第百八話 理科の知識
鏡で形作られたドラゴン。
その表面には、どういう意図があるのか、亜希の顔が各部位のガラスに映し出されている。
「キキキキキ……キエェェェァッ!!」
どこか機械的な、ガラスが擦れ合ったときのような不快な咆哮が広間に響き渡る。
鏡に映った無数の亜希の顔は、どうやら現在の彼女の表情を映しているわけではないようだった。しかし、喜怒哀楽の様々な表情が、まるでAIアバターのようにコロコロと変わる。
一つひとつの顔には、それぞれ独自の意思があるのか、中には決して亜希自身はしないであろう醜い顔もある。
「……なにこれ……ッ……!」
あろうことか、自分の顔だらけで登場した巨大なモンスター。その悪趣味さは、亜希に強烈な嫌悪感を抱かせるのに十分であり、どうにも胃が落ち着かず吐き気がする。
洋市もまた、その悪趣味さに狂気を感じながら、得物のマチェットを握る手に力を込める。
その横で、トゥイは魔王の刺客の意図について推測する。
『どうしてアキちゃんにそこまで執着するのか……単純な勝算を高めるための方法とは思えない。嫌がらせ? それとも何か別の意図が?』
トゥイは赫い瞳を細め、魔王の刺客が亜希に抱く、底知れぬ感情に強い懸念を抱かざるを得なかった。
同時に、この戦いはおそらく亜希がキーパーソンになるであろうと推測する。
他のメンバーたちも、この戦いの結果いかんでは、亜希の心に深い傷を残すことになるのではないかと、不安を隠し切れない。
『キキキキッ……!』
ドラゴンが再び小さく咆哮を上げ、その大きな顎を開いた。
口の奥には、どこか神秘的にも見える白い輝きがある。
瞬時、広範囲攻撃が到達する未来を予測したバルカス。
「全員密集!アキちゃん、結界を頼む!」
スマホの翻訳機能のタイムラグを想定し、洋市はバルカスの意図を復唱する。
「亜希さん、結界を!」
「は、はい!」
洋市の声はただちに亜希の耳に到達し、スマホの画面をタップして結界を発動する。淡い光のドームが展開されると、その中にパーティーメンバー八名全員が滑り込む。
直後、ドラゴンの口から白いブレスが吐き出された!!
キンッ、ピリピリピリ、キキンッ……
結界に当たっているブレスは、小石のような、礫のようなものを浴びせ続けており、小刻みに結界に何かが当たる音がする。
「ヤベぇぞ! こいつぁガラスの粒子だ!一度でも食らったら血まみれだ!」
セミーンの叫びを聞いて、全員の身体が身震いする。もし結界を張っていなければ、鋭利な破片が一気に自分たちの身体を切り刻み、出血多量で死ぬ未来が見えた。
数十秒に及んだブレス攻撃が終わった際、結界はすでに強度の限界を迎えており、ほぼ透明に近い状態まで消耗していた。
亜希はただちにアプリ画面を更新し、結界の重ね掛けを行う。再び結界は白さを取り戻すが、これまでの複数回の結界使用により、洋市の顔には疲労が浮かんでいた。
ガラスのブレスを防ぎ続ければ、魔力の源泉である洋市の魔力が持たない。そう直感したマンナは、素早くマジックバッグから魔力回復のポーションを取り出す。
無言で差し出されたポーションを、洋市はただちに一気飲みして、空瓶をマンナに返す。
数秒後、洋市の軽い頭痛と疲労感が一気に消え去った。
『こいつはすごい!栄養ドリンクでもエナジードリンクでもこうはいかないぞ!』
ポーションのスピーディーな回復力は、疲れ切った日本の現代人にこそ必要なものかもしれないと洋市は思う。しかし、一瞬で戦闘中であることを思い出し、洋市は再び前を見据えた。
ガラスのドラゴンは、壁一面に敷き詰められたマルチモニターのように、相変わらず亜希の顔を再生し続けている。そして再び、口の奥でエネルギーを充填し始めた。
「おらぁっ!!」
隙と見たバルカスが結界から飛び出す。
バスタードソードを上段に構え、重圧のかかったスキル斬撃をドラゴンの前足に叩きこむ。
ガァァァン!と硬質な音が響き渡り、少なからずダメージを受けたと思われるその直後、
「キャアアアアアアッ!!」
亜希本人と聞き間違えるような生々しい悲鳴とともに、斬撃を受けた箇所に映る『亜希の顔』が真っ二つに割れ、傷口から生々しい血が噴き出していた。
「アキ!?」
バルカスはただちに振り向き、背後の結界に意識を向けて亜希の様子を見る。
しかし、亜希は愕然とした表情を見せているのみで、怪我はしていなかった。
安堵した瞬間、死角からドラゴンの巨大な尻尾がバルカスを襲う!
