第百十一話 修羅場
ガラスの破片に気を付けて、広間の奥へと向かった一行は、黒岩で作られたと思われる階段を見つけた。次の階層への入口は、モンスターの姿と違い、素っ気ないものだった。
闘志を燃やしながらも、どこか不気味な下層への階段を見ると、亜希の心も少し曇る。
『さっきは怒ったけど、でも、本当に何か理由があるなら、ちゃんと話さないと……』
亜希の不安が顔に出ているのを見て、洋市が声をかける。
「先ほどの私の意見は、あくまでもいち意見として聞いてください。本当の答えは彼女にしか分かりません。今は先へ進みましょう」
「……はい」
深呼吸をして脈拍を整えながら、洋市と亜希はパーティーの配置につき、第四層へと降りて行った。
第四層は、パーティー全員の想像を裏切る構造になっていた。
しかし、洋市と亜希の二名にとっては、かつて見たことがある風景。
二十数年前の日本・須田市の様相であった。
『……これは……昔の須田市か……?』
『……見覚えがあるような、ないような……どこだろう……?』
言葉が出ない洋市と亜希の様子を見て、アサンの水源メンバーやバルカス、トゥイは、ここに『自分たちの世界にはない何か』があるのだと推測する。
「ヨウイチさん、アキちゃん、ひょっとしてここは……」
マンナが自分の推測の確証を得るため、洋市たちに質問する。
「はい……。ここはおそらく、私たちが住んでいる都市の……昔の姿です」
声が上手く出ない亜希に代わり、洋市が自分の見立てを言葉にする。
「ヨウイチ、どこへ向かうべきだと思う?」
ダンジョンとはいえ、異世界を模した空間であるならば異世界の住人に聞くのが筋だろうと、バルカスは洋市に質問した。
「生活道路がまっすぐ伸びていて、この並びだと……須往町の辺りだと思うので、とりあえず道は続いています。このまま真っすぐ行きましょうか」
洋市の推測をもとに、一行は緊張感をキープしたまま、前方に広がる道路を歩いていく。車も、人もいない道路を異世界の冒険者たちと一緒に歩くのは、なかなかシュールな光景だと洋市は思った。
ある程度進むと、まるで靄がかかったように、先へと進めない箇所が出てきた。
洋市が進むべき方向を他メンバーにガイダンスする。
「市街中心地には行けないようですね。今はこのまま、道が続いている左に曲がりましょう」
その後も、靄を避けて道を進んでいくと、次第に細い道を過ぎて一軒家に辿り着く。建物の造りは、まるでカントリーハウスの外観で、庭には車が二台停められるほどのスペースがある。
窓を見ると、誰かが言い争っているような音が聞こえる。
洋市はパーティーの案内も忘れて、リビングに続く窓を覗き込んだ。
亜希も万一に備えて洋市についていく。
突如、窓が割れ、花瓶が亜希の目に飛び込んできた!
「危ない!!」
洋市はとっさに亜希を抱きかかえて横に飛び、花瓶が当たるのを防いだ。亜希は体勢を崩すとともに、自分の顔に怪我がないことを確認すると、花瓶が飛んできた方向へと目を向ける。
そこには、小さな女の子を後ろ手にかばいながら、うなだれた男とお腹を抱えた女に怒りをぶつける鬼女がいた。
「どういうつもり!? アンタ、妻と子供がいる身分で、甲斐性もないのに何てことやってんの!? 馬鹿野郎!!」
「だから……ちゃんと慰謝料は払うから……俺はもうお前とはやっていけない……」
「何勝手に決めてんの!? こっちの言い分は全く聞かないってこと!? そのブサイク孕ませたのはそっちの責任でしょ? 二人分責任取りなさいよ!」
窓から見える修羅場は、間違いなく現代日本で見られるような不倫のそれであり、まるでテレビドラマのような臨場感で続いていた。
「……お前はいつもそうだ……勝手に決めて、勝手に判断して、俺の意見なんか何にも聞かない! だから俺も自分の好きなように生きる!」
「アタシがいつ自分の好きに生きたっていうのさ! アンタの尻拭いばっかりじゃないか! パパがアンタに役職付けたのも、頼りないアンタに箔つけるためだろ!?」
「もともと俺は! 土木や建築の仕事なんて向いてない! これまで通り車屋の営業マンで十分楽しかったんだ!」
「それじゃ稼ぎが足りねえって言ってんだよ! どうすんだよこの子! アンタとアタシの子だろ!?」
女がヒステリックに男を責め立てる中、男は決定的な一言を放つ。
「……ミナは俺の子じゃないだろ……」
『『!!!』』
洋市と亜希は、突如出てきた地雷系女子の名前に衝撃を受けた。
これは、ミナの過去を模したダンジョンなのかと。
「俺な、お前に隠れて検査したんだよ、DNA検査……」
「……で?」
「俺の遺伝子は入っていないんだ、ミナには」
「……だから?」
「育てる気はもうない。お前の他の男と一緒に育ててくれ。俺はもう……」
「ふざけんじゃねえよ! 今まで家族面しておいて、それだけの理由でアタシとミナを捨てんのかよ!? 検査だけで分かんのかよ血の繋がりが!! アタシがアンタに貢いだ時間と金返せよ、馬鹿野郎!!」
いわゆる”托卵”と呼ばれる行為のリアルを見せつけられ、洋市は自身の好奇心を刺激される。
その一方で、亜希はお腹を抱えた女性の顔が、どこか自分に似ているような気がして目を凝らす。
『これって……ひょっとして……お父さんは……お母さんは……私は……』
考えたくない推論が、勝手に亜希の頭の中で思考を形作り、亜希は顔面蒼白になる。
「その女もアンタも、みんな殺して埋めてやる!!」
怒りに燃える鬼女は、一瞬でその姿を般若のようなモンスターへと変化させ、目の前の空間から包丁を取り出す。
「ダメェ!!」
亜希は瞬時に割れた窓に手を伸ばして鍵を外し、身重の女性を守ろうと飛び出した!!
