第百十二話 下町と事件現場
ミナの唐突な“昔語り”とともに始まった第四層の戦いは、当事者の一人である亜希の心に暗い影を落としていた。信頼していた優しい父親の昔の顔は、決して亜希にとっても看過できるものではなかった。
『不倫の末に……生まれたのが……私で……捨てられたのが……ミナ……ちゃん……で……』
亜希のパーソナリティが揺らぐ中、アサンの水源メンバーも、トゥイも、バルカスも、どう言葉をかけるべきか分からない。夫婦間の不和から破局に至る例は、アルトヤ界においても決して少なくないが、本件は異世界をまたいだ現象のため非常に複雑に見えていた。
洋市は、亜希の精神状態が不安定であることを把握した上で、あえて確信に迫る言葉を選ぶ。
「亜希さん、あなた自身は悪いことをしたのですか?」
「……え?」
突然の質問に戸惑う亜希に、洋市は自分の疑問をストレートにぶつける。
「冷静に考えてください。ミナさんが不幸になったのは、本当にあなたのせいですか?」
「……分かりません」
もし自分という存在が不倫の末に産み落とされたのだとすれば、両親の行為は倫理的に許されるものではないと亜希は感じていた。しかし、その責任を亜希に問われても、亜希としてはどうしようもないのが現実であった。
「私は、さっきの話が事実だったとしても、亜希さんに非はないと考えます。なぜなら、亜希さんが生まれる前の話であり、亜希さん自身ではどうしようもないことだからです」
「……でも、ミナちゃんは、私のせいで……」
「言ったでしょう? それもまたミナさんの思う壺なんです」
洋市は、おそらく確度の高い推測だと考えた上で、ミナの策略を説明する。
「おそらくミナさんは、亜希さんの性格を何らかの理由で熟知しています。同時に彼女は、人の苦しみに心寄せられる優しさを利用できる性格をしているのです。いわゆる“ソシオパス”というやつです」
「ソシオパス……?」
聞き覚えのある言葉に、亜希のネガティブな思考が止まる。
「後天的な要因から、感情的かつ衝動的な行動をとりやすく、他者の気持ちを利用するために平気で嘘をつける、そういう人のことです。彼女自身の過去はおそらく事実でしょう。しかし、自身の過去に囚われ、それゆえに亜希さんへの憎しみを募らせたのだと思います」
洋市は、あくまでも冷徹に、ミナという人間の性格を分析する。ミナに対する優しさを心に残す亜希は、そんな洋市に反論を試みようとするが、一方で現在の状況を混乱させるだけだと思い直す。
「……洋市さんの推理が正しいかどうか、私には判断できません。でも……それはきっと、本人に聞かないと分からないですよね……」
ようやく自身の発言の意図を理解してもらえた、と判断した洋市は、先へ進む覚悟があるかどうか、改めて亜希に問う。
「亜希さん、おそらくここから先、ミナさんは自身の過去をモチーフにしたトラップを幾重にも重ねています。あるいはミナさんではなく、魔王の所業かもしれません。それでも先へ進む気力は残っていますか?」
亜希は、洋市の質問を咀嚼するように、ゆっくりと瞳を左右に動かす。
その様子を見て洋市が続ける。
「もし亜希さんが帰りたいなら、ここから先は私と他の皆さんで行きます。ワープして自宅で……」
「ダメです。きっと私、さらわれちゃいますよ。洋市さんと一緒に行きます」
洋市が提案を言い終える前に、亜希は開き直ったような笑顔を見せ、なけなしの勇気を言葉にした。
「気力は……正直……そんなにないです……。でも、私が今もとの世界に帰っても、事態はまったく変わらないし、ミナちゃんに会うこともできない。だから、また……頼っても……いいですか?」
洋市は、亜希自身の本音に触れ、精一杯のエールを送る。
「亜希さんが望むなら、私の力を役立ててください。そのために私はいます」
洋市の真っ直ぐな言葉で、ようやく亜希の目に再び光が灯った。
「……ご心配をおかけしてすみません。結局のところ……私が先に進まないと、答えは分からない。だから、行きます。洋市さんも一緒にいてくれるなら!」
最後の一言から、亜希に少しだけしたたかさが戻ったと判断した洋市は、軽く頷いてから心配そうに距離を置くバルカスのもとへ向かい、会話の顛末を報告する。
「亜希さんは大丈夫です。先へ進む気力があると判断します。引き続き案内をしてもいいですか?」
洋市の質問を聞いたバルカスは、今後の方針をパーティーメンバー全員に伝える。
「お前ら、聞いた通りだ。このまま進むぞ。隊列は引き続き先頭が俺、最後尾がセミーンだ。あとは前後左右でアキちゃんを守りながら進む、いいな!?」
方針を聞いた全員が頷いたり、声を出したりして肯定の意を示す。
それを確認した後、洋市は須田市・須往町の案内を再開した。
パーティーは靄を避けながら、おそらく別の町に続く人のいない道路を進み続ける。
「それにしても、実によく再現されていますね。あのクリーニング屋は随分昔に潰れたはずですが」
魔王という規格外の存在が、異世界の島国・日本にある都市のディテールを再現していることに、洋市は驚きを隠せない。
「ホントですね……ミナちゃんは須往町出身だったんだ。今さらですけど知らなかった」
須往町は、人口30万人以上の須田市の中でも、どちらかというと下町の雰囲気を残している。
個人商店が軒を連ねる通りもあり、令和の時代でも元気に営業している店舗がいくつかある。
「こーれがヨウイチやアキちゃんの住んでいるところかー、文字は全然分かんないけど、ご飯が食べられるお店多いねー」
周囲を警戒しつつも、見たことがない風景に気を取られ、つい感想が口をつくノア。
「整然とした通りや頑丈そうな建物が多いな。高度な建築技術があるんだろう」
建物の構造を見て、アルトヤ界・レゾルグ王国に劣らない堅牢度を確信するセミーン。
「これだけ人の暮らしが見える空間なのに、全然臭いがしねえな……」
無機質な空間の中で、臭いを感じないことに怖気を覚えながら警戒を続けるガッタ。
アサンの水源メンバーが各々の感想を抱く中、マンナは淡々と周囲を警戒し、敵襲に備えている。
『町自体が魔物になるリスクはない……か? どうにも生命の気配が感じられないわね、この空間』
体感で二十分ほど歩き続けたころ、バルカスの目に丘の上にある大きな建物が留まる。
「ヨウイチ、ありゃ何だ?」
洋市は端的に答える。
「学校です。おそらく小学校」
須田市須往町第二小学校。
洋市が知る限り、全校生徒は300人ほどの学校で、ドッジボールの強豪チームがあることで知られる。
須田市出身でない洋市が学校の存在を知っているのは、Web上でドッジボールの知識を得たことだけでなく、ある“事件”の舞台として全国的に有名になったからだ。
「洋市さん……ここって……!!」
亜希は校舎を見て少しした後、かつてテレビで流れた残酷なニュースを思い出す。
「ええ……『少女M』の事件があった場所ですね」
次の戦いの舞台は、おそらく、ここ。
洋市と亜希はそう直感するとともに、鳥肌が立つのを抑えることができなかった。
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