9:不吉な贈り物(4)
「なるほど、状況はわかりました。アウローラ、話してくれてありがとうございます」
「……いえ」
朝食を食べ終えたヴィンセントは、ジーナとリオル以外の使用人を下がらせ、アウローラから詳しい事情を聞いた。
アウローラは申し訳なさそうに俯いている。ジーナはそんな彼女に寄り添うように、背にそっと手を添えた。
「さて、リオル。お前はどう見る?」
ヴィンセントは背後に控えるリオルに視線を向ける。
リオルは心底不快そうな表情を隠しもせず、口を開いた。
「大変不快極まりないですね。早急にこの害虫を駆除すべきかと存じます」
「……いや、そういうことを聞いてるんじゃなくて」
相変わらず、可愛い顔をして物騒な事を言う。
ヴィンセントはわずかに眉を下げ、苦笑を漏らした。
「ドレスのサイズの話だよ。どこから漏れたと思う?」
「そうですねぇ……。奥様、ご結婚されてからの数ヶ月で、お体のサイズに変化はございましたか?」
「いいえ。変わっていないと思うわ」
「であれば、容疑者が多すぎて絞り込めませんね」
「多い……?」
「はい。奥様がおっしゃる通り、いつもお召替えをお手伝いしている双子なら、大体のサイズを把握することは可能でしょう。ですが、それはヴァレンティア家の侍女たちも同じです。体型が変わっていないのであれば、昔から仕えている彼女たちも当然知っているはずですから」
「た、たしかに……」
無意識に、ヴァレンティア家の侍女が関わっている可能性を排除していたことに気づき、アウローラは気まずそうに目を伏せた。
「情報の漏洩元については、僕が調査します。ヴァレンティア公爵にも協力を要請しましょう。ついでにブランコ伯爵にも、公爵家から抗議してもらいましょう。それが一番手っ取り早いです」
「え!?」
思いもよらない提案に、アウローラの肩がびくりと跳ねる。
リオルはそんな彼女の反応に目を細めた。
「何か問題でも?」
「えっと、実家にはあまり頼りたくないというか……、これ以上、迷惑はかけたくないの……」
「……は?」
リオルは理解できないと言わんばかりに眉を吊り上げた。
彼の威圧的な声に、アウローラは身をすくませる。
「リオル、落ち着け」
ヴィンセントはすかさずリオルを制した。
だが、リオルは到底納得がいかない様子だ。
「奥様、この状況なら公爵家から圧力をかけて頂くのが最も確実で迅速なのですよ?」
「そ、それは……」
「リオル。それはアウローラが一番わかっている。だが、それでも彼女は頼りたくないんだよ。ならば俺たちはその意見は尊重すべきだろう?当事者は彼女なのだから」
これ以上は許さないと、ヴィンセントは強い視線でリオルに制する。
リオルは舌打ちしそうになるのを堪え、怯えるアウローラを一瞥すると、苛立ちを紛らわせるようにガシガシと頭を掻きむしった。
そして気持ちを落ち着けるように深く息を吐いた。
「はぁ……、わかりましたよ。では妥協案として、旦那様の名義でブランコ伯爵へ正式な抗議文を送りましょう。そうすればあちらも多少は落ち着くはずです」
「い、いけません!ブランコ伯爵家は軍事方面に太いパイプを持っているのよ!?正面から抗議なんてしたら、どんな報復を受けるかわからないわ!」
ヴィンセントはその圧倒的な戦功が称えられて叙爵された元平民。生粋の貴族である伯爵家に正面切って楯突けば、彼の未来に関わる。不当な左遷程度で済めば良いが、最悪の場合、死を意味するような危険な戦場に駆り出されることだって考えられるのだ。
アウローラは自分のために彼がそんなリスクを負う必要はないと、断固として反対した。
必死に拒絶するアウローラに、リオルはとうとう隠すこともなく舌を鳴らした。
「ああ、もう!アレもダメ、コレもダメ。……では、どうしろとおっしゃるのです?受け取りを拒否しても、突き返しても、無視しても何の効果もない相手に、これ以上どうしろと?」
「それは……」
「まさか、相手が諦めるまで待つおつもりですか?お言葉ですが、相手の行動は明らかにエスカレートしています。先日は屋敷まで押しかけて来たのですよ?この屋敷の警備は手薄ですし、今からすぐに警備を厚くすることも難しいです」
「わかっているわ」
「わかっていません。仮に侵入でもされたら、何をされるかわらないのですよ!?」
「わたくしなら大丈夫よ。侍女のケイトは常に近くにいてくれているし、わたくし自身も幼い頃から護身術を習っているし……。それにほら、もうすぐグランフォートに発つじゃない?旦那様も、今日から引っ越しまでの間はご在宅のようだし、警戒を怠らなければ……」
「……もしや、ここを離れるまで耐え忍べば問題ないとお考えなのですか?」
「ええ、そうよ」