「ぐはッ!」
強烈な一撃をまともに食らってしまい、バルカスはパーティーの後ろ、ガラスの壁まで吹き飛ばされた。全身を襲う激痛で、ようやく自分がダメージを受けたと自覚し、気合いを放ってから結界へと避難した。
ブレスの隙を逃すまいと、ノアも土魔法で巨大なハンマーを作り、ドラゴンの頭上に叩き落とす。
この攻撃でも、ガラスの身体に映った亜希の顔がぐしゃりと潰れ、悲鳴が上がる悪趣味な演出がなされる。どうやらドラゴンの本体にダメージを与えられている様子はない。
パーティーの攻撃によって自分の顔が傷つき、絶叫するたび、亜希はミナの底知れぬ憎悪に吐き気をもよおした。
『どうして……ここまで……私……何をしたの……?』
ガールズバー『Cheers!』で、亜希とミナの直接のやり取りは数少なく、亜希はどうしても何が悪いのか想像できなかった。
しかし、今は戦闘中だと何度も自分に言い聞かせながら、亜希はスマホの画面に集中して結界を切らさないよう意識を高める。
「ありゃ本当にガラスなのか?……俺の刃が通らない硬度なんて初めて見たぞ」
息を整えたバルカスが厳めしく呟く。
どうやら物理攻撃には限界がありそうだとパーティーが悟るタイミングで、再びガラスのブレスが吹きすさび、全員が結界の中で身を縮める。
現状、防御はできるが、有効な攻撃の手立てがない。
いわゆるジリ貧状態を、何とかして打破する必要があった。
一方、自力での攻撃が通らないと判断し、周囲の状況を観察していた洋市。
唐突に、昔の記憶が蘇った。
『……こんな時に何を思い出してるんだか……』
小学生の頃。学校でのトイレ掃除当番で、ガラス用洗剤が切れていたため、酸性洗剤で風呂場の鏡を洗ったことがあった。
それを見とがめられ、先生にひどく叱られた記憶が蘇る。
大人になってから、車の洗車をテーマにした記事執筆で「酸焼け」という現象を知り、自分の浅はかさを呪うのだった。
しかし、今なら。
『俺の【酸毒】なら、同じことができるんじゃないか?少なくとも、亜希さんの顔が消せるなら、心理的にもっと強力な攻撃ができるはずだ!』
二度目のブレスが終わりかける頃、洋市はノアに端的に伝える。
「”酸毒”を使ってみます!」
「……!? 勝算があるのね、分かった!やってみて!」
洋市はノアから許可を得ると、結界の前面へと躍り出る。
『……初めてだけど、行くぞ!スキル【酸毒】!』
洋市は大きく息を吸い込んだ後、ミストスプレーをイメージして、広範囲に向けて毒霧を全力で吹き出した!
ブシュウゥゥッ!!
