「話せばわかる」タイプの人間であると再評価するが、彼にさらに譲歩してもらうべく時間を作ることにした。
「……今のままじゃ交渉にならないね。今回は帰るわ。ダンジョンの一番下に来るまでもう少し悩んでて」
濃厚な殺意を醸し出していたミナの姿は、次第に黒い霧となって雲散し始めた。
そして玉手箱のような、望まぬ置き土産のように不穏な一言を残す。
「そうそう、一階にいるお仲間さん、死にかけてるから助けてあげたら?」
『!!!』
ミナが完全に姿を消した瞬間、洋市の脳内に自分の失敗によって倒れてしまった二人の姿が浮かぶ。
洋市はただちに亜希をおぶろうと、ノアに支えられている亜希のもとへ向かう。
しかし、そこに先ほどの発言を聞いていたノアが立ちふさがる。
「ヨウイチ、さっきの発言について説明して。でないとアキちゃんは渡せない」
すでに仕込み杖に何らかの魔力を秘めているらしく、場合によっては洋市と戦うことも辞さないという雰囲気を醸し出す。
ここまでの交渉内容を聞いて、ノアは人間種が個人的な欲望のために悪意と打算を巡らせていることに、かつて存在していたという貴族社会の魑魅魍魎を連想していた。
『ヨウイチたちの世界は、確か人間種しかいないはずなのに、ここまで自分の利害に敏感なの……?』
アルトヤ界には様々な種族が存在しており、それぞれの生活要件に応じて利害が発生するため、それを理由とした種族保存のための交渉・戦闘は今でもないわけではない。
しかし、人間種だけが暮らすという、生活要件がほぼ平等なはずの国で、これほどに自分を譲らず魔王の刺客にまでなった女子に対して一定の理解を示す洋市に、ノアは戦慄していた。
一刻も早くバルカスたちを助けるため、洋市が急いで説明を試みようとすると、亜希がスマホの翻訳機能を経由してノアに説明する。
「ノアさん、洋市さんがやろうとしていたのは交渉です」
亜希は洋市の意図を汲んだように早口で続ける。
「仮にあの発言の通り、私の護衛を止めてミナちゃんをこちら側に引き入れたとして、その力をそのまま利用できるなら強力な戦闘力になります。でもきっと、彼女は裏切った時点で戦えないか、力を失う可能性の方が高いんです」
ノアは眉間にしわを寄せ、その根拠を知ろうと質問する。
「……それってどういうこと?」
「冒険者ギルドで売り払った魔石は、魔王によって力を得て、魔物化した私の元カレが死んだ後で残ったものです。彼は魔王に従順でしたけど、ミナちゃんがもし洋市さんの交渉に乗っていたとしたら、その時点で力を失っていた可能性が高い」
「そう言える根拠は?」
亜希が言い淀むのを見た洋市が補足する。
「魔王から力を得た者には、魔王の声が聞こえるんです。そして、力を与えた者に対して何らかの指示を出すのです。力が不十分な場合は意思も奪います。それは亜希さんの元カレの様子を見て、私も亜希さんも把握しています」
もっとも、私の場合は馬鹿にするような声ばかりですが、と悪態をつく。
「その力が失われるタイミングを洋市さんは突くつもりだったんです。そうですよね? 洋市さん」
洋市は、亜希の理解力に舌を巻き、その仮説を肯定する。
「その通りです……もっとも、それはミナさんに看破されてしまいましたが。他の交渉材料を出せれば、少なくともこの場での戦闘は避けられると判断……」
「軽いよ、ヨウイチ」
ノアは、パーティーメンバーという存在が持つ意味の重さについて、洋市の発言の軽さを厳しいトーンで指摘した。
「二人の間で事前に取り決めがない中で、安易に敵に交渉を持ちかけるべきじゃないと私は思う。だって、そんな話の後で仲間として背中を預けられると思う?」
後から洋市たちの様子を伺いにきていたマンナが、洋市をフォローするように言い争いを窘める。
「ノア、落ち着いて。感情じゃなくて最善でしょ?」
かつてセミーンがノアにかけた言葉をマンナは拝借し、ノアを冷静にさせようと穏やかに続ける。
「あの場面で交渉を持ちかけている時点でブラフよ。完全な戦闘になったとき、フルメンバーで戦えない方が痛いのはノアも分かるでしょ?だから時間を稼いで、何でか分からないけど洋市さんに向けられた好意を利用した、ってこと! もっとも、私はそこが気になるけど、今はそれどころじゃないわ!」
セミーンが遠くから大声で叫ぶ。
「おい! いつまで話し込んでんだ! 急いで下へ行くぞ!」
セミーンは、これまでの洋市の佇まいや誠実さから、魔王側についているならもっと早くアクションを起こすだろうと考えていた。
ガッタもまた、件の地雷系女子と洋市の臭いを嗅ぎ比べており、そこに不信の臭いはないことを確認していた。
一方、ノアは生来の優しさから、亜希を見捨てるような言い回しにまったく納得できていなかったが、一発自分の頬にビンタを食らわし意識を変える。
「ごめん、分かった、行こう! ヨウイチ、話は戦いが終わってから詳しく聞かせて!」
再び、洋市はいつものように亜希をおぶり、一行は急ピッチで一階へと続く階段を駆け下りた。
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