俺が楽しかったからいいのさ
門扉から玄関までまた少し歩いた。
なんて大きな敷地なの。
本家で地主だという友人の家も大きかったけど、彼の家は比べ物にならないぐらいに広い。怖いくらいに。塀で四方を囲まれたこの家の中に一人取り残されたら、きっとここが広いからこそ怖くなる。だからマサオ君は奥さんと奥さんの実家に住むことに決めたのかしら。
「最近帰っていて良かったよ。いざとなったらここを使えた。ここは無駄に広いからね、掃除やあれやこれやが大変なんだよ」
確かに。
こんな広い家を毎日掃除しろなんて言われたら、私は一日で離婚届けを出しちゃうでしょうね。小市民は小さなお家の方が落ち着くわ。きっと。
「こんなに広ければ、お一人で維持するのは大変ですね」
「そうなんだよね。だけど今回は広くて良かったな。大事な子供達を保護できた」
子供達?
マサオ君の言葉に首を傾げながら玄関を潜り、彼にリビングに案内されてその言葉の意味が分かった。リビングには店の生き物入りの衣装ケースや水槽がずらりと並び、それらは一階のどの部屋にもあるという。
「こいつらはもうあそこには置いておけないからね。怖いんだよ、爬虫類マニアは。隙があれば持って行っちゃう。わかるけどね。乱獲し過ぎてサイテス※入りすれば、流通不可で値段高騰。世の中には六百万もするトカゲだっている。こいつらは知っている人間には宝石にしか見えないんだよ」
「今回のことは大変でしたね」
「ねえ。ほんっと何を考えているんだろうね。すごい迷惑」
「兄さん、ごめん」
「迷惑かけたのはお前じゃ無いだろ。何度も同じこと言わせるなら、今度はオカメインコ仕入れるぞ。それでお前の仕事にするぞ。いいのか?」
「お茶を淹れてきます」
ナオキ君はゲッて顔をしたあとは、完全に意気消沈したみたいになった。ソファの前の座卓に茶々入りのキャリーバックを置き、ふらふらとキッチンの方へと行ってしまった。ナオキ君と小鳥は凄く絵になりそうだけど、鳥が苦手なのかしら?
「ナオキ君は大丈夫なの?」
「かまってほしいだけだから大丈夫。オカメと一緒」
「オカメと?」
「オカメインコは甘ったれでね、一人餌ができるようになっても、いつまでも給餌が必要な雛の演技をするんだよ。そのせいでそのう炎になったりして。甘えるのに命かけてる、そんな可愛い生き物には情は凄く移るでしょ?」
オカメとナオキ君の相性の悪さが簡単に想像できた。
ナオキ君は絶対にオカメインコに恋をしちゃって、きっと売り物なのに売れなくなる。売ったらしばらくオカメを想って落ち込むだろう。そしてきっとそんな別れを経験済みだ。
「マサオ君たら、ひどいわ」
「ふふ。なずなちゃんも俺から酷い目に遭わないようにいう事聞いて。疲れたでしょう。座っていて。まずはナオキのお茶を飲んで一息つこうよ」
マサオ君の言う通りにソファに座れば、ソファの座り心地の良さに溜息が出た。
柔らかすぎず、でも、疲れも吸い取ってくれそうな包容力?
「柔らかすぎたら俺の膝においで」
「ひゃ」
「俺がいない時の口説きは禁止!!」
マサオ君の声って凶器だわ。
そして、彼の声の威力を知っている弟の方は、少々苛立った声をキッチンからあげた。お陰で私の頭はすっきりよ。
あ、マサオ君は笑っているし。
「揶揄ってばかりですね」
「弟が可愛くて」
「ナオキ君があんな怪我をさせられたら、そりゃ許せませんね」
「ああ。ただ俺が楽しんだのも事実だ。だからあいつが俺に罪悪感を抱く事は無い。俺の復讐という遊びにあいつも無理矢理関わらせたのだからね。あいつは俺がやり過ぎだと怒っても、俺に謝っちゃいけないんだな」
「復讐が遊び、ですか?」
「ああ。学生時代に研究していた、フェロモン過多に遺伝子組み換えした個体に通常個体を放ったらどうなるのか。それを実験室外で検証できたから楽しかったよ」
がちゃん。
キッチンでナオキ君が大きな音を立てた。
見ればナオキ君は真っ青な顔をしている。
そして彼の瞳は自分の兄しか見ていない。
「あれって実験だったの!!それで、あなたはそんな実験してたの!!でもって、遺伝子組み換えしたゴキブリを放出したってことだよね。あれ回収してないじゃない、どうするの!!カルタヘナ法!!※」
「ハハハ、なんか懐かしい。俺は倫理感が欠如してるって、大学では今のお前みたくして教授に叱られたよ。これが俺が研究者を続けられなかった理由だな」
「にいさあああああん。それで流しちゃダメええええええ!!」
※
サイテス
「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」の英文での頭文字をとって、CITESと呼ばれている。一般人が認知してるワシントン条約のこと。
カルタヘナ法
「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」の通称。
遺伝子弄っちゃった生き物や植物を勝手に放ったら、生物多様性に悪影響を及ぼすぞ。という観点からの規制色々。
遺伝子組み換え生物を知らずに購入飼っているだけで書類送検されます。
お兄さんは生体は放していません。お兄さんたら真面目なナオキ君を揶揄うのが楽しいので、遺伝子組み換え生物を放したと思い込ませて喜んでいるだけです。
半グレ事務所にご挨拶に行った際に、十箱分のゴキブリ全部が半グレ事務所に突撃するように、超強力なゴキブリ誘因フェロモンを散布してたという設定です。復讐に燃えるマサオ君は和解も示談も一ミリも考えてらず、フェロモン散布目的に挨拶に行っただけでした。




