第百十五話 過去と願望
洋市たちは、屋上を目指すという方針が誤算だったことを、唐突なミナの登場によって把握した。念のため洋市は周囲を見渡すが、屋上の広いスペースには、次の階層へ向かうための扉もなければワープゾーンもない。
『クソッ……余計なことをバルカスさんたちに伝えてしまった……プロ失格だ!』
洋市は、フリーランスとして仕事を進める際の原則『確実な裏付けをもとに判断する』を失念した。しかし、今はこの状況を打開するのが先と、後悔を心の中の引き出しにしまう。
「考え方は悪くなかったんじゃない? 洋市さん。でもここ、異世界なんだよね、キャハハハ!!」
ミナは、洋市が現代日本の建築物の構造を鑑み、屋上へ行く案を出した様子を視ていた。そして、自分の想定通りに屋上を駆け上がってきた洋市たちに対して、気分良くその選択肢がハズレであったことを伝えた。
亜希もまた、唐突な会いたい人物の登場に対する驚愕と、ここまで理不尽に自分たちを追い詰めたことへの怒りが顔に出る。大きく開いた瞳孔にミナの異形を映し、勇気を出して声を荒げる。
「ミナちゃん! どういうことなの!? 事情を教えて!!」
亜希が声を発するとほぼ同時。
ミナの影から放たれた黒い鞭が亜希の身体に激しくぶつかる!
「ぐっ……!!」
声を発することもできず、亜希は屋上の端まで一気に吹き飛ばされた。
「アキちゃん!!」
何の戦闘訓練も受けていない、一般的な人間が受ける攻撃としては致命的な強度を確信し、ノアはただちに亜希の回復へと向かう。
自身の攻撃によって吹き飛ばされた亜希に対して、ミナは赫い瞳に力を籠め、忌々しそうに顔をしかめる。
「っせーんだよ、バカが!! 今オメーと話してなかったろ!!」
あからさまに亜希への憎しみをぶつけるミナ。
「理由なんか説明しなくても分かんだろサル頭! アンタがいなけりゃアタシは普通にセレブやってたんだよ!! 反省してんならさっさと死体になってりゃ良かったんだよ!!」
洋市たちにはひどく自己本位な理由に聞こえるが、不倫のエピソードが事実であるならば、父親を奪った亜希に対してミナが憎しみを抱くのは当然のようにも思えた。
激昂するミナの様子を見て、現時点で交渉の余地はなさそうだと洋市は判断するが、一方で自身の質問には答えてくれるかもしれないという期待も抱く。
「……いくつか質問をしても?」
「いいよ」
「ダンジョンで見せてもらったあなたの過去は、どこまでが本当で、どこからが嘘なんですか?」
「生まれについてはホントだよ。全部ね。洋市さんたちに見せた通りで、アタシの父親とあの女の父親は同一人物。DNA鑑定の結果がホントかどうかは知らないけどね」
「……では、いわゆる“少女M”の事件も?」
「あれは魔王サマの演出もあるけどさ、現場はトイレじゃないってのはホント。逃げたヤツはいたかもしれないけどね。だから話がそう広がったんじゃない?」
あっけらかんと答えるミナの様子に、洋市は核心に迫る質問に踏み込んだ。
「……それで、あなたはこれからどうなりたいんですか?」
ミナは、洋市が頭の片隅ですら予想だにしていない答えをさらっと述べた。
「アキになるの」
『『『『!!?』』』』
ミナの回答を聞いた洋市、ガッタ、セミーン、マンナは、その言葉の異様さと狂気を嗅ぎ取った。
アキになるとは。
ミナは、亜希になり代わる術を持っているということか。
そのために亜希を狙っているということか。
洋市の思考が加速する。
「……亜希さんが憎いんじゃ……ないんですか?」
ミナはただちに答える。
「憎いよ。でも心根だけ。身体は別にそのままでも不具合はないから」
ミナの言っている意味が今一つ分からず、洋市は少しニュアンスを変えて質問する。
「亜希さんになり切れる自信があるんですか?」
「まあね。この前戦ったときアタシの唇奪った洋市さんには、特別に教えてあげる」
ミナはニタリと笑顔を見せ、これまでの自分の歴史を滔々と語り始めた。
「アタシの母親は男狂いでね。離婚してからも家を空けることが多くて、飯も満足に食えない日もあった。このままここにいたら死ぬと思ったから、図書室にあるパソコンで色々調べて、どうすれば後腐れなく抜け出せるか考えたんだ」
いざ家を出ると決めたとき、世間の同情を買いつつ過ごしやすい環境に逃げるには、自分が「可哀想で危険な人物」であることを演出するのが子供心に効果的だとミナは判断した。
「なんかさ、同級生を刃物で切り付けて殺した事件が昔あったんだって。それを真似ることにしたんだよね」
ミナはあえて当時いじめられていた子を助け、いじめっ子たちの新しいターゲットになった。