帝都を離れ、物理的な距離が出来さえれば、フェルナンドの熱も冷めるはずだ。アウローラはそう話す。
だが、リオルには彼女の言葉がただの現実逃避にしか思えなかった。
「奥様はストーカーの執着心を甘く見ておいでですね」
「え……?」
「この手の男は、どこまでも追いかけてきますよ。逃げれば逃げるほど、追いかけてくるのです」
「どういうこと?」
「奥様は距離を置けば安全になるとお考えのようですが、それは普通の人間にしか通用しません。ストーカーというのは、距離を置かれると、『奪われた』、『拒絶された』、『自分のものが逃げた』と勝手に解釈する生き物です。そしてその瞬間、執着は加速します」
逃げれば逃げるほど追ってくるのは、狩猟本能のようなもの。自分が追いかけている獲物が遠ざかるほど、彼らの中の『追わなければならない』という妄想は強まる。
距離は盾にならない。むしろ、火に油だとリオルは言う。
その言葉に、アウローラは息を詰まらせた。
「まったく、奥様は本当に甘いですね」
「ご、ごめんなさい……」
「きっと、今まではご家族の方が対応してきたのでしょう?だから全く現実が見えておられないのです。大体ご実家の方々も、護身術より……」
「リオル、やめろ。それ以上は許さない」
ヴィンセントはリオルの言葉を遮るように、低く冷たい声で彼を睨みつけた。
その声音は怒鳴り声よりもずっと鋭く、場の空気を一瞬で凍らせる。
リオルは、はっとしたように口を閉ざした。
普段なら食い下がるところだが、ヴィンセントの目を見て、今回は本気で怒っていると悟ったのだろう。
わずかに肩を強張らせ、視線を床へと落とした。
「申し訳ありません、奥様。分を弁えぬ発言でした」
「いえ、大丈夫です。あなたが仰ることは正論ですし……」
素直に頭を下げるリオルに、アウローラは慌てて首を振った。
けれど、ヴィンセントは静かに、かつ毅然とした態度で口を開いた。
「いいえ。正論だからと言って何を言っても良いわけではありません。リオルの立場で先の態度と発言は許される事ではありません」
その声音は穏やかだが、揺るぎない。
アウローラを守るための言葉であり、同時に側近への戒めでもあった。
「……ですが、どうか理解してやって頂きたい。言葉がキツくわかりにくいかもしれませんが、これでもあなたの身を案じているのです」
「はい、それは理解しています。わたくしの方こそ、ワガママばかりで申し訳ありません」
「ワガママなどではありません。それはあなたの優しさ、思いやりです。謝ることではない」
「旦那様……」
「俺はできる限り、あなたの要望を叶えたいとは思っています。しかし、万が一の場合は俺から直接抗議することだけはお許し下さい。俺はあなたの父君や兄君に、何があってもあなたを守ると約束したのです。ですからどうか、俺に守らせて下さい」
「はい……」
ヴィンセントの言葉には妻を守るという強い意志と、誠実さが宿っていた。
アウローラが胸を押さえ、そっと頷くと、ヴィンセントもかすかに表情を緩める。
重かった空気は、ほんの少しだけほどけた。
その時、
「……あの、よろしいでしょうか?」
ずっと控えていたジーナが、おずおずと手を挙げた。
遠慮がちな声が、場の空気に小さな波紋を広げる。
二人は自然と彼女の方へ視線を向けた。
「どうした?ジーナ」
「素朴な疑問なのですが、何故フェルナンド様は奥様がご結婚なさってから行動を起こし始めたのでしょう?」
「……確かに、言われてみればそうだな」
ヴィンセントは深く眉を寄せた。
アウローラの話では、フェルナンドとはほとんど交流がないということだった。夜会で挨拶した程度で、個人的に言葉を交わしたことすらない。
それなのに、何故今になって強引な求婚をしてくるのか――。
「もしかして、噂のせいかも……?」
リオルは渋い顔でポツリとつぶやいた。
「リオル、それはどういうことだ?」
「世間の旦那様の評判は最悪です。奥様との結婚も政略的な意味合いが強いですし、何より結婚式の時に堂々と愛さないと言い放ちましたよね」
「……い、言った」
己の無礼極まりない発言を突きつけられ、ヴィンセントは気まずそうに目を逸らす。
リオルはそんな主人に構わず、言葉を続けた。
「想い人がそんな相手と結婚して不幸になっているとしたら……救い出そうと考えてもおかしくないのでは?」
フェルナンドの行動が単なる執着ではなく、『自分こそが囚われたアウローラを救う騎士だ』という妄想から来ているとしたら……
「なるほど。それは……厄介だな」
妄想に取り憑かれた男は、誰に何を言われても、自分の中にある物語から抜け出せないものだ。
ヴィンセントはギリッと奥歯を噛み締めた。
すると、
「だったら、お二人が仲睦まじいお姿をお見せすれば良いのでは?」
