8:不吉な贈り物(3)
ケイトがやって来て二日。
アウローラはさりげなく、双子とは距離を置いていた。
それは他人から見れば、単に実家から気心の知れた侍女が来たので、その侍女を頼っているだけに見えるだろう。
アウローラ自身も、周りに気づかれないよう細心の注意を払っていた。
けれど、やはり軍人と言うべきか。この男の目だけは誤魔化せなかった。
「何か、ありましたか?」
数日ぶりとなる朝稽古の後、果実水を差し出したヴィンセントが、不意にそう尋ねてきた。
油断しきっていたアウローラは、びくりと肩を跳ねさせる。
「な、何かとは……?」
思わず声が上ずってしまう。
ヴィンセントはその反応を見逃さず、静かに続けた。
「最近、双子と距離を置いているようなので、あの子達が何かしたのかと」
「えっと……」
険しい顔でこちらを見つめるヴィンセント。
まさか見抜かれているとは思わなかったアウローラは一瞬で胸がざわついた。
だが、すぐに取り繕うような笑顔を貼り付け、彼を見上げた。
「距離を置いているつもりはございませんわ。ただ、ケイトが来てくれたので二人には通常の業務をして貰っているだけです。ほら、元々彼女たちのお仕事はわたくしのお世話ではありませんし」
むしろ、今まで自分の世話をさせていたせいで、他の仕事が出来なかったことを申し訳なく思う。アウローラはそう言って苦笑して見せた。
「そう、ですか……」
アウローラの返答にヴィンセントの眉間の皺はさらに深くなる。そして、真意を探るようにジッと彼女の翡翠の瞳の奥を見つめた。
アウローラはその鋭い視線に耐えきれず、目をそらした。
(あ……、しまった)
これは悪手だ。目を逸せば、何か問題があったと言っているも同然。
アウローラがおそるおそるヴィンセントに視線を戻すと、彼はベンチに腰掛けるアウローラの前に跪いた。
「アウローラ、本当は何か困っているのではないですか?」
真剣な眼差しでこちらを見上げるヴィンセントに、アウローラは息を呑む。
「あなたが俺の事を信用し切れていないのはわかっています。ですが、俺たちはもう夫婦です。夫婦とは、共に助け合うものです。違いますか?」
「ち、違いません……。ですが……」
「どうしても、俺には話せませんか?」
「……ごめんなさい」
どうしても話すことが出来ない。
結婚して早々に問題を持ち込んだと思われたくないし、そんな問題を一人で解決できない女だと思われたくもない。
アウローラは再び、視線を足元に落とした。
俯いて押し黙るアウローラに、ヴィンセントは小さくため息をこぼす。
そのため息が、アウローラの胸をさらに締め付けた。
「そうですか。では、俺の方から一つ、質問を良いですか?」
「は、はい……」
「アウローラは、ブランコ伯爵家のフェルナンド様をご存じですか」
「……っ!?」
心臓が跳ね、息が詰まった。
体が反射的に示した動揺を、もちろんヴィンセントは見逃さない。
「その反応、やはりご存じですね?」
「はい……。親しくはありませんが」
アウローラは小さく頷いた。
その瞬間、ヴィンセントは小さく舌を鳴らした。
アウローラの肩はまた、びくりと肩を跳ねさせた。
「あ、あの……、旦那様……?」
「……実は先日、彼が我が家を訪ねてきたそうです」
「………………え?」
訪ねてきた?何故?
アウローラの顔からは一気に血の気が引いた。
過去の恐ろしい経験な数々が、走馬灯のように甦り、指先がかすかに震える。
「訪ねて来たと言っても、屋敷の周囲をうろついていただけですが。不審に思ったリオルが声をかけると、あなたに会いに来たと仰っていたそうです。先触れも届いていませんし、何より怪しすぎたので、リオルはその場では『奥様は不在だ』とお引き取りいただいたようです」
「そう、ですか……。お手数をおかけいたしました。ご対応ありがとうございます」
「その後、不審に思ったリオルは、マルタとエルザに最近何か変わったことはないかと聞いたそうです。初めは何もないと言っていた二人でしたが、マルタの方が話してくれました。……結婚後からずっと、フェルナンド様から贈り物が届き続けている、と」
ヴィンセントがそう言って、ジッとアウローラを見据えた。
責める色はないものの、その視線はアウローラにとって十分すぎるほどに威圧的だった。
この程度のことも解決できない女だと失望したのだろうか。結婚早々に面倒な事を持ち込んだと怒っているのだろうか。
それともーー結婚してもなお、男に色目を使っていると軽蔑したのだろうか。
アウローラはきゅっと唇を結び、必死に言葉を探す。
「……あ、あの……申し訳……」
震える声で言いかけた言葉を、ヴィンセントがそっと遮った。
「申し訳ありません。怖い思いをさせてしまいましたね」
「え……?」
アウローラは思わず顔を上げた。
するとヴィンセントの瞳には、深い後悔の色が宿っていた。