ある程度エスカレートしたところで、いじめを理由にいじめっ子の一人をナイフで刺せば、情状酌量され生き延びつつ遠くへ避難できると考えたのだった。
「小学生の頃はさ、一応セイギカンみたいなもんはあったんだよ。悪い奴なら自分の都合よく利用して殺していいっていう」
彼女にとって誤算だったのは、突き飛ばされた相手を電工ナイフで刺したとき。
初めてのことで完全に記憶が飛び、複数人を刺していたことは後で知った。
「アンケート? 質問票? よく分かんないけど色々聞かれて、あとは陸の孤島みたいな学校でずっと勉強してた」
卒業間近、事件の全容を聞いて、自分はどうやら“やりすぎた”と自覚した。
そして、おそらくもう、普通の生活はできないであろうことも。
「ハローワークのおっさんが、中卒でも働ける工場を紹介してくれたんだけどさ、まあマトモな奴はいないんだよね」
学校を卒業した頃、ミナは一人だった。
母親はどこへ行ったのかも分からないし、親族からの便りもない。
就労支援を受け、学校の近所にある工場で働くことになった。
最初は給料がもらえることにやりがいを感じたが、周囲からの視線は険しいものであり、一方で自分が殺されたくないからと皆がよそよそしい態度をとる。
自分が自分であるがゆえに否定される。
その現実はミナの心に深い影を落としていた。
「そんな時期に、あのバカ工場長と深い仲になっちゃった」
ある給料日前の日。
ミナは工場長に「お金に困っていないか」と聞かれ、そこで頷いた後、工場長室のソファに寝かされた。
自分というものに過度の期待をしていなかったミナだったが、その日初めて工場長と肉体関係を結ぶことで、状況は一変した。欲しいものを買ってもらったり、旅行に連れて行ってもらったりと、自分が諦めていた人生の楽しみを謳歌した。
『自分の容姿は武器になる』
そう判断したミナは、工場長から“援助”してもらったお金で夜逃げし首都圏に飛んだ。
彼と協力して彼の娘を殺害し、その娘になりすまして──。
ミナから聞いた衝撃の過去に、絶句せざるを得ない洋市。
一方で、どのような手口でそこまで辿り着いたのか、好奇心も隠せない。
「……事実は小説よりも奇なり……というが……」
自問とも質問ともとれる発言に、ミナは上機嫌で答えた。
「運が良かったんだよね。あの工場長、自分の娘を恋人にしたいってクソな夢があってさ。で、アタシは背格好も顔も似てたからうってつけだったの。だから『もういっそのことアタシを娘にしてよ?』って囁いたら、あのバカ、娘をミキサーにかけてバラバラにした。別に養子とかでよかったのに、言うこと聞かない子だからって。イカれてるよね」
あの子も養子だったらしいけどね、とつぶやき、ミナはまるで他人事のように笑う。
洋市はミナの生きてきた環境に戦慄するとともに、環境さえ良かったらとんでもない傑物になっていただろうと想像する。
「……その後は?」
恐る恐る洋市が質問すると、ミナは何でもないことのように答える。
「名前が変わっただけだよ。昔の名前・美波から、今の名前・皆奈にね。美波のことは誰も知らないし、知ろうとも思わないでしょ。実際、アタシ皆奈として生きた10年間くらい? 誰にも昔のこと聞かれてないから」
一瞬、ミナが寂しい表情を見せたように洋市は思うが、すぐにその認識を改める発言をミナはした。
「で、夜の街で普通にに仕事してて、でも結局須田に戻って来たの。そんなタイミングであのバカが不正かなんかして警察のお世話になったわけ。そこでミキサーの件とか色々と余罪が出ちゃったんだ。アタシの偽装がバレたらまずいなって思ってたとき、魔王サマに出会ったんだよ」
「……どうやって?」
洋市が当然の質問をする。
「洋市さんと似たようなもんじゃない? マンホールの中で逃げ回ってて変なモヤモヤの中に入ったら、なんか自分の身体が燃えるような夢を見て、目が覚めたら会話できるようになってた」
魔王から、ミナは現代日本では得られない、多くのことを教わったという。
魔力によって容姿を変化させる方法や、遺体を骨にしたり自分の僕にしたりする方法も。
やがて、別人の身体に乗り移り、自分の人格を反映させることもできるようになった。
「今の身体もガタがきてるから、今度は『アタシの幸せを奪った』アキになろう、って思ったの。洋市さんも責任取って一緒にいてね? アタシの唇奪ったんだから。アハハハハ!!」
淡々と狂気的な考えと行動を告白しつつ、自分の相棒を素材扱いするミナに、洋市は心の中にある何かに火が点いたのを感じた。
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