7:不吉な贈り物(2)
玄関ホールで待つアウローラたちの前で、重厚な扉が開かれた。
やって来たのは、親しみやすい顔立ちに散るそばかすと、後ろで一つにまとめた赤茶色の三つ編みが特徴的な女性だった。
緑がかったヘーゼルの瞳が、アウローラを捕らえた瞬間にぱっと輝く。
「お久しぶりです、お嬢様!」
「久しぶりね、ケイト」
屈託のない笑みを浮かべて嬉しそうにおじぎをするケイトに、アウローラは心からの笑みを返した。
実家にいた頃からずっと自分を支えてくれていた、頼もしい侍女の到着だ。
あの不穏な贈り物のせいで、どこかピリついていた気持ちが、ケイトの笑顔ですうっと軽くなっていく。
「会いたかったわ」
「お待たせして申し訳ありません。諸々の準備に時間がかかりまして」
「グランフォートまで来てくれるんでしょう?準備に時間がかかるのは当然よ。でも、本当に良かったの?帝都からグランフォートはそこそこ離れているけれど……」
「大丈夫です!両親の面倒は兄夫婦が見ますし、それに……、恋人とは別れちゃいました」
「……それってもしかして、遠距離になるから、とか?」
思わぬ返事に、アウローラは目を丸くし、おそるおそる尋ねた。
するとケイトは慌てて両手を振り、否定する。
「違いますよ!別にグランフォートに行くから別れた訳ではないです!ただ、ちょっとどうしても許せないことをされたので」
「そ、そう……?」
ケイトとその恋人は随分長い付き合いだったはずだ。
どうしても許せないこととは何だろう。浮気だろうか。
アウローラは首をかしげたが、ケイトが何も言わない以上、深く聞くわけにもいかず、そっと言葉を飲み込んだ。
「奥様、ケイト様のご案内は私が……」
アウローラの後ろで控えていたマルタが、一歩前に出た。ケイトはすぐに首を横に振る。
「様、なんて付けないでください。これから一緒に働くんですから。ケイトで良いですよ。あなたは……」
「マルタです。よろしくお願いします」
マルタが丁寧に頭を下げると、ケイトも笑顔で返した。
「マルタさんね。こちらこそ、よろしくお願いします」
「そしてこちらが姉のエルザです」
「初めまして、ケイトさん」
「はじめまして。……それにしても、前もって聞いてはいたけれど、お二人は本当にそっくりですね」
「双子なので」
エルザが肩をすくめると、ケイトは困ったように眉を寄せた。
「どうしましょう。私、見分けられる自信がないわ」
「業務内容は二人で共有していますし、どちらか片方しか知らない情報などもありませんから、見分けなくてもあまり不便はないかと思います。ですが不便だと仰るのなら……、そうですね。見分けられるように髪留めの色を変えましょうか?」
マルタは髪のリボンに触れながら提案した。
「そうか。その手があったわね」
アウローラは「なるほど」と頷き、エルザの方を見る。エルザも「どうして気づかなかったんだろう」と悔しそうに唇を尖らせた。
二人の無言のやりとりの意味がわからないケイトとマルタは、顔を見合わせて首をかしげる。
「お嬢様、何か?」
「いいえ、こちらの話よ」
「そうですか?」
「それより、髪留めを変えるのは良い考えだわ!そうしてもらえると、わたくしも助かるわ。マルタ、お願いしてもいいかしら?」
「かしこまりました、奥様。では明日から、赤いリボンが私、青いリボンがエルザとしますね。姉さんもそれでいい?」
「いいよー」
「では、ケイトさん。お部屋にご案内しますね」
「はい、よろしくお願いします」
ケイトはマルタに続き、歩き出そうとした。
だがその時、
「お待ちください」
と、リオルの静かな声が割って入り、二人は振り返った。
「あの、お嬢様。こちらは……?」
「家令のリオルよ」
ケイトがリオルを見やりながら尋ねると、アウローラは軽く頷き、彼を紹介した。
「はじめまして、リオル・バーネットです。よろしくお願いします」
「ケイト・テイラーです。よろしくお願いします」
「ケイトさん、ご案内は僕がいたします。注意事項等の説明もありますし、いかんせんこのお屋敷は少人数で回しておりますため、奥様のお世話以外にもお手伝いをして頂かねばならぬこともありますので。……奥様、問題ないでしょうか?」
リオルは確認を取るように、アウローラへ視線を向けた。アウローラは少し考えた後、小さく頷いた。
「……それもそうね。じゃあ、頼めるかしら」
「かしこまりました。ではケイトさん、参りましょう」
「ケイト、また後でね」
「はい、お嬢様」
ケイトはリオルの後ろに続き、廊下を歩き出した。
その背を見送りながら、アウローラは胸の奥がふっと温かくなるのを感じた。
(ケイトに会うのは久しぶりだし、今日は特に予定もないし……どうせなら交流も兼ねて皆でお茶でもしようかしら?)