ジーナが妙案を思いついたかのように、明るい声を上げた。三人の視線が一斉にジーナへと集まる。
「ジーナ、詳しく」
「はい、リオル様。……フェルナンド様が『アウローラ様が不幸だから救い出す』という妄想に囚われているのでしたら、その前提を壊せばよろしいのではと、私は考えます。お二人が心から愛し合い、幸せに暮らしているお姿を見せつければ、介入する隙などないと諦めるしかありませんわ。それに……」
ジーナはニヤリと笑みを深め、ヴィンセントへ視線を向けた。
「これなら奥様のご実家を頼る必要もありませんし、伯爵家と正面衝突して旦那様が危険に晒されることもありません。ついでに、あの最悪な結婚式のせいで地に落ちていた旦那様の評判も『実は愛妻家だった』と一気に挽回できます!まさに一石三鳥!」
「まあ……!」
ジーナの演説に、アウローラの瞳がぱっと輝いた。
「なんて素晴らしい案なの、ジーナ!」
誰も傷つかない解決策を見つけ、アウローラは心底安堵したように微笑んだ。
リオルも顎に手を当て、フッと不敵な笑みを漏らして深く頷いた。
「なるほど。旦那様のあの壊滅的な評判を上書きできる、ですか。確かに世間へ『実は初々しい愛妻家』としてアピールできれば、社交界での立ち回りも格段にやりやすくなりますね。……よし、採用です。素晴らしい着眼点ですよ、ジーナ」
「恐れ入ります」
さっきまでの重たい空気が嘘のように、ノリノリで盛り上がり始める三人。
しかし、ただ一人、ヴィンセントだけが顔を青くしていた。
「待て……!待ってくれ!」
ヴィンセントはガタッと椅子を揺らし、立ち上がる。
「仲睦まじい姿を見せる……?そ、それはいったい、具体的に何をするつもりだ!?」
「何って、人前で仲良くするんですよ。デートとかしてみてはどうですか?ほら、この週末には花祭りがあるでしょう?」
「いいですね!手を繋いで歩く、愛称で呼び合う、見つめ合って微笑みかける、腰に手を添える、あーんと一口食べさせてあげる……くらいのことをすれば、アピールできそうです!」
「なっ……!?」
あまりの具体例の数々に、青かったヴィンセントの顔は耳まで真っ赤に染まった。
人前で手を繋ぎ、腰を抱き、甘い言葉を交わすなど――正気を保っていられるはずがない。
下手をすれば、彼の恋心がアウローラにバレる可能性だってある。
あり得ない。こんなこと、絶対に認めてはならない。リオルとジーナは何を考えているのか。
ヴィンセントは二人を睨みつけた。
「ふざけるなよ。できるわけないだろう!」
「何故ですか?」
「何故って……」
アウローラのことが好きだとバレたら、この結婚は終わるから。
なんてことを言えるわけもなく、ヴィンセントは必死に言い訳を探した。
「そ、そんな恥知らずな真似、アウローラにさせるわけにはいかない……!」
男嫌いなアウローラが、男相手にそんな恥ずかしい行動を取れるはずがない。ヴィンセントは救いを求めるような目でアウローラを見た。
しかし、
「……わたくしは平気でしてよ?」
アウローラはきょとんとして、まっすぐな瞳でヴィンセントを見上げた。
まさかの返答である。ヴィンセントは絶句した。
「えっと……アウローラ。あなたは自分が何を言っているのかわかっていますか?手を繋いだりするのですよ?男と触れ合うのですよ!?」
「もちろん、理解しておりますわ。ですが、それでフェルナンド様を撃退できて、かつ、旦那様のお立場を守れるのならば、喜んでお手伝いいたします!」
「ア、アウローラ……!?」
「もしかして、旦那様はわたくしと手を繋ぐのがお嫌ですか?……そうですよね、旦那様は女性が苦手……」
「嫌とかではない!嫌とかではないけど!!……というか、アウローラこそ嫌ではないのですか!?」
「はい。嫌ではありませんわ」
「何で!?」
「どうしてでしょう?理由はわからないのですが……何となく、旦那様なら大丈夫な気がするのです」
「ぐふっ……!?」
男嫌いな彼女が、自分なら大丈夫だと言う。
そんな純粋無垢な殺し文句をぶつけられ、ヴィンセントは胸を押さえてのけぞった。
あの日、自らの評判と引き換えに手に入れた彼女からの絶対的な信頼が、ここに来て逆に仇となるとは思わなかった。
「ほら旦那様。当事者の奥様がこうして協力すると言ってくださっているのですから、もうぐだぐだ言わないでください」
「そうですよ、旦那様が腹を括れば済む話です」
「お前たちは!俺の心臓を止める気か!?」
容赦なく追い詰める側近と、ニヤニヤが止まらないメイド。
共に、この哀れな恋心を一生隠し通そうと誓った仲なのに、まさかここに来て裏切られるとは思わなかった。
完全に外堀を埋められたヴィンセントは、逃げ場を失って頭を抱え込むのだった。