強酸の霧は、次第にガラスのドラゴンの巨体を包み込む。
少しだけ、ガラスが曇ったような気がした。
『もう一度だ!スキル【酸毒】!』
同じ要領で、数回にわたり強酸を吹きかけていく。すると、これまで変化がなかったガラスに化学反応が起き、表面が白濁し始めた。
ジリジリと焼け焦げるような音とともに、鏡で様々な表情を作っていた無数の亜希の顔は、次第に鏡の中から消え去っていった。
「やったか……!」
直接的なダメージにつながっていたかどうかは分からない。しかし、攻撃面で精神的障壁となっていた顔が消えたことにより、パーティーに戦意が少しずつ戻っていく。
亜希もまた、自分の顔が鏡から消えたことで、徐々に平静を取り戻す。
とはいえ、実際のところはガラス表面が曇っただけで、決定的なダメージを与えているわけではない。
毒霧の後、身体強化した洋市が魔力を込めたクナイを関節部に突き立ててみるものの、カンッと乾いた音を立てて弾き返されてしまった。
次はガッタがミスリルメイルに火魔法で熱を加え、ガラスのボディを溶かしながら叩こうと試みるが、やはりガラスそのものを一気に溶かすほどの威力はなく、ドラゴンは危機を察して尻尾で防御する。
パーティー全員が持久戦を覚悟した、その時。
亜希は突如として閃いた。
『ガラス……音波……そうだ、昔……動画で見たことがある!』
亜希はただちに、傍に陣取っていたノアに早口で耳打ちする。耳から情報が飛び込んでくる中で、ノアの瞳は目まぐるしく動き回り、やがて彼女の頭の中で一つの仮説が立ったようで口角が上がる。
「全員結界退避!!」
「前衛、退避するぞ!急げ!!」
ノアの声が聞こえたと同時に、バルカスが意図を組んで攻撃中メンバーの全員を呼び戻す。
結界の中で、彼女は作戦を伝達する。
「マンナ、私の合図でその笛……ホイッスルを全力で吹いて! そしたら私がその音波を風魔法で調整して、あのガラスが割れるまで増幅する! これは世迷いの笛の合図じゃない! ある意味では物理攻撃! 多分、すっごい音がするから、みんな耳栓をして!!」
トゥイが作戦の穴を突く。
「ノアっち、全員に配らないとだめだよ」
「そうだった!」
現在耳栓を持っているガッタ、トゥイ、ノア、洋市の他、全メンバーに亜希が耳栓を配る。
マジックバッグは『念じれば必要なものが取れる』仕様のため、特に混乱なく全員に耳栓が回った。
作戦の全容が見えないまま、ノアの閃きを信じたパーティー全員が、各自が持っている耳栓を耳の奥まで押し込んだ。マンナはいつでも百均のホイッスルを吹けるようにスタンバイする。
ノアは杖を掲げ、風の精霊に呼びかけた。
「風の精霊よ、鏡に迷う迷子の鳴き声を母の下へ届かせ給え。我が呼び声に応え、音を束ね波として、いとし子を惑わす鏡の呪縛から解き放て――【音波破壊】!!」
ピーーーッ!
ピーーーーーッ!!
ピーーーーーーッ!!!
ピーーーーーーーーッ!!!!
ピーーーーーーーーーッ!!!!!
マンナが吹いたホイッスルの鋭く高い音は、ノアの風魔法によって次第に重なっていき、やがて強烈な音波を作りドラゴンへと向かう。ガラスのドラゴンの表面は、ピキ、ピキ、と音を立てて軋み始める。
遠目から見ても変化は分からない。しかし、明らかにドラゴンの動きは鈍っており、身体全体が小刻みに震えているようにも見える。
数秒後、酸毒で白ずむ亜希の顔を映した一枚の表皮が、突如真っ二つになりその寿命を終えた。
その様子を見たバルカス、トゥイは、自分たちの知らないモンスターを、自分たちの知らない現象で打破できるのかと驚きを隠せない。
『こいつぁ……一体どういう仕組みなんだ?』
『すごい、ガラスが音を嫌がって震えてるみたいだ!』
調子を合わせようと、ノアは、まるで杖をタクトのように振るい、音波を様々な表情で当てていく。
ガラスの固有振動数とノアの指揮が一致するたび、一枚一枚ガラスが破壊されていく。
「キ……、キキ……、キイィィエアァァ!!」
共振現象を起こしたドラゴンの巨体は、明らかに辛そうな悲鳴を上げている。
分厚いはずのガラスの表皮は粉々に割れ、もはやその形状を維持することすら困難なようだ。
「ノア、いくか!?」
「はい、お願いします!!」
「攻撃ィ!!!」
ノアの許可を得たバルカスは、セミーン、ガッタ、洋市とともに結界の外へ飛び出し、徹底的に攻撃を加える。音波の力により、自身を守れなくなったガラスの表皮は、もはや彼らの攻撃をはじく強度を保てなかった。
ガシャァァン!
ガシャァァンッ!!
ガシャァァァンッ!!!
耳栓をしていなければ、おそらく不快さで鳥肌が立つような音を立てて、戦闘員たちはもはやガラス細工となったドラゴンを屠る。
数分後。
広間には夥しい量のガラスの破片と、ひときわ大きな魔石、そして一枚の丸鏡だけが残された。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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これからも『ゴブリンマン』をよろしくお願いいたします。