自然と頬が緩む。あの不穏な贈り物のことなどすっかり忘れ、アウローラは心を躍らせていた。
だが、その高揚は長く続かなかった。
アウローラの部屋へやってきたケイトが、クローゼットの中身を見てしまったのだ。
ドレスや羽織ものが並ぶ奥の棚に、整然と積み上げられた手つかずの豪華な小箱や装飾品の数々。開封した様子もないそれらに、長年仕えるケイトの直感が鋭く働いた。
「お嬢様、またストーカーですか?」
ケイトは箱の列から目を離さず、後ろのソファで紅茶を飲むアウローラに問いかけた。
その声音には、心配と長年の経験からくる確信が入り混じっていた。
アウローラは小さく息を吐き、そっとティーカップを机に置いた。
「ストーカーって、そんなものじゃないわ。ただ、ちょっとしつこく贈り物をされているだけよ」
「それをストーカーと言うのですよ、お嬢様。お断りのお手紙は差し上げたのですか?」
「もちろん送ったわ。けれど、初動を間違えたのかもしれないわね」
社交界のルールに則って対応したつもりだった。だが、きっと何かを間違えたのだろう。
アウローラの手紙の内容が、もしくは返礼の品か。
何かが彼の狂気に火をつけた。
「……あまり交流はなかったはずなのに」
アウローラは自分の肩を抱き、身を震わせた。
「まあ、お嬢様の場合、交流の有無はあまり関係ありませんからね……」
ケイトは過去の男たちを思い出し、苦笑した。
アウローラの場合、少し視線を合わせて微笑んだだけでも男が勝手に勘違いする。
男嫌いで有名な高嶺の花が自分に微笑みかけてくれたという事実が、彼らを狂わせるのだ。
貴族令嬢としての最低限の振る舞いをしただけで男を惹きつけるなんて、まさに魔性。
世が世なら、傾国の魔女として処刑されているところだろう。
「それにしても、このドレスはすごいですね。寸分の狂いもなくお嬢様の体にフィットするのでは?」
ケイトは箱を開け、フェルナンドから送られたドレスを広げた。
光沢のある深紅の生地は、触れただけで上質さがわかるほど滑らかで、胸元には繊細な金糸の刺繍が施されている。
ウエストラインはアウローラの体型に合わせて緩やかに絞られ、裾は軽やかに広がるデザインだ。
まるで彼女のためだけに仕立てられたような、完璧な曲線だった。
「試しに一度袖を通してみたけれど、恐ろしいほどにピッタリだったわ」
アウローラは苦笑しながら答えた。
ケイトはドレスを見つめたまま、眉をひそめる。
「……しかし、フェルナンド様はどこでお嬢様のサイズを知ったのでしょう?ドレスのサイズなんて、目測で測れるものではありませんよ?」
「仕立て屋から聞き出したのかしら」
「それはあり得ません。お嬢様が贔屓にされている仕立て屋は、一見さんお断りの名門です。客の個人情報やスリーサイズを外部の、それも他家の男に漏らすなんて、そんな信用が地に落ちるような真似はしないと思います」
「たしかに……。でもじゃあ、どこから……?」
アウローラは胸の奥がひやりと冷えるのを感じた。
ケイトも同じ不安を覚えたのか、ドレスを丁寧に畳みながら視線を落とす。
部屋の静けさが、妙に重々しく感じられた。
「……お嬢様、よく聞いて下さい」
ケイトは箱をそっと閉じると、立ち上がり、扉を開けて廊下に人がいないかを確認した。
そして静かに扉を閉めると、アウローラの隣に座り、小声で話し出した。
「女性のドレスのサイズなど家族ですら知らないことの方が多いです。特に異性の家族の場合、そのようなプライベートな情報を知ろうとする事自体がマナー違反です。……つまり、お嬢様の体のサイズを知る人間は、仕立て屋以外ですと、お召し替えを手伝う者くらいしかいないはずなのです」
「それって……」
ケイトの言葉に、アウローラは息を呑んだ。
ケイトは核心に迫るように、アウローラの表情をじっと見つめて静かに問いかける。
「……あの双子はお嬢様の目にはどう見えますか?」