「亜希さん!!」
「アキィ!!」
急展開に反応できなかった洋市とバルカスは、ともに亜希の名を叫んで窓の中へと入っていく。身体強化した洋市が数歩早く、亜希が身重の女性をかばう前に般若の包丁を蹴とばす!
亜希は完全に混乱していた。
ここがダンジョン内であることも忘れ、必死に母を守ろうと手を伸ばす。
「お母さん!! 逃げて! ここから逃げて!!」
しかし、身重の女性はその姿を見て泣くどころか、不気味に顔を歪ませていく。
「アキィ……アハハ……イッショニィ……クラ……ブッ!!」
女性の顔だったものは破裂し、そこには得体のしれない昆虫型のモンスターがいた。無防備な亜希を取り込もうと、胴体にある大きな口を開ける。
「う……あ……」
完全な罠だったことに気付く亜希だが、身体がまったく反応できない。
スローモーションの時間の中で、自分の手がモンスターに引き寄せられていくのを感じながら、左横から洋市がドロップキックで飛び込むのを見た。
「よ……洋市さん!!」
正気を取り戻した亜希は、洋市がモンスターを蹴とばしてくれたのだと理解した。改めて周囲を見渡すと、そこには般若の顔をした女、カマキリのような昆虫の怪獣、そして無表情の男性がいた。
「ミナちゃんは……」
般若の後ろにいるミナは、亜希に歪んだ笑みを見せた後、陽炎のように揺らいで消えた。
ここでようやく、亜希は自分が”ハメられた”のだと理解した。
また、おぼろげながら『ミナが自分に向ける憎しみの正体』にも勘付いた。
「私がいなければ……ミナちゃんは……」
ミナが亜希の存在を否定する理由。
それはまさに、自分が実の父から存在を否定されたことが理由なのだとしたら。
憎むのも仕方ない、と腑に落ちる中、無慈悲に亜希の首に包丁が迫る。
いつの間にかスキル【隠形】で姿を隠していた洋市が、鬼女の包丁をマチェットで振り払う。
そのまま左手のクナイで胸を一突きした後、鬼女を乱暴に壁まで蹴とばした。
「おおらあ!!」
バルカスは自らのバスタードソードを昆虫型のモンスターに振り下ろすが、両手の鎌で防がれる。
いったん距離を取ろうとするが、胴体の口から舌がからみつき、バルカスは右足を封じられた。
「逝け。『闇刃』」
遊撃手として隠形で姿を隠していたトゥイは、天井から闇の刃を放つ。
無防備だった頭から、昆虫は身体を真っ二つにされ事切れた。
鬼女は腹から茶色の液体を流しながら、なおも亜希を殺そうと動き出す。
洋市は左手のクナイで鬼女の顔を壁に貼り付け、マチェットで首を刎ねてとどめを刺した。
戦闘終了後、無表情の男性は、まるでオブジェのように動かなかった。もはや生気が完全に失われているようで、ガッタと洋市が動き出さないよう見張る中、亜希は神妙な面持ちで見守っている。
『お父さんに少し似てる……でも、若いからなのか、遺影とは似てないかな……』
ノアとマンナは、セミーンが周囲を警戒する中、モンスターの魔石と素材を回収する。
バルカスとトゥイは、言い争いの内容と亜希との関係性について検討中だ。
亜希の父は、亜希が中学生に進学するころ、がんで他界している。
母に怒られて落ち込んでいる自分のそばにいてくれた思い出がある、穏やかで優しい父だった。
『……それなのに、あんな修羅場があったなんて……』
自分の存在と、ミナの存在を、等価交換したかのように。
亜希はミナの存在を知らされないまま育っていた。
母もまた、あくる日の修羅場についてなど、亜希に何も語らなかった。
ゆえに、まったくもって自分の出自に興味など持たなかったのだ。
『……お父さん……』
誰にどう打ち明けるべきか分からない、モヤモヤとした心の中。
亜希は、もう動かない若い父らしきオブジェを、その影を落とした大きな瞳に映し佇んでいた。
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