腹に一物 コーヒー豆だったらいいのにね
綾乃に私は騙されてばかりだと罵られた。
そうね、達郎なんか「やりたいだけの男」に騙されて婚約までしちゃったわ。
そんな過去の苦い思い出から逃げたいとカップに口を付ければ、苦いどころかまろやかなコーヒの芳香に包まれる。すると、苛々するばかりの胸が温かくなり、目頭にはキラキラ光る王子様の幻影だって見えた。
ナオキ君。
「なずなちゃんはモカばかりだね。モカは酸味が強いって言うけど、他のコーヒーよりも酸味を感じないしまろやかだからかな」
「あのね、ナオキ君。私は豆の名前は、ブレンド、キリマンジャロ、ブルーマウンテン、そしてモカしか知らないの」
「ぷふ、わかった。今度のお出掛け楽しみにしておいて」
ナオキ君は約束通り、私を笑った数日後にお出掛けに連れ出してくれた。そこにはもちろんマサオ君もいる。なぜならば、マサオ君の親友の店であるトニーズカフェでの豆の試飲会であったのだ。
その日は店は閉めてあったが、開店している日よりも多くの常連客がいた。そして客達はいつもよりも真剣な顔つきである。店内のテーブルにはたくさんのコーヒーポットが置かれ、それらには豆の名前と淹れ方が分かるパネルが並べてある。そして客達はポットの前に置いてあるお猪口みたいな小さなカップに刀禰さんが一口分ほど注ぐのを我さきにと受け取り、その中身の品評を一心不乱にボードに書き込んでいるのだ。
「味についての品評は我らの素晴らしきマサオ様に任せよう。俺達はお子様だからさ、色んなコーヒーを盗み飲みして楽しむだけはどうかな」
「ナオキ君ったら」
「なずなちゃん。ナオキの言う通りに楽しまなきゃだよ。ナオキはこの会の後、このたくさんのカップを洗う仕事が待っている。君を手伝わせるつもりだぞ」
「なずなさんは俺を助けてくれるよね」
「ええ、もちろんよ」
「では弟に優しい君には、俺はこれを薦めよう」
「兄さん。こういう時は高い奴にするべきだよ」
マサオ君は私が好きそうで手頃な豆のコーヒーが入ったカップを渡してくるが、ナオキ君はこういう時こそ飲めないものをとお高いものばかりだ。
「これが今日のメインだな。ブラックアイボリー。カップ一杯で五千円はくだらない、最高にたっかいコーヒーだよ」
私はそんなお高いコーヒーがあるとはと、恐る恐ると口にする。
そして口にしてみれば、高いだけある、という感想だった。
「あらおいしい。これは苦みを感じない」
「ゾウさんのうんちを加工したコーヒーなんだ※」
「うぷ」
ナオキ君はいつだってナオキ君だなあ。
私はナオキ君の振舞いのお陰で、「騙された」が良い意味に変換できた。
「なずな、聞いているの? あ、落ち込ませちゃった?」
綾乃の声は私を心配するものどころか、意地悪さばかりがあった。
どうして彼女は私をこんなにも傷つけたいのだろう。
「ぜんぜん。騙された、で思い出しちゃった。知っている? 最高級の美味しいコーヒー豆って、ゾウやジャコウネコのお腹の中で作られるのですって」
「だから何?」
「なんだろ。あなた方に心配されるような騙されはされていないって話。私が心配なら大丈夫よ。はい、用件終わり。もう帰っていいかな?」
「だめよ」
綾乃では無い、優香だった。
綾乃は私の返しにただただイラついた顔で睨んでいるだけなのだ。
「優香。あなたは私に何の用があるの?」
「ひどいわ。あなたっていつもそう。私と綾乃はあなたのためを考えて、あなたに真実を伝えに来たのに。だって、あなたが道を踏み外そうとしているのは、達郎が私を選んであなたを捨てたからでしょう」
優香は最初から私を踏みつけに来ただけらしい。
確かに、あの二次会で、彼女こそ達郎に愛されていなかったっぽい宣言をされてしまったものね。それの意趣返しなのかな。
この面倒は達郎という、あのシモと頭が緩い男のせいか!!
「では聞くわ。真実って何?」
優香はにやりと、それは意地悪そうに笑った。
綾乃だってそうだ。
その真実とやらを知れば私が傷つくと、二人は分かっているらしい。
そんなに私を痛めつけたいのか。
私は二人の底意地の悪さにそろそろうんざりしてきており、刀禰さんがおまけにくれたスノーボールを口に放り込んだ。
※ジャコウネコを使うコピルアクのゾウさん版なだけです。
うんちからコーヒ豆を取り出す、というところに、至高のコーヒーを求める人達 の執念を感じます。