「……!?」
その瞬間、アウローラの顔からはサーッと血の気が引いた。
まさか、そんなはずはない。彼女たちはとても良くしてくれている。
そう思うのに、ケイトの言葉を否定し切れるほど、アウローラはまだ彼女たちのことをよく知らない。
「このプレゼントたちはどのようにして、お嬢様の手元まで運ばれますか?」
「どのようにって……」
「ヴァレンティア家では、届いた荷物の検分は家令の仕事でした。そしてお嬢様にお渡しして良いものだけを選別し、侍女の手に渡ります。ですから、不審な荷物がお嬢様の手に渡ることはありませんでした」
「あ……」
「そうです。フェルナンド様からの贈り物がお嬢様の手に渡ること自体がおかしいのです」
ケイトの言葉に、アウローラは過去のやり取りを記憶から手繰り寄せた。
……確かにおかしい。
本来、屋敷の荷物の受け取りや管理は家令であるリオルの仕事だ。
それなのに、なぜマルタはいつも、フェルナンドからの贈り物をわざわざ自分のもとへ運んでくるのだろう。
リオルがフェルナンドの荷物だけを検分せずにマルタへ渡しているのか。
それとも、リオルが知らないところで、マルタがフェルナンドから直接荷物を受け取っているのか。
もし後者だとしたら
――マルタとフェルナンドは、どこかで繋がっていることになる
(いや、そんなはずないわ)
アウローラは首を横に振った。
マルタはいつも、気味悪そうにプレゼントを持ってきていた。
ヴィンセントに相談した方がいいと進言もしてくれた。
フェルナンドの手先ならば、そんなことはしないはずだ。
「ケイト、それは考えすぎだわ。エルザもマルタも、本当に良くしてくれている。フェルナンド様のことも、旦那様に相談すべきだと提案してくれたし……。それに何より、彼女には動機がないわ」
アウローラは自分の言葉にすがるように、そっと視線を落とした。
しかし、ケイトの表情は曇ったままだった。
「あ、あの双子とその両親はともに、このお屋敷の管理を任されていた方たちよ。つまり、今は皇帝陛下の命でわたくしたち夫婦に仕えてくれているの。そんな彼女たちが、主人であるわたくしの不利益になる事をするとは思えないわ」
「お嬢様、人間とはわからないものですよ。よく思い出して下さい。過去、お金のためにお嬢様の情報を売った輩が、ヴァレンティア家のお屋敷にもいたでしょう?」
「そ、れは……」
アウローラの肩がわずかに震えた。
胸の奥にしまい込んでいた嫌な記憶が、ゆっくりと浮かび上がる。
「個人的な怨恨がなくとも、お金ほしさに主人を売る人間もいるのですよ」
「……そう、ね」
アウローラは過去を思い出し、悲痛に顔を歪めた。
信じていた人に裏切られたのは、一度や二度ではない。
そのたびに胸がひどく痛んで、世界が少しずつ冷たく見えるようになった。
それでも、何とか人間不信にならずにここまでやってこれたのは、周りの人たちの支えがあったからだ。
自分を守ろうとしてくれた者たちの温かさが、裏切りの痛みをかろうじて上回ってくれたからだ。
(……だから、あまり身近な人を疑いたくはないのだけれど)
一度芽生えた疑惑の種は、恐ろしい勢いでアウローラの心に根を張っていく。いつも親身に心配してくれていたマルタの顔が、急に不気味なものに思えてきた。
「……大丈夫ですよ、お嬢様。もう私が来ましたから。これからは私が片時も離れず、お嬢様をお守りいたします」
怯えで体を震わせるアウローラを見て、ケイトは表情を和らげると、優しく彼女を抱きしめた。
ケイトの温もりに包まれ、アウローラは縋るようにその背中に手を回す。
だが、安堵の一方で、屋敷の中に裏切り者がいるかもしれないという深い不信感の影が、彼女の心に静かに落ちていた。
(やっぱり……、旦那様に相談すべきかしら)
あまり迷惑はかけたくない。アウローラの脳裏に、あの、眉間に皺を寄せてこちらを見下ろすヴィンセントの顔が浮かんだ。