「旦那様……?」
「言い訳になりますが……、あんな風貌をしていても、リオルは男です。異性に荷物の管理をされるのはお嫌かと思って、あなた宛ての荷物の管理はマルタに一任していたのです。それに、届く荷物の差出人名はどれも、見覚えのある商会だったものですから、リオルも特に気に留めていなかったようで」
「そう、だったのですね。なるほど……」
アウローラはゆっくりと息を吐いた。
胸の奥に重く沈んでいた疑念が、すうっと溶けていく。
ケイトの指摘で、マルタがフェルナンドと繋がっているのではと疑ってしまった。
けれど、それは違った。
マルタはただ頼まれた仕事をこなしていただけで、フェルナンドから直接荷物を受け取っているわけではなかったのだ。
そして荷物の検分を行わなかったのは、リオルの怠慢ではなく、ヴィンセントが自分を気遣ってくれた結果だった。
マルタへの疑いが全て晴れたわけではないが、それでも、その事実が冷えた胸の奥をじんわりと温めていく。
「もっと早く気づくべきでした。申し訳ありません」
ヴィンセントは深く頭を下げた。
その姿に、アウローラは慌てて手を伸ばす。
「か、顔を上げて下さい!マルタに散々言われていたのに、早く相談しなかったわたくしが悪いのです!……むしろ、こちらこそすみません。この程度のことも解決できずに、お恥ずかしいですわ」
「そんなことないです。この問題は決して、この程度なんて表現して良い問題ではありません」
ヴィンセントは苦く笑った。
珍しく見れた彼の微笑みはどこか悲しげだった。
「ですからアウローラ。あなたもどうか、謝らないで?」
「旦那様……」
「そしてどうか、一人で解決しようと思わないでください。あなたは慣れてしまっているのでしょうが、これは立派なストーカー行為ですよ。一人でどうにかなんて、出来るわけがないのです」
「そうですよね……。すみません……」
「いや、責めているわけではなくてですね!何と言いますか……。あ、ほら!俺はあなたの事を……あ、愛さないとは言いましたが、あなたの事を守らないと言ったつもりはありません!縁があって、こうして家族になったのですし、どうか……家族として!そう、家族として!!あなたの事を守らせてはもらえませんか……ということが言いたいといいますか……!!」
慎重に、言葉を選ぶようにゆっくりと話すヴィンセント。
静かで、真っ直ぐで、どこまでも誠実な彼の言葉には一切の下心を感じない。
それだけで、アウローラはホッとして肩の力が抜けた。
「ありがとう、ございます。わたくし、結婚相手があなたで良かった」
「アウローラ……」
ヴィンセントは、ぎゅっとグラスを握りしめているアウローラの右手へそっと手を伸ばした。
けれど、触れるか触れないかのところでピタリと止まめると、そのまま引っ込めてしまう。
そして、不意にニコッと笑ってみせた。
その笑みは引きつっていて、とても不器用で、何なら怖いくらいにぎこちなかった。
それなのに、アウローラはなぜかその不格好な笑みに、ひどく安心できたのだった。
だからだろうか。目尻から、一筋の滴が頬を伝ってこぼれ落ちた。
「あ、あはは……。すみません……」
アウローラは急いで、服の袖で涙を拭う。だが、頬を伝う雫は止まりそうにない。
「も、申し訳ありません。すぐに止めますから!」
「気にしないで。仕方ありませんよ。恐ろしかったのでしょう?よく知りもしない男からの好意など、気持ちが悪くて当然ですから」
「……はい」
「どうか、これからは溜め込まないで下さい。些細なことでも構いません。何か不安なことや困ったことがあればいつでも相談して下さい。俺は不在な時も多いですが、俺がいないときはリオルを頼って下さい。彼は俺が一番信用している男です。間違ってもあなたを傷つけるような真似はしませんから」
「はい。ありがとうございます」
アウローラは涙をこぼしたまま、深く頭を下げた。
そんな彼女にヴィンセントは咄嗟に、首にかけていたタオルを差し出した。
それは、彼にとってみれば単純に涙を拭くを差し出しただけのことだったのだろうが、衛生的にもマナー的にもアウトだ。
そばで控えていたリオルは、真っ青になりながら二人の間に割って入った。
そして、アウローラの手に渡ろうとしていたタオルをひったくるように取り上げ、代わりに綺麗なハンカチを差し出した。
「奥様、こちらをお使いください。そっちは汚いので」
「汚いって……」
「汚いでしょう。デリカシー皆無かよ。これだから脳筋は嫌なんだ」
「正論だが、もう少しオブラートに包んでくれないか。一応、俺は主人だぞ?」
事実だが、そんなにはっきり言わなくても。
ヴィンセントはぶすっとした顔でリオルを睨んだが、リオルは涼しい顔で受け流した。
そのやり取りが妙に可笑しくて、アウローラは涙を拭いながら、ふっと笑みをこぼした。




