明日の朝よりも過去を想う
兄の妻だった柚葉さんは、兄を魅了したミニチュアハウス製作について、類まれなる才能を持っていた。だが皮肉なことに、現実の生活に関しては破滅的な人だった。
集中力はすさまじいのに、その集中力のせいで日常生活がまともに送れないのだ。料理中に別のものに集中しだすので料理なんかさせられない。床掃除している最中にトイレ掃除をはじめ、そのトイレ掃除だってブラシを便器に突っ込んだまま何故か買い物に出掛けてしまう。
高校を出た後の彼女が実家の店を手伝うどころか外に職を求め、それどころか職が定まらなかったのには訳があるのだ。
だから結婚後の兄は、彼女の召使いのようになっていた。
洗濯掃除に飯作りはもちろん、彼女の死んだ父親が残した店の店主となった。
俺の自慢の兄に何をさせやがる。
兄の結婚は、俺をがっかりさせるばかりだった、のだ。
俺はそれで柚葉さんを嫌った。
大体、兄は父にも俺にも相談一つもなく柚葉さんと籍を入れたのだ。
俺達を捨てたんだって、俺はその行為に思った。
もともと家族だと思っていなかったのかな、とか。
兄が結婚の報告をして来たのは、俺が十八歳、兄が二十六歳の時だった。当時の兄の年齢は結婚には少々早いが、結婚に踏み切ってもおかしくはない年齢だ。
兄は大学を卒業してから兄の亡母の実家の関連会社に入社したので、実家を出て東京で一人暮らしをしていた。
そんな兄が久々に実家に帰ってきて結婚の報告をして来たならば、兄は完全にこの家を出ていくという事なのかと、そう考えるしかないじゃないか。
東京の仕事を辞めて兄がこの地に帰って来る、それは嬉しい。
でも、こっちに帰って来て兄がした事は、柚葉さんと柚葉さんの実家の店である爬虫類館を盛り立てる事だけだ。
兄さんが家族だと思っているのは、柚葉さん柚葉さん柚葉さん。
いなくなってしまえ!!
でも、死んでほしいとは思っていなかった。
それなのに二年前、俺の消えろという願いが叶ったかのように、柚葉さんはお腹の中の赤ん坊と一緒にこの世を去ったのである。
暴走するショッピングカートに追突され、倒れた拍子に頭をぶつけた、らしい。
らしい、のは、数日後に道端で倒れて病院に搬送された彼女の死因が、外傷性クモ膜下出血だったことからである。だから死の原因は推測だ。
そしてその突然の訃報に、俺だって病院に駆け付けた。
そこで俺は、兄が既に反応のない柚葉さんの手を握っていて、あの兄が、涙を流している姿を見る事となった、のだ。
俺は本気でガキだった。
過去を思うと本当にそう思う。
俺は兄を本当に見ていなかった。
赤ん坊が出来ていたのならば、兄と彼女はちゃんと夫婦だったのだし、兄は言葉通りに柚葉さんのことを愛していたのだ。
兄は俺に何度も言っていたじゃないか。
デメリットこそ愛せ、と。
いじめられっ子で情けない弟である俺を丸ごと愛してくれたように、兄はまともな生活ができない柚葉さんを丸ごと愛していたんだ。
コトリ。
目の前に湯気の立ったマグカップが置かれた。
「なずなちゃんも眠れないはずだ。人の家でフラフラできる子じゃないからな。持って行ってあげて。ついでに自分家みたいに歩き回って良いって教えてあげな」
「譲るの?」
「それはお前こそだろ? なずなちゃんは俺を選ばなきゃいけないんだろ?」
「だって、兄さんには敵わないし。兄さんは誰よりも格好いいし、今日だって」
「ばあか」
兄は俺の頭をぐしゃっと撫でてから、自分用のマグカップを取り上げてリビングから出て行った。たぶん、自室でなく、一階の仏壇が置いてある部屋に行くのだろう。そこには柚葉さんが作り上げた作品が置いてある。兄の母が生きて住んでいた時代の、この家の模型が。
尽くし系。
愛した人に尽くすばかりの兄は、きっといつだって寂しさを抱えている、はず。
「俺を店の手伝いに呼ぶのは寂しいからだよね。俺はあなたの家族だよね」




